第8話Part7

 私はかつて「不破怪異対策事務所ふわかいいたいさくじむしょ」に勤務していた。私の苗字も不破だが、私は不破家の直系ではない。分家の分家といったレベルの遠縁だった。社長の紫乃とも少ししか血がつながっていない。

 私の実の両親は、私が家で留守番をしている間に、自動車事故に巻き込まれて亡くなった。

 帰りの遅い父を母が迎えにいく途中のことだった。飲酒運転をした車の暴走に巻き込まれたのだ。

 その当時、「本家を改良する」という志を掲げ、すでに本家の嫡子たちを出し抜いて紫乃

は当主におさまっていた。彼女は、分家の中にも実力のあるものが突然変異のように生まれてくるのではないかと考え、分家の子供たちを品定めしていたのだ。

 私は、サンプルのように紫乃に拾われ、訓練を受けることになった。

 紫乃にとっては幸運だった。私は術の修得が早く、怪異の気配を探すのも得意だった。

 似た試みは行われたが、私が一番飲み込みが早かったのだという。


「才能のある者が実力以外の部分で正当な評価を受けられないのは、判断する方が未熟な証拠なのよ。だから私に負けることになったのよ」


 紫乃はよく言っていた。

 これは私の推測に過ぎないのだが、紫乃は味方が欲しかったのではないか。

 紫乃は妖術士の中では名門として名を馳せる不破家、その前当主の実の娘だった。けれど、母親はその妻ではなかった。それでも自分の実力一本で後継者となった苦労は並大抵のものではなかったはずだ。多くの人を陥れることもあっただろう。だからこそ、味方が欲しかった。私のような、本家の血と関係の薄い、才能のある者を。愛人の子である彼女は後ろ盾が欲しかったのだ。できれば何人も。

 私も、悲しみに暮れる暇が無くなったのは嬉しかった。なにより、紫乃という大人に頼りにされていることが嬉しかった。自分が一人前に慣れた気がして。自分が無力で無くなった気がしていたのだ。日々は順調に過ぎていった。怪異と戦うこともケガも怖くなかった。自分が実力を発揮して人を救えるのが嬉しかった。


 けれど、救えなかった人を、私は間近で見ることになった。それを些細なことと考えることが出来なかった。

 私に、二年ほど前、蒼乃あおのという後輩ができた。彼女も分家筋から貰われてきた子だった。私と同じ立場の子だ。

 本家の直系ばかりが事務所や一族が多角経営している会社を牛耳れる仕組みを、紫乃は大きく変えたがっていた。だからこそ同じ立場の子が他にもいた。


「紫乃様のお気に入りなんですってね。最初に言っておくけどね。今成績が良くてもすぐに抜かれるやつは沢山いるわ!自分が当主を継げるとか思ってるんじゃないでしょうね!違うわ、私が継ぐのよ!」


 彼女は全然謙虚じゃなかった。けれど、私は彼女のことを嫌ってはいなかった。別に何か意地悪されたわけではなかったし、仕事や術を教えたりしても反発しながらも最後はちゃんと聞いてくれたからだ。話は合わなかったけど、そのせいもあって、他の好みだって知ることができた。私は本当はいつか蒼乃と友達になれると思っていた。あまり人と接することがうまくない私と、私以外には愛想がよく、口も上手な蒼乃。仕事で人と話す時、私のフォローに回ってくれることもあったからだ。私にだけだ。愛想が悪かったのは。

 あれが彼女の素だったのだとすれば、彼女は私を対等なライバルとして見ていてくれたのかもしれない。そう思いたかった。遠慮が無かったということなのだから。

 でも、結局私は蒼乃と友達にはなれなかった。


 東京で起こったある連続殺人事件。無差別に引き起こされたそれは、ある鬱屈した労働者に怪異が取り憑いたことで始まった。

 動機自体はよくあることだった。新卒で勤めた会社に馴染むことができず、体を壊し、初めての仕事場を辞めざるを得なくなった。その後、あちこちの職場を転々としたがどこもうまく行かなかった。そんな運の悪い青年が復讐のため、自分よりも生活水準が上だと判断した今までの勤め先の人間をかたっぱしから殺害した。

 私にとって一晩で二十四名を殺害した相手と対峙するのは初めてのことだった。しかも、犯行は連日のように続いた。

犯人はついに、一番最後に自分が勤めた会社のビルに押し入り、受付の女性から逃げ惑う元同僚まで殺し続けた。


 当時、蒼乃とコンビを組んでいた私は、事件発生の連絡を警察から受けて、足止めのためにビルに突入した。別方面を捜索していた事務所のメンバーを待つ時間はなく、咄嗟の判断だったのだが……

