第3話 十字架(10/5 '22 改

 アサトは、少女を抱えた状態のジェイを連れて、バースペースの方へ向かった。


 汚れ仕事も厭わずこなしてきたため、死体は見慣れていたはずだった。


 アサトの眼前には、辺り一面、血の海で、死屍累々――人体だった肉片やら、臓物やらが飛び散っており、原型さえ留めていなかったが――という有様だった。


 死体を見慣れていたはずのアサトでさえ、この光景は目に余るものだった。


 アサトはスマホを取り出す。

 気後れしていたものの、とにかく主人に報告せねばなるまい。

 アサトはその一心で、惨状を写真に収めた。

 それをウラトに送信し、そして指示を仰ぐ。


『捨て置け』

「ですが…」

『どうせ、誰がやったのかわからんのだ。ならば、あえて放ったらかして反応を見るのも興ではないか。それに、これだって先の件と同様、有耶無耶にされるのが目に見えるわ』


 主人の面白がってさえいる様子に、呆れたところもない訳では無いが、それは自分の及びもつかない考えを持ってのことだろう。

 アサトは出てきた言葉を飲み込んだ。


 ウラトとのやり取りを終えたアサトは、ジェイと共にバースペースを後にした。


「え?片付けないんすか?」

 エントランスに戻り、アサトは呼んでおいた『掃除屋』にウラトの命じた通り、そのまま帰っていいと伝えた。


「まあ、貰えるもん貰えるなら別にいいんすけど…。こっちだって危ない橋渡ってるわけだし」

「安心しろ。そこをケチるようなマネはしない」

「じゃ、俺たちはここで失礼しますね~」

 掃除屋はアサトに挨拶し、店を後にした。


「ジェイ、カウンターにいる店員を連れていくことはできるか?」

「この先に進むことが出来たから、連れていくことも出来る、筈だ」

「まあいい、やってみろ」


 アサトに命じられたジェイは、再び店員の目を見つめる。

 すると、店員はカウンターから出てきたので、ジェイとアサトは店員と共にバーを後にした。



***

 伊原邸を出た時と同様に、車で帰ってきたジェイとアサトは、未だに意識が戻らない少女と店員を連れ、まず、ウラトの元に向かうことにした。


「アサト、ご苦労であった。ジェイもなかなかの働きっぷりのようだな」

 ウラトは帰ってきたジェイとアサトを労う。


「まず、その抱えてる娘を降ろしてもらおう。しばし、待っておれ……レイハ!別室に案内しろ」

 ウラトは、部屋にいるレイハと呼んだ背の高い女性に命令する。


 レイハは「かしこまりました」と言って、一礼した。

「では、私についてきてください」

 レイハがジェイに指図する。ジェイは「わかった」と答える。


 そのとき、アサトもジェイの後についていくと決めたので、ウラトに「では私もついてまいります」と言うと「そうか、では行ってこい」と承諾を得た。


 アサトは一礼すると、レイハとジェイの後に続いていった。



***

 ジェイとアサトが出ていったあと、ウラトは部屋に1人残された店員に詰め寄り、そして目を見つめた。


 不敵な笑みを浮かべ、店員に命じる。

「余はこの通り、背が低くてな。すまないが、屈んでくれるか?」


 店員は言われた通り、ウラトの背に合わせるように屈む。

 ウラトは待ってましたとばかりに、その顔を両手で掴むと、自分の方に引き寄せた。


 顔が付くか付かないかといった距離からウラトは囁く。


「いいか?貴様は今夜のことは、『何も見ていない』、『何も知らない』、そもそも、『その場にいなかった』……わかったか?」

 ウラトが言い含めるように言うと、店員は無言で頷いた。


「よし、いい子だ。……では、お礼に口付けをしてやろう」


 ウラトは店員の喉元に噛みついた。



***

 ジェイは、レイハに案内された部屋に着く。そこは、来客用の寝室として使われていたところだ。


 レイハの指示により、ジェイは、ベッドに少女を休ませる。

 後から来たアサトに引っ張られるようにして、ジェイはウラトのいる部屋に戻った。


「ご苦労。アサトの連れてきた店員は帰したぞ」

「そうでしたか…」

 ウラトは、満面の笑みを浮かべていた。それを見たアサトは、背筋に悪寒が走る感覚を覚えた。


「申し訳ありません!彼奴がこのようなことをするなど...…」

 アサトは、勢いよく頭を下げた。


