第19話

「……遅かった。マイマイはもう」


 声が聞こえる……。

 なんだか、凄い聞き取りにくいけど、これは間違いなく織納さんの声だ。なんで、こんなに聞き取りにくいんだろう?

 辺りは凄い真っ暗だし……。


「そんなことないです! 舞兎くんは……生きてます!」


 あ、こんどは生形さんの声も聞こえてきた。

 泣きそうな声だけど、また何かあったのかな……?

 ぼんやりとした頭で二人の会話に耳を澄ませる。


「スイスイ。気持ちは分かるけど現実を見なきゃ駄目だよ。道中のモンスターは死んでいて、こいつは生きているんだからさ……」


「でも――」


「マイマイは死んだんだよ! だから、今はモンスターを倒すことだけに集中しないと!! 私たちまで負けるわけには行かないんだからね!」


 俺が死んだ?

 何を言ってるんだ。

 こうして二人の会話がちゃんと聞こえているのに……。


「そうだ……俺はあの大蛇に喰われたんだ!」


 ようやく、意識がはっきりとしてきた。

 自分の身に何が起きたのかを思い出したぞ。


「ここは、大蛇の腹中ってわけだな」


 俺の意識が完全に目覚めると同時に、五感も機能を取り戻したのか、脳を刺すような酸っぱさと、肉が溶けて腐った匂いが俺の鼻を一気に流れ込んでくる。

 喰われたのならば、俺も消化されておかしくはない気がするが――。


「……そうか。俺は【蒟蒻石こんにゃくせき】だから、消化されにくいのか!」


 どんな構造を持っているにしても、身体が無機物になっていることには変わりはない。


「胃で消化されにくいなんて特性……普通だったら知ることも出来ないって」


 思いがけぬ【蒟蒻石こんにゃくせき】の特性を知れたことは、嬉しいんだけど……。

 外から声が聞こえてくる。


「下がってて。責任を持って私がこいつを倒すよ」


 織納さんは、クジさんを同行させたことに責任を感じたのか、自分がこの大蛇を倒すと宣言していた。


【ダンジョン】を脱出したスイさんが、助けを呼んで来てくれたんだ。

 そして、崩れた入口を壊して中に入ってきたと。


「織納さんの【適能てきのう】があれば、あんな瓦礫くらい簡単に吹き飛ばせるもんね」


 いや。

 瓦礫だけじゃない。

 大蛇だって簡単に倒すことができるだろう……って、ちょっと待って。この状態で大蛇を吹き飛ばされたら、中にいる俺まで粉々になる可能性があるじゃないか!