 私達が中に入った頃、既にビルは死体で内部が埋もれていた。それでも気配や音を頼りに懸命に憑依型に取り憑かれた犯人を捜し続け、やがて喫煙室にたどり着いた、ドアを私が蹴破り、背後から私を援護するようにして入る蒼乃。

 気配はある。確かに隠れてこちらの様子を伺っていた。蒼乃には分からないようだった。憑依型は人間に取り憑くから気配が探知しにくい上に、懸命に息を殺していたのだから。

 けれど、どこに?そう思った時、喫煙室の真ん中に置かれた机が目に入った。

 場違いな事務机。ところどころ血が跳ねて汚れている。そして、何かの布、おそらくは取り外したカーテンに包まれた球体のものが置かれている。


「なにあれ?癪に障るわ。おちょくってるの?」

「蒼乃、触らない方が。罠かもしれない」

「爆弾とかじゃないでしょうね。こうすんのよ!邪魔!」


 蒼乃あおのは繰り返される凄惨な犯行に強く憤っていた。蒼乃は感情の起伏が激しいところがある。そのことを指摘すると、本家の人間はみんなこうだと言われた。彼女も本家ではなかったはずなのだけれど。

 コートに結びつけたポーチから呪符を取り出して、蒼乃がそれを机に向かって投げつけた。呪符は青い炎となって、机にぶつかり、火の粉と共に、壁に激しくぶつかった。

 それがいけなかった。吹き飛ばされ、床に転がったそれは蒼乃の術で焼け焦げた、人の頭だった。眼も鼻もそぎ落とされている。蒼乃が短い悲鳴を上げた。

 次の瞬間、頭上で大きな音がした。私は呪符を構えて上へ投げつけた。

 爆発音。呪符を避けた何かが、ダクトの中から飛び出し、天井に蜘蛛のように張り付いていた。

 体中の間節を外して、憑依型に取り憑かれた犯人が笑いながら這い出してきたのだ。

 狂気の笑みを浮かべながら、身震いするような動きで体中の関節を一瞬で治し、それはこちらに向かって飛び降りてくる。

 私は憔悴する蒼乃を背中に庇い、呪符を構えて敵と対峙した。


「があがあがあがあがあがあがあがあがああ」


 憑依型に取り憑かれた男の頭の周りの空間から、血まみれの首が大量に浮かび上がり、それはわりと広い喫煙室全体に私達を取り囲むように広がった。

 私はそれが、殺害された犠牲者たちのものだと気づいた。どれも資料で見た事のあるものだったからだ。


「くびくびくびくび。かじられろかじられろ。つみあげてあそぼうあそぼうよぐびがみくびがみくびびびびびびっびび」


 呪詛の声が漏らされる。私は呪符に術式を込め、ナイフを掲げると地面を蹴って反撃した。

 生首たちがいっせいに襲いかかってくる。蒼乃が大声を出して敵を威嚇するように武器を構えた。

 応戦が続く。飛び交う私たちの術が迫りくる生首たちを粉砕する。

 やがて、接近した私が相手の右腕をナイフで切り裂いた時、背後で甲高い悲鳴が上がった。

 相手の腹に蹴りを食らわせてから、目の前の床に呪符を叩きつけて火柱をあげさせ、煙幕を張る。振り返りつつ、蒼乃の元に走る。


「やめろ!離せ!なんで、どこから、あああああああああああああああああああ!」


 蒼乃の体中に生首が食らいつき、いかにもうまそうにその血を啜っていた。そのしなやかな首筋には黒焦げの生首が食らいついていた。あれは、蒼乃が最初に吹き飛ばしたものだ。

 それが、首の肉を食いちぎっていた。それをやはり、美味そうに生首は咀嚼している。

 憑依型に取り憑かれた人間は、本人が抱える心の闇を発散させるために必要な超常の能力が発現する。犠牲者の首を操る能力。最初に吹き飛ばした首に注意を向けられなかったのだ。


 私の頭の中で、感情が爆発した。自分でも止められなかった。蒼乃の肉を咀嚼している生首を対魔加工されたナイフで切り刻んだ。他の生首をひたすら強化された拳で殴り続けた。折れた歯があちこちに散らばる音がした。


