応援コメント

第61話 報恩講」への応援コメント

  • 年に一度の節目を感じられるのは、区切りがついていいですね♪
    感謝の気持ちは大事にしたいです!

    作者からの返信

    こい様、こんにちは😊

    年に一度、感謝の気持ちを込めての報恩講。
    大切な行事です。
    こういった感謝の気持ちを表す機会があるのはいいですね。

    こい様、コメントありがとうございます✨✨

  • こんにちは。
    やっと追いつきました!
    感謝の気持ち、大事ですよね。そんな心がけが、自分の心を澄んだものにしてくれるような気がします。

    作者からの返信

    久里様、こんにちは😊

    まぁ!
    最新話までようこそ!
    とりとめのない拙作をここまで読んで頂き嬉しいです\(^o^)/
    貴重なお時間を使って頂いたことに感謝の気持ちでいっぱいです✨

    おまけに応援💗素敵なコメント&フォロー&お星様★まで有難いです。
    本当にありがとうございます✨✨

    編集済
  • 私の実家も浄土真宗「南無阿弥陀仏」ですが、報恩講。初めて聞きました。
    両親が生前でも年末にそういった、お寺さんを法事以外で家に呼ぶ風習がありませんでした。地域によるものなのか、信心深くないのかは、分かりませんが…^^;
    それでも改めて感謝をする事については、素晴らしい事だと思います。
    「一切感謝。いつもありがとうございます」の思いは宗教に関係なく、いつも持ち合わせていたいですね。(*^^*)

    作者からの返信

    甲斐さん、こんばんは😊

    甲斐さんのご実家も浄土真宗「南無阿弥陀仏」なんですね。
    しかし、報恩講って初耳ですか。

    おそらく、地域によって違ったりお寺によって違うのかもしれません。
    大体はお寺で行われる行事のようですが、うちの場合はなぜか家に訪問されます。

    >「一切感謝。いつもありがとうございます」
    ほんとですね。
    誰もがこの気持ちを持っていれば平和な世の中になることでしょうね。

    甲斐さん、いつも素敵なコメントありがとうございます✨✨

  • のこちゃん、こんにちは。
    報恩講、それと同じかどうかはよく分かりませんが、私の子供の頃は年の終わりにお坊さんが来て下さって、お経を読むなんて風景が当たり前のようにありました。
    何処の家でもそうでしたから、お坊さんは超多忙で、だから師走という言葉もできたのだとか。

    私の嫁いできた家は、お坊さんが熱心?ではないせいか(バチあたりな表現ですね)家に来ていただくことはほぼありません。
    それどころか、法事などでのお経もすごく短いのです。
    信心深い義理の叔母はどうやらそれがとても不満のようで。
    でも私達のような熱意にかける凡人?には、それはそれはとても有り難いことでしてね。(笑)

    自分がお世話になる日も近い年になってさえ、仏事に熱心でないのはどうもいけませんね。反省です。

    のこちゃんには又、大切なことを教えられた日となりました。
    これからもず~っと、有り難い教えなどのおすそ分けをどうぞ宜しくお願いします。

    作者からの返信

    ローバちゃん、こんにちは😊

    もしかしたら、年末にお坊さんがお参りされるのはこの報恩講に当たるのかもしれませんね。
    そういえば私も師走の由来、聞いたことがあります。
    年末はお坊さん、多忙なんですね。

    お寺の方針にもよるのだと思います。
    お寺によっては、家に訪問せずお寺で行われるところもあるようです。
    我が家の場合は、何故か家に訪問されます。
    私も決して熱心な信者ではありませんが、家に訪問されるので嫌とは言えませんね(笑)

    ローバちゃんが大切なことを教えられたと仰って下さっていますが、まだまだ私も学びの途中です。
    ローバちゃんに教えて頂くこともたくさんあります。
    こちらこそ、有難いと思っています。

