第2話『それは土砂降りの夜』

 あくる日、村を出た旅の男は老主人から聞いた「蜘蛛のバケモノ」が出るという山へ出立した。


「で、少年はなんで俺の後を付いてきているわけ?」

 山林の奥へ奥へと進む旅の男は茂みに向かって問いかけると酒場で働いていた少年が観念した様子で出てきた。

「なんでバレたんだ?」

「尾行するならするで、物音ぐらい消す努力はしろって。ともかく、さっさとあの酒場──宿屋か?──に戻ったらどうだ?」

「ヤだ! 前も言ったろ、オレはもっと強くなってこの国を平和にするんだ。だから、あんたに着いていくんだ!」

 そう言い放つ少年を旅の男は呆れ顔を隠そうともせず言葉を返す。

「あのなぁ、俺の旅はそんな面白可笑しい物じゃないし、ましてやお前さんの面倒を見るつもりなんてのは毛頭ない。まだこの辺りなら引き返すのも簡単だろ。大人しく村に帰って、あの二人を守ってこい」

 野良犬でも払うように旅の男は言い放つ。

 とはいえ、少年の力量程度では不意に現われ人間を襲う魔獣や知性を持って里村や市街を襲撃する魔物に太刀打ちできるものではない。しかし、旅の男はあの二人を少年自身を含めてなんとか逃げるぐらいは出来るだろうと考えていた。

 そして少年は旅の男の言葉に逡巡するも、意を決したように反論する。

「オレは……オレはまだ弱いから、きっと二人を守るなんて出来ない……だから守れるぐらいにはちゃんと強くなりたいんだ……!」

 うつむき、拳を握りしめる少年の言葉を聞き届けた旅の男は空を仰ぎ深く息を吐いた。

(少年は少年なりに考えて行動してるって訳か……ただの面白半分好奇心多めのガキんちょなら強引にも突っ返せたんだがなぁ)

 旅の男は空を見上げつつ、どうしたものかと考えを巡らせる。

 旅の男はこうした願いを無下に出来るほど人が悪くはない、むしろ表向きは蔑ろにしつつも、つい面倒を見てしまう方の人間だった。

(仮に少年があの村に戻ったとして、守り切れるとも限らないか……)

 そう結論づけた旅の男は少年に告げる。

「はぁ……それじゃあ、着いてきたけりゃ勝手にしな。俺はもう知らん」

 そう言うと旅の男はきびすを返し山林の奥へ奥へと進んでいった。

「あ、ちょ! 待ってくれよ!」

「待たない」


 それから二日経ち、四日経ち、七日が過ぎた。

 旅の男の足ならば既に目的の山に着いていてもおかしくはなかったが、少年の歩きに合わせていたので大幅に予定がずれ込んでいた。

「さて、陽も暮れてきたし、今日はここいらで野宿だな。本格的な調査は明日からってところか」

 そう言うと旅の男は手に持った大ぶりな金属杖を地面に刺し、杖の頭に付いている輪の中に手を入れる。その輪の中は水晶の膜のような物が現われており、旅の男の手は輪の外へは飛び出ずに、あたかも寸断されたかのような様相を呈していた。

「何度見ても見慣れねぇ……」

 少年のそのつぶやきを旅の男は意に介さず、まさぐるような動作をしたのち、野宿に必要な道具一式を揃えた。

「魔法って戦う為だけの力だと思ってたけど、そういう便利なのもあるんだな」

「いや、これは魔法っていうか科学って言うか……つまるところ物質が持つ量子ミクロな情報を記録セーブしておいて、必要な時に必要な魔力エネルギーと共に物質を顕現ロードさせる技術で──知恵熱出してる顔してるな──まぁ、いいや。魔法ってことでいいぞ。どうせ大した区別は出来ないし」

 小話を挟みつつ、旅の男は慣れた手つきで野宿の支度を済ませると、同じように野宿の準備を済ませた少年に語りかける。

「しかし二日か三日ぐらいで音を上げると思っていたが、思ったより根性あるじゃないか、少年」

「あのなぁ、その“少年”って言うのいい加減止めてくれよ、オレにはアーサーってちゃんとした名前があるんだからよ」

「アーサー……アーサーねぇ、エクスカリバーでもご所望ですか?」

「なんだよ、“えくすかりばー”がなんだか知らないけど馬鹿にすんなよ!」

「ははっ、悪い悪い。別に馬鹿にしたつもりじゃないんだがな、単語が分からないと洒落にもならないか」

「ったくよぉ……オレが子供だからって訳わかんねぇことばっか言いやがって」

「別に子供だろうが大人だろうが俺の言うことは分からないと思うぞ。っていうか、理解されたら逆に困るんだけどな」

「なんだよそれ」とアーサーがこぼすと、不意に気付いたように旅の男に問いかける。

「そういや、アンタの名前もオレ知らねぇのか……なぁ、なんて名前なんだ? それぐらい教えてくれてもいいだろ」

「名前ねぇ、名前なんて知ってどうするんだ。別に長い付き合いになるわけでもないし」

 旅の男に素っ気なく返されたアーサーは不満げに言葉をもらす。

「名前は大事だろ……オレだって、名前が無けりゃ何者でも無い──ゴミみたいなもんだ……」

 冷え込む夜のせいか、アーサーはうつむき気が滅入ったような口ぶりだった。

「中々に哲学なことを言うな。名前が意味を与えるのか、意味が名前を与えるのか。お前さんはどうも名前が先に来てるみたいだが?」

 旅の男も少年──アーサーをイジメすぎたかと思い、多少は会話を交えられるよう言葉尻を飛ばす。さりとてアーサーがなにも語らないのであれば、そのまま寝入るつもりだったが。