「無視すんあ。なあんで無視する、無視するなってゆわれたことあるだろ、ろろろろろろろろろ」


 背後で声がした。私は殴り飛ばそうとした生首にナイフを突き立て、上の顎を切断する。

 後ろから飛んできた生首の口の中にそれを叩きつけた。血しぶきが飛ぶ。

 邪魔された。邪魔するな。そうだ、先に、こいつを。この卑怯者を。ナイフを振るった。

 向かってくる生首をひたすら切り続けた。

 こいつが死ねば。こいつが死ねば止まる。そんなことだけを考えていた。やがて刃が全部こぼれて使い物にならなくなったナイフを犯人の下顎に突き刺し、そのまま腹を蹴り、胸倉をつかんで自分の頭が裂けるまで口めがけて頭突きした。怒りからか、パニックからか、ちっとも痛くなかった。痛みを感じないのなら、このまま何回でも攻撃できる。そんな考えが頭をよぎった。そのまま攻撃を続けた。とにかく目の前の相手が死ねば終わる。そのことしか考えられなかった。

 胸倉をつかんだまま喫煙室の窓に叩きつけた。そしてそのまま下顎に刺さったナイフを思いっきり蹴った。窓ガラスが割れる音がやけに遠くで聞こえた。

 

 私が引き返した時。蒼乃は血だるまになって、喫煙室の隅でうずくまっていた。私は駆け寄りかけ、思わず足を止めた。首の食いちぎられたところからものすごい量の血が流れだしていた。蒼乃の両手は彼女自身の血で真っ赤だった。

 直観的に思った。蒼乃はもう助からない。流れる血の多さに私はしばし呆然としてしまった。

 犯人が死ねば、全部終わると思っていたのに。どうして終わっていないのだろう。どうして。

 どうして間に合わなかったんだろう。私のせいだ。


「…………ひ、……な………………の………………」


 こちらを見上げる切れ長の目に賢そうな顔立ち。私よりもずっと紫乃に似ていた。


「……………………………………たす、けて」


 私はただ呆然としていた。止血しなくては。でも、止血して間に合うの?間に合わなくても止血するのはなんで?思考が上手くまとまらなかった。あまりの虚脱感に地面に引き倒されそうだった。

 ショックを受けて固まっている私を見て、蒼乃は眼を大きく見開いた。彼女の目には恐怖が映っていた。固まって動こうとしない私。そしていつもの私に対する接し方。パニックになった彼女は、私の態度を誤解したようだった。


「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさ、………………………………こんなところでいや、死にたく…………………………ないの。謝る………………………………、から、全部、謝る、から、だから、生意気言ってごめんなさい。生意気言ってごめんなさい」


 蒼乃は懸命にかすれた声で謝罪を繰り返した。泣きじゃくりながら。蒼乃は、私が自分を故意に見捨てようとしていると誤解してしまったのだ。


「違う………………………………」


 私は前に踏み出した。血だらけの手を伸ばした。


「いや、いやああああああああああ!」


 また蒼乃が悲鳴を上げた。一度芽生えた疑念が消えることはなく、彼女は私から懸命に逃れようとした。

 蒼乃が血だまりの中に転がる。私はその上に覆いかぶさって、手で傷口を抑えようとした。

 蒼乃が抵抗した。振り回した手が私の頭にぶつかり、ヒナゲシの髪飾りを吹き飛ばした。


 それからの事は、語るまでも無い。

 私は蒼乃の友達にはなれなかった。



 事件の後。不破の屋敷の中にある私室の中に閉じこもっていた

 ただ毛布を被れば安全でいられると思っていた。私はただ悲しかった。ミスをしたことも、亡くなったあの子の命に取り返しがつかないことも。

 ただ、悔しくて悲しくて目の前で友達になれるかもしれないと思った子がいなくなって。

 食べるものも食べず、いつまでも塞いでいる私のもとへ、紫乃がやってきた。


「身体や術は強くても、心までは強くなかったわけね」


 氷水をぶっかけられたように頭が冷え、同時に何かが頭の中で爆ぜたような気がした。

 ふと、私はここで彼女がいまどんな顔をしているか見てやろうと思った。

 私は顔を勢いよくあげた。

 これで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたり、皮肉な笑みを口元に浮かべていたら、私は枕もとの電気スタンドを投げつけていたかもしれない。今もそう思う。それと同時に、そんな事を考える自分はなんて酷い子なんだろうとも感じる。

 しかし、彼女はなんとも形容しがたい複雑な表情を浮かべていた。

 困惑、憐憫、そのどちらともとれる表情。 


「そうだったら貴女もそんなに苦しくなかったでしょうね」

「……うん。もう辛いのはたくさん」


 紫乃は軽くため息をついた。これ以上私が戦える状態じゃないと分かると。

 私は事務所を離れることを許された。


「当分離れたところで暮らすように」


 そう言い渡されて、学校も変わった。事務所の近所のほとんど通っていなかった、都会の学校を離れ。遠い京都の学校へと。

 私は紫乃の信頼にも応えられなかったし、蒼乃に信頼される先輩にもなれなかった。


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