 そのことに気付いた俺は足に粘りつく胃液を掻き分けて、胃壁に近付いて叫んだ。外からの声が聞こえるということは、こちらから声も届くはず。


「織納さん! 俺はまだ生きてますって!!」


「……蛇が喋った? ふん。いっちょ前に知性を手に入れたんだ。でも、私は惑わされないよー?」


 どうやら、俺が生きていることが信じられないのか、大蛇が生き延びるために喋っていると思ったらしい。

 織納さんの勘違いを正さねば俺も死ぬ。

 胃の壁を叩きながら必死に叫ぶ。


「ちょっと、だから俺ですって。板子いたこ 舞兎舞兎です!! 子供の頃に親友に血を舐めさせ、【ルッカ学園】ではクラスメイトを目の前で失った情けない男です!」


 自分で言っていて本当に情けなくなってくる。

 ましてや、俺が今いる場所は大蛇の胃の中だし……。

 だが、それを聞いた織納さんは、ようやく喋っているのが俺だということに気付いたようだ。


「なんだ、生きてたんだー。意外にしぶといんだね」


「自分でも幸運だとは思いますけど……」


「幸運ねー。今聞くと笑えないけど」


「ですね。とにかく! 俺は自分で脱出するので、織納さんは【適能てきのう】を使わないで下さいね!!」


「……ちぇ。久しぶりにモンスター倒せると思ったのになー」


 織納さんが口を尖らせた姿が、見えなくてもはっきりと目に浮かぶ。不満を言ってるけど、俺の言うことを聞いてくれたようだ。


「うおっと!」


 しかし、大蛇は俺の脱出を待ってはくれない。外から織納さんの力の籠った声が聞こえてきた。どうやら、大蛇の攻撃を裂けたらしい。

 腹部までは動かしてないからか、ここは凄い静かだけど。

 でも、だからって脱出に時間を掛けることは出来ない。


「外は固いだろうけど、内側は脆いはず」


 俺は壁を手で触る。

 鱗のような硬さはなくブヨブヨとした肉の塊だった。これなら――切り裂ける。

 俺は指と指を組んで目を瞑る。

 意識するのは巨大な大剣。

 岩の剣は真っ直ぐ伸びて大蛇の身体を貫いた。


 胃液と血液が混じりながら、闇に光が差し込んでくる。

 胃袋が外へ開いたんだ。

 俺は空いた穴を広げるために、グッと腕に力を込める。

 一度、開かれた皮膚は脆く、ジッパーでも動かすみたいに簡単に裂けた。


「た、ただいま戻りました」


 俺は胃から這い出て顔を上げる。

 外の眩しさに目を細めるが、上げた視線には二人の女性がしっかりと立っていた。


「……良かった!」


 ぎゅっとスイさんが俺を抱きしめる。

 スイさんの身体は暖かかった。

 大蛇の胃も生暖かったけど、この温もりとは大違いだ。死ではなく生を感じる暖かさとでも言えばいいのか。


「俺、今、結構汚いよ?」


「いいの! 無事だったんだから!」


 大蛇の胃液と血液にまみれているんだけど、そんなことは気にしていないらしい。そんなスイさんに俺は、力なく笑って見せた。


「食べられてるから無事とは言えないんだけど……」


 俺はスイさんに抱きしめられたまま周囲を見渡す。胃の中から聞こえていた声の通り、【ダンジョン】に来たのは織納さんとスイさんの二人だけだった。


「あれ? クジさんはどうしたんですか?」


 俺の疑問に織納さんが答える。

 スイさんと違って、いつもと変わらぬテンションだった。


「あんな運勢最悪なクジを連れてこれないよー。だから、さっさとギルドに帰らせたよ。もっとも、無事に帰れるかどうかは分からないんだけどね」


「……確かに」


 今のクジさんは、【ダンジョン】の出入口が崩れるほどの不運を持っている。

 果たして、車や人が闊歩する世界を無事に切り抜けられるのか?

 【凶】を出したのは俺の所為でもあるから、少しだけ心配だった。


「けど、少しだけマイマイを見直したよ。食べられはしちゃったけど、結果的には一人で【ダンジョン】を攻略したことにはなるもんね」


 大蛇を倒したのも舞兎だし。

 織納さんはそう言うと、少しだけ嬉しそうに――はにかんだ。


「……ありがとうございます。でも、二人が来てくれたから、目を覚ませたので……」


「そんなことないよー。どうせ溶けなかったんだから結果は同じだよ。だから、【欠片あれ】は、舞兎が回収しなよ」


 織納さんが指差したのは、【ダンジョン】に一つしかない行き止まり。そこに祀られているのは黄色く輝く推奨の【欠片かけら】。

【ダンジョン】を生み出す元凶だった。


「……」


 織納さんの言葉に黙って頷いた俺は、ゆっくりと【欠片かけら】の前に移動した。

 そっか。

 俺が【ダンジョン】を攻略したんだ。

 学園でも攻略したことはなかった。

 これで、少しだけ、本当に少しだけ――俺が命を奪ってしまった親友の為に前に進めた気がした。


 そのことが嬉しくて、身体の内側から熱いモノが込み上げる。

 熱さを吐き出さぬように口を閉じて堪えるが、それでも熱は逃げだそうと瞳から零れる。


「どうしたの? 泣いてるの?」


 そんな俺を見て、織納さんが嬉しそうに笑う。

 俺が生きてた時でも、そんな表情浮かべなかったくせに。


「良かった、良かったよ~!!」


 笑顔を浮かべる織納さんとは対照的に、スイさんは号泣していた。

 俺よりも泣いてるんじゃないか? 

 笑顔と涙に囲われた俺は、涙を拭い【欠片かけら】に手を伸ばす。


「【ダンジョン】攻略完了!」


 俺が【欠片かけら】を取るとダンジョンは消え――目の前には古びた空き家が現れた。

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