    ローバちゃん、いつも素敵なコメントありがとうございます✨✨

  • 報恩講、初めて聞きました。のこちゃん、こんにちは。

    今、自分があるのもご先祖さま、親の恩、師の恩。
    ありますね。そこに感謝して生きていく大切さ、耳が痛いです、私。

    感謝の気持ちで掃除。
    大掃除にもそんな意味があるのかなって思います。

    仏事って身が引き締まりますね。

    作者からの返信

    ハナスちゃん、おはようございます😊

    私も田舎の実家に帰るまでは、報恩講に縁がありませんでした。
    仏壇に参る習慣もありませんでした。
    両親が元気でいる間は、全て両親にお任せで他人事でした( ´艸`)

    私が実家にいて両親が出来なくなったので、やむなく引き継いだことです。
    しかし、実際に私が引き継いで色々な行事をこなすうちに、こうした報恩講ということにも意味があり大切なことだと思えるようになってきたのです。
    感謝の気持ちで掃除をし、感謝の気持ちで日々を過ごすという忘れていたことを思い出させてくれたように思います。
    ほんと仏事は身が引き締まります。

    ハナスちゃん、素敵なコメントありがとうございます✨✨

  • 報恩講、知りませんでした。
    私の家は年中行事をほとんどしない家でした。あるのは正月くらいでしょうか。諸事情(多分大人の事情)があり盆の墓参りさえ定例行事ではなかったのです。なので私にとってはそれが普通のことだったのですが、お話を伺って節目の年中行事というのは大切だなと思いました。
    のんべんだらりと日々を消化していると、自分であったり家族であったりを見つめ直す機会って案外とないのですよね。節目をつける、はケジメをつける、かな。大切ですね。そんなことを思い起こさせていただくエッセイでした。ありがとうございました。

    作者からの返信

    乃々沢様、おはようございます😊

    これは私が田舎の実家に帰ったからこその行事で、実家に帰るまでの私は、こんな事知りませんでした。
    多少は知ってはいましたが縁がありませんでした。
    田舎の実家ならではの暮らしかもしれません。
    生まれた時から仏壇が家にありました。
    祖父母、父母は毎日、仏壇に参る生活でした。
    私は、小さい頃は親の真似をして参っていましたが、大人になってからは、仏壇に参る習慣は全くありませんでした。
    本当にここ最近、仏壇に朝夕お参りしてます。
    (と言ってもお経を読んだりはしてませんが……)

    今頃になって、日々の生活をする中で、こうした行事がケジメになり節目になっていると実感している次第です。

    乃々沢様、素敵なコメントありがとうございます✨✨

  • 報恩講、本当にお疲れさまでした。
    家を綺麗にして、仏事を行う。のこ様の丁寧な暮らしぶりがとても素敵ですね。

    作者からの返信

    アメさん、おはようございます😊

    いつも私の暮らしぶりまで素敵と褒めて頂き嬉しいです\(^o^)/
    しかし、こういう行事がないと、怠け者のわたくしです( ´艸`)

    アメさん、素敵なコメントありがとうございます✨✨

    編集済
  • 報恩講、お疲れさまでした。

    義実家も同宗派なので報恩講あります。
    こちらは檀家さんが持ち回りで、自宅に皆を招いて軽食を出すのです。
    が!
    コロナで三年前からなくなりました。

    仏壇はこういうときでないとピカピカに磨かないですよね。

    作者からの返信

    つむぎ様、おはようございます😊

    昔、私の嫁ぎ先は檀家さんが持ち回りで、自宅に皆を招いて軽食を出すっていう事をやっていました。
    今でもそういった報恩講をされているんですね。
    (今はコロナでないようですが)

    そうなんですよ。
    この報恩講があるおかげで仏間の床の間から、仏壇から綺麗に大掃除をするので、有難いことでもあります。
    これがないと手抜きし放題だったことでしょう(笑)

    つむぎ様、素敵なコメントありがとうございます✨✨

    編集済
  • 親鸞聖人のお言葉を認めた歎異抄にも救っていただいております。(*'ω'*)

    作者からの返信

    上月様、おはようございます😊

    歎異抄は奥が深いですね。
    以前、歎異抄をひらくの解説をして下さる講演に行ったことがあるのですが、その時も色々考えさせられたり救われたりしました。

    上月様、素敵なコメントありがとうございます✨✨

    編集済