第5話

「【タウラスと牡牛】――」


 俺は目の前にあるギルドの名を呟いた。


【タウラスと牡牛】


 それは、【ダンジョン】を攻略する・・・・ために作られたギルドであり、俺が所属する予定だったギルドだった。

 ここにはオリナさんも所属している。


「大丈夫……。俺はここに入るって決めたんだ」

 

 俺は学園が再開するまでの一か月。

 ひたすらオリナさんの言葉を考えた。

 モンスターも【ダンジョン】も待ってくれない。なら、俺が動いてやると、決心した俺はここに立っていた。


「よし……!」


 扉を押す。

 カランと命を掛けるギルドとは思えない、昔ながらの喫茶店のような鐘が響いた。

 澄んだガラスの音に耳を済ますように、中にいた人物は瞳を閉じていた。酒場のようにテーブルが並べられた一角。

 そこに一人の男が座っていた。

 髪型はオールバック。襟元には毛皮が付いたコートを羽織っていた。コートの下は鍛え上げられた肉体のみ。腰には二本の刀が携えられていた。

 だが、何よりも目を引くのは首に巻かれた黒い包帯。怪我をしていないのに、常に巻かれている包帯は不気味だった。


「待ってたぜ? イタコ マイト」


 男はゆっくりと目を開く。

 少年のような輝きと、大人のような濁りを持った瞳。

 睨まれただけで動きが重くなる。

 俺は、視線から逃げることなく男の名を呼んだ。


「……臥牛がぎゅうさん」

 

 男の名前は臥牛がぎゅう 王丑きみひろ

 ギルド――【タウラスと牡牛】のリーダーだった。

 この人には既に何回か会ってはいるが、未だに底が見えない。顔を合すたびにこの空気に押しつぶされそうになる。

 俺の想いはここに来る前に告げていた。

 しかし、ガギュウさんはオリナさんの上司ともいえる立場だ。

 きっと、俺が所属するのを快くは思わないだろう。


(だから、自分の力で納得させるんだ)


 俺は自分に言い聞かせる。

 名を呼ばれたガギュウさんは、座っていたテーブルから立ち上がると、


「この度は、ご愁傷様でした。一人だけ生き残るってのは辛いことだよな」


 俺に対して深々と頭を下げた。

 ここまで深いお辞儀を俺は見たことがなかった。


「へ?」


 最初に俺を配慮した言葉で出迎えてくれるとは思わなかった。想定外の対応に俺は気の抜けた声を出してしまった。

 そんな俺に笑顔で近付き肩を組む。


「でも、お前はここに来た。って、ことは――特別枠じゃなく、普通のメンバーとしてギルドに所属したいってことでいいんだよな?」


「……はい!」


 俺は力強く頷いた。

 元々は、俺の【適能てきのう】を使えると判断したガギュウさんが、特別枠として所属することを提案してきていた。

 独り立ちするまで世話をしてくれると言ってくれていたのだ。


 だが、今は違う。


【タウラスと牡牛】に所属するために、正式な手順を踏もうと俺はしていた。

 特別じゃない。

 ちゃんとしたメンバーとして【ダンジョン】を攻略したい。

 それが、俺に出来る唯一の贖罪。


「そうか。だったら――遠慮はしないぜ?」

 

 ガギュウさんは腰に携えた鞘から、一本を選んで引き抜く。

 鋭く鍛え上げられた刀が鋭く光る。

【タウラスと牡牛】に所属するための正式な条件――それは臥牛さんの一撃を正面から受けると言うモノだった。

 学園での成績も実績も関係ない。

 今、この場でどうするのか――それが求められている。本当、無茶苦茶な所属試験だよ……。たしか、一昨年の卒業試験で先輩が傷だらけになって帰ってきたっけ


「おらよ!」


 気合の言葉と共に、ガギュウさんは、握る刀を力強く地面に突き刺した。垂直に振り降ろされた刀は、「ズブッ」と沼に沈んだかのように床に飲み込まれていった。

 ……俺はガギュウさんの【適能てきのう】を知っている。

 沼沢と同じ『沼を生み出す力』ではない。


「モオォォ!!」


 俺が身構えると同時に、地面から一匹の牛が現れた。

 牧場でみたことがある白黒の穏やかな牛じゃない。

 どちらかと言えばモンスターに近い牛だ。頭部から伸びた角は前方に生える。それは敵を倒すための武器だった。


 カッカと蹄を鳴らす。

 早く俺に飛びつきたいと鼻から大きく息を出すその姿は――まるで牛鬼だ。


「行けぇ!」


 ガギュウさんの合図と共に、牛が俺目掛けて駆け出した。

 これこそが、ガギュウさんの【適能てきのう――刀牛とうぎゅう】。

 刀を牛に変化させる能力だ。

 この迫力を前にしたら、試験なんて関係なく、今直ぐにでもこの場から逃げたい。ましてや、正面から攻撃なんて受けたくない。


「……でも、逃げてたら変わらないって気付いたんだ」


 ここで逃げたら、クラスメイトを助けられなかった俺に戻ってしまう。

 それは絶対に有り得ない!