「どうした、アサト」

 ウラトは、顔に怪訝な表情が浮かんでいる。

「彼奴が連れてきた娘のことです」

「ああ、その事か」

 ウラトは、合点がいった様子で、返事をした。


「アサト、貴様が責任を感じることもなかろう。表を上げよ」

 ウラトの命を受け、アサトは恐る恐る、頭を上げる。


 ウラトはジェイの方に顔を向け、こう尋ねた。

「ジェイ、何故その娘を殺さなかった。ヴァンパイアだとわかっていたのだろう?」


 ジェイは突然話を振られたにも関わらず、特に動揺の色は見せず、眉一つ動かさず、何時ものように淡々と答える。


「リリーにそっくりなんだ」

「ほほう。ところで、リリーとは何者なんだ?」

「リリーは、彼の妹だ」


 それを聞いたウラトは納得したような表情を浮かべる。

「……ウラト様。失礼を承知ですが、この説明で納得されるというのは……」

「アサト。妹は大事だ」

「はぁ」

 アサトには、主人の考えが皆目、検討がつかなかった。



***

「ジェイ、少しの間だけ、部屋を出てもらえないか。アサトと二人きりになりたいんだ」

「私が見ていなくても大丈夫ですか?」

「少し、話がしたいだけだ。ジェイは余の命令を素直に聞くからな、大丈夫だろう」


 主人の言を聞いたとき、やや不用心ではなかろうかと感じたが、ジェイを外さないとできない話なのだろう。

 そういえば、自分にも気になっていたことがあったと、アサトの考えが及んだ。


「そういうわけだ。ジェイ、部屋を出ろ」

 ジェイはウラトに言われるまま、部屋を出た。


 部屋はウラトとアサトの二人きりになる。


「先に失礼します、ウラト様」

 まず、アサトが口を開いた。

「なんだ?」

 それを受けて、ウラトが聞き返す。


「彼奴は、あの娘のことを「彼の妹」と言っていました。妹はともかく、とは何者でしょうか?」

「その事か」


「ウラト様……の正体を存じているのですよね?」

 アサトは、深刻な顔つきになる。

か……いずれ、話すことになろう。だが、今は、そのときではない」


 ウラトもまた、深刻な顔つきになっていたが、次第に、薄ら笑いになっていく。

 そして、こう口走った。


「もし、余が、余以外の別のになっていたら、そのときは、心の臓に杭を打ち込んでほしい」


 アサトは仰天した。

「何かあったら殺せ、ということではないですか!?何故、そのようなことを……」


 驚きのあまり、目を丸くしているアサトに対して、ウラトはこう答える。

「今は、大丈夫だ。今はな。安心しろ。それにこれは、杞憂になる可能性の方が高い」


 ウラトは、相変わらず薄ら笑いだったが、次第に真顔になっていった。

「エリに手をかけるような真似をするのであれば、死んだ方がマシだ」


「アサト、この話はここまでにしよう。アサトに試してほしいことがある。」

 ウラトは不敵な笑みを浮かべると、話題を変えた。


「試してほしいこととは?」

 アサトはウラトに伺う。

「例のブツをジェイの前に突きつけてほしい」

「例のブツ、と言いますと……」


「余はアレを見ると力が抜けてしまうのは知っておろう。奴は、自分の事をヴァンパイアがベースになってると言っておった」


「その事と例のブツとは何の関係が?」


「うむ。余は『無名経典』によって更に力を得たのであるが、そのせいか、余はアレに弱くなってしまった。

もしかしたら、ヴァンパイアは『無名経典』が絡むと、アレに弱くなるかもしれぬ。だから、出来ればでいいから、試してほしいのだ」


「かしこまりました」

 アサトは一礼をし、その後でレイハから『例のブツ』を渡された。



***

 ――三日後、少女は目を覚ました。


 目を開いたら、見たことの無い光景が広がっていた。少女は身体を起こし、辺りを見回す。


「目を覚まされましたか」

 声をかけたのはレイハだった。

「申し遅れました。私はスメラギ=レイハと申します」

 レイハは少女に頭を下げた。


「ええと、ここは...」

「ここはイハラ=ウラト様のお宅となります。あなた様は気を失っておりましたので、こちらで手当てをした、という訳です。

とはいえ、当方のしたことといえば、寝床を提供したくらいですが」


「あ、ありがとうございます。私は、コフタ=カナといいますっ」