 その旅の男の言葉を受けて、アーサーは少し考え込む。それは自分の過去を話すべきかどうかという逡巡だった。

 しばらくして旅の男は寝入ろうかと毛布を深くかけ直すが、アーサーがぽつぽつと語り始めたので深くかけたまま、とりあえずその話を聞くことにした。


「オレの名前……“アーサー”って名付けたの、同じ孤児院に居たエレインって名前の女の子でさ。そいつはそこにあった本とか沢山読んでて頭も良くって、俺の名前ってお気に入りの小説の主人公の名前なんだって──その主人公みたいな『勇者』になれるからって笑って言ってくれるようなやつで、小さい奴らの面倒とかも嫌がらずにやって、オレも皆も、きっと良いところの家の人に拾われるって言ってたんだ。でも──」




──それは土砂降りの雨の日だった。


「おやすみ、アーサー。でも、雨の音でぐっすり眠れないかしら?」

 背を向けたアーサーに優しく告げる少女、エレインはアーサーの返事を待つもふて腐れた彼は意を介さずそのまま自室へと帰っていた。

 アーサーの機嫌が悪いのは、引き取り手の決まったエレインが明日には養親の元へ出立するからだった。

 それは親という存在が出来た彼女への幼い嫉妬であり、無自覚な恋心が生んだ離別への反発に過ぎなかった。

 そうして自室──といっても、他に五人ほど相部屋の寝る為だけにあるような狭い部屋だったが──に戻ったアーサーは同室人に目もくれず布団ベッドに潜り込んだ。

 しかし、同室人が寝静まる時間になってもアーサーの頭の中を駆け巡るエレインとの思い出と耳の奥にまで叩き付けるような雨の音が彼を眠らせなかった。

「水でも飲もう……」

 一人、音も立てずに水飲み場へと歩くアーサーは道中にて部屋灯りの中に居る二人の男の話し声を聞く。それは普段聞かない声であり、一人は普段力仕事を任されている事務員、そしてもう一人はこの孤児院の経営者であった。


「でも良いんですかい? あの六十八番……エレインとか名乗ってるガキ、色町に売り飛ばしても。そこより貴族なんかに売りつけた方が高く買い取られるんじゃないんですかい?」

「バカが。魔力の素質があるならともかく、こんなとこのガキを買いに来る貴族なんぞあれこれ屁理屈つけて二束三文で買い叩かれるのがオチだ。他の愚図ならそれでも十分だが、あいつは顔も体も良いからな、色町にでもふっかけて売り飛ばした方が実入りは良い」

「まぁ、確かに胸も尻もガキとは思えねぇですもんね」

「おい、だからって今夜手を出そうとか考えるなよ。アレは処女で売る契約なんだからな」

「わぁってますよ。しかし、今のご時世そこらに居るガキを適当にひっ捕まえるだけで簡単に儲けられるんだから、いい世の中っすねぇ」

「全くだ、これも全部、国からの助成金様々だ。こいつが無ければこんな面倒なこと誰がするか」

 男二人は酒も入っているのか上機嫌で話をしている。

 そんな二人の話を隠れて聞いていたアーサーは足音一つ立てずにその場から立ち去る。

 蛮勇さでもあれば今すぐ部屋に押し入り正義感をむき出しにして立ち向かっただろう。

 しかし、彼はそれほど無謀ではなかったし強さを過信できるほど愚かでもなかった。

 雨の音が幸いして、男二人に気付かれず、アーサーはエレインの部屋の前までやってきた。

 アーサーは色町がどんな所かは知らなかったが、あの二人の口ぶりからして劣悪な場所であろうことは予想できたので、ここから逃げだそう、二人で逃げだそうとやってきたのだ。

 そうして戸を叩こうとするがアーサーは躊躇ちゅうちょする。この選択は正しいのだろうかと。あの男二人は悪人かもしれないが、いつも世話をしてくれる女の人達はみなしごである自分たちにも優しく接してくれていたのだから、これは単なる自分の思い過ごし、たち悪い妄想である可能性が頭をよぎったからだ。

 そして、もしここから逃げ出したとして、身寄りもなく力の無い子供二人がどうやって生き延びられるというのだろうか。そんなあての無い可能性に無責任に連れ出すより、このまま色町とやらに送り出した方が幸せになれるのではないだろうか。

 そんな考えがアーサーの幼い頭を駆け巡り、とうとう戸を叩かずに彼は自室へと引き返すのだった。


 土砂降りの雨はなお強く降り続けていた──




「──結局、オレはなにも出来なかったんだ。ただ黙ってアイツを見送るしか出来なかった。折角、“主人公の名前”を貰ったってのにさ……」

 後悔の痛苦に呻くような声でアーサーは語った。旅の男はそんな彼の話を黙して語らず聞き届け、言葉を返す。

「それで、無力のままでいるのがいやで孤児院を飛び出したってところか? 他人を巻き込んでないとはいえ、随分と無茶をするな」

 実際、アーサーは行き倒れてしまっていたので返す言葉はなかった。

 しばし、沈黙が続く。

 そして、そんな沈黙を旅の男が唐突に破る。

「アルファ」

「は、なんだよ急に」

「名前だよ、俺の名前。知りたいって言ってただろ? お前さんの昔話の報酬代わりだ、有難く受け取れ」

「なんだよ、それ……っていうか、本名かよ。絶対嘘だろ」

「本名はとっくの昔に忘れた、というか──いや、いいか──それよりソロモンとかでも良かったが、ちょいと仰々しい。とにかく、ほら、明日も早いからさっさと寝とけ」

 話はおしまいと旅の男──アルファは毛布にくるまり、アーサーもしぶしぶ眠りについた。

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