「うおおおぉ!!」


 刀牛は俺の腹部を突き上げるように、二本の角を振り上げた。

 俺は目を見開き突進を腹部で受ける。

 その衝撃はバイクにねられた時よりも強い衝撃だった。でも――これくらいなら耐えられる。

 だって、俺の身体は『こんにゃく』なのだから。突進の衝撃を逃がすように、ぶつかった腹部が「ぐにゃり」と曲がった。

 手応えのない身体を通り抜けて牛は壁に激突する。


「合格だ。流石は俺が見込んだ【適能てきのう――蒟蒻石こんにゃくせき】だな。まさか、形状を変化させずに受けきるとはな」


 正面に立つガギュウさんが、手を叩いて俺を祝福する。

 俺の【適能てきのう】は大きく分けて二つの段階がある。


 一つが身体を蒟蒻石こんにゃくせきに変化させること。この場合、攻撃力は皆無と言っていい。過去の傷を乗り越えられなかった俺は、ここまでしか人前で扱うことができなかった。


 そして、次の段階が――石のピースを組み替えることで硬質、変形させることだ。

 ガギュウさんは、その力を使わずに一撃を受けたことを大げさに褒めた。


「本当、お前が自分の意志でこのギルドを選んでくれて良かったぜ。お前は強い!」


「そんな大したことは――」


「あるさ。現にお前は大勢が死んだ【ダンジョン】で生き残った。凄い力を持ってるんだから――もっと誇ろうぜ?」


 俺を襲った牛はゆっくりと、ガギュウさんの元へ歩いた。主人の身体に甘えるように顔を擦りつけると、透明になって鞘へ収まる。

 強い人間はその強さを背負って生きていく必要があると――ガギュウさんは刀に戻った牛を撫でた。


「ほら、ちゃんとテストもしたから、オリナも納得して迎え入れようぜ?」


 ガギュウさんがギルドの奥に向けて声を出した。

 すると、


「……ムカツク。ムカツク、ムカツクよー!」


 部屋の奥から、四文字の言葉を呪言じゅごんのように繰り返しながら、オリナさんが現れた。

 ガギュウさんの隣に立つと、俺を力強く睨む。

 しかし、ガギュウさんの身長が高いからか、余計、オリナさんの身長の低さが露見する。心なしかこないだよりも怖くなかった。


「私が折角、忠告してあげたのに、なんで来てるんだよー! あれじゃあ、私が嫌な奴みたいになるじゃんか!」


 バタバタと、オリナさんは、コートに隠れた手足を動かす。

 その頭をガギュウさんが撫でた。

 まるで、子を宥める親のような表情。たしか、二人の年齢はそう離れてなかった気がするけど……。

 ガギュウさんは確か二十代後半。

 オリナさんは20才だった気が……。


「ま、オリナもオリナなりに、お前を心配してたんだよ。【ダンジョン】の攻略は危険だから悲劇も多い。そんな場所にお前を関わらせたくなかったんだ」


「は? な、何言ってんだよ、リーダー! 私は別にそんなこと考えてないし。人は言葉を表面通り受け取った方が幸せになれるんだよ!」


「そしたら、お前は嫌な奴のままだけどいいのか?」


「それは……嫌だ」


「だろ? だったら、この場ではなんて言うのが正解なんだ?」


「うう……」


 動かしていた手足を止めて、小さな足を動かして俺に近付く。

 まさか、今度はオリナさんがテストをするとか言い出すのか? いつでも【適能てきのう】を発動させる準備をして、彼女の動きを観察する。

 俺の目の前までやってきたオリナさんは小さく手を前に出した。


「――っ!」


 俺は身体を【蒟蒻石こんにゃくせき】に変化させて構える。

 だが、オリナさんは攻撃のために手を出したのではなかった。


「ようこそ、ギルド――【タウラスと牡牛】へ」


 小さな手が黒いコートから覗く。


「あ、は、はい」


 さりげなく、【適能てきのう】を解除した俺は、差し出された小さな手を握った。ぶんぶんとそっけなく上下に腕を振ると直ぐに手を放して、ガギュウさんの元へ戻った。


「これでいい、リーダー?」


「ああ。上出来だ。いい子だぞ、オリナ!」


 わしゃわしゃと空色をした長い髪を撫でらるオリナさん。その顔はとても嬉しそうだった。

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