 目を覚ましたばかりで見慣れない場所にいたのと、初対面の人の前であったので、カナは緊張を隠せない。


「コフタさん。当方はあなたのことは存じております。ですが、心配には及びません。危害を加えるつもりはございませんので」

 カナは自分の正体が知られているということに、驚きを隠せなかった。


「ですが、体のお加減のこともあります。しばらくは、ここの中で過ごしていただくことになろうかと」

 正体を知っているのであれば、尚更世に放つ訳はないだろう。

 そう考えたが、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。


 正直なところ、レイハの言ってることは話半分だったが、敵意や恐怖心は感じられなかったからである。


「えーと、こんなことを言うのは厚かましいかな、と思われても仕方がないのですが...」

 カナは、決まりが悪そうに声を漏らした。


「何か、食べるものはありますか?」



***

 レイハに連れられて食堂に来たカナは、そこでジェイとアサトとはち合わせた。

 思いもよらぬところでジェイと再会したせいか、カナは動揺を隠せない。


 そんなカナに対し、アサトは和ませようとして改めて挨拶した。


「スメラギから説明があったと思うが、怖がるな、という方が無理があるな...。でも、何度も言うようだけど、我らは危害を加えるつもりは無いから安心してほしい。

「私はオオガミ=アサト。で、この男がジェイだ」


「わ、私はコフタ=カナですっ。よろしくお願いします」

 たどたどしく挨拶するカナに対しジェイはこう言った。


「カナというのか。確かにリリーにそっくりだ。ところで、妹ってなんだ?

「妹というのは『同じ肉親から産まれたメスの子供』というのはわかるのだが、何故、彼はそのことを重視するのだろうか。近親交配は遺伝子的にデメリットがあるから避ける、というのはわかるのだが」

「コフタ、申し訳ない。ジェイというのはこういう奴なんだ」


「ところで、コフタさん。うどんがあるのですが、それでよろしいでしょうか?」

 レイハは話題を切り替えた。


「あ、ありがとうございます」

「あと、なにか食べられないものとかございましょうか?」


「食べられないものはないです。そもそも、『食べられるのか』どうかがわからなくて...あ、申し訳ありません。せっかく作っていただくのに...」

「いえいえ、お気になさらずに。


「ジェイさんにもお作りいたしましょうか?」

「いや、作らなくてもいい。こっちで用意したから」

 レイハはジェイに尋ねたのだが、代わってアサトが答えた。


「スメラギ、以前、ペペロンチーノを作ってたが、このときジェイが何を言ったのか覚えてるか?」


「あれはペペロンチーノというのか。確か小麦で作られてる紐に、油を絡めたものだったな。そこまではいい。

なんで、刺激物と臭気が強い物を入れるんだ。あれを入れたら、食べられなくなるであろう。あれは食物ではない」


「だから作らなくていいと言ったんだ」


 レイハはキッチンから、かけうどんを持ってきて、カナの前に置く。

 カナはかけうどんを注意深く見つめると、箸を器の中に差し入れ麺を掴みあげ、そしてすすった。


「お味はいかがですか?」

 レイハが尋ねた時、カナの目から涙が出てきた。


「申し訳ありません。お口に合いませんでしたか?」

 カナは首を横に振った。


「ごめんなさい、違うんです。うどんが食べられたのが嬉しくて...。私、ヴァンパイアだったでしょう。血しか食べられなかったから...」


 感極まったカナは、神に祈りを捧げた。

「神様、ご飯が食べられるようになりました!感謝します」


 すると、席についていたジェイが机に突っ伏し、耳を塞ぎだした。

「なんだ、一体、耳が、頭が痛い。何が起こったんだ」


 相変わらずの無表情ではあったが、苦しんでいる様子は伺える。


 それを見たアサトは懐から十字架を取り出し、ジェイの前に掲げた。

「ジェイ、これを見ろ」


 十字架を見たジェイは椅子からひっくり返り、床に転がり込んだ。


 それを見たカナは顔に困惑の表情を浮かべる。

「お祈りも十字架も、ジェイさんを苦しめるためのものじゃないのに!」

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