*7* 慰

 赤いポストの表面に、べっとりとこびりついた飛沫がある。

 あざみに続いて上空から着地すれば、ひとけのない駐車場に、凄惨な光景がひろがった。

 赤黒い飛沫で塗りつぶされたアスファルトの中心に、黒いもやをまとった鳥のようなモノがいる。


「猫を貪り喰うすずめか。どこかのホラーシーンの冒頭にありそうだな。小説の一篇でも書けそうだ」


 むろん、猫より大きなそのずんぐりむっくりが雀のかたちをした異形であることくらい、葵葉あおばも理解しているだろう。


「あれが〝ヤスミ〟ですか。なんとおぞましい」


「穢れが集まってうまれた不浄のモノ。野放しにすれば、人も動物も関係なく、生あるものを襲います」


「やはり、見過ごすわけにはまいりませんね」


「的はでかいな。とりあえず、ぶっ飛ばすか」


「お待ちを。ここはわたくしが」


 葵葉を制し、歩み出たのは莇だ。

〝慰〟は息絶えた猫の腹を貪るのに夢中で、こちらに気づいてはいない。

 格好の機会を見逃さず、莇は腰帯に差した短刀を目にも止まらぬはやさで抜くなり、投げ放つ。


「はっ──『ばく』!」


 短刀は〝慰〟の脳天に命中。さらにすばやく指を組み、印を結んだ莇が言霊ことだまを発すると、閃光が走る。

 短刀の柄から伸びた光の縄が、またたく間に〝慰〟を雁字搦めにする。「ヒギィッ!」と悲鳴を上げた巨大な雀は、ころりと後方へ転がった。


「ただ不浄を祓うだけでは、〝慰〟は消滅しません。まず動きを止め、穢れの『核』を──」


 印を結んだまま、莇が砂利を踏みしめた、そのときだ。


「ギェエエエッ!」


 およそ雀とは思えぬ、金属を引っかいたかのごとき叫びがこだまする。

 硝子の瓶が割れるような音とともに、〝慰〟を拘束していた光がはじけ飛ぶ。


「なっ──!」


 驚愕に目をみはる莇。その体躯が、まばたきのうちにアスファルトへ叩きつけられる。

〝慰〟の翼が巻き起こした突風の直撃を食らったのだ。


「ぐぁッ!」


「莇さん!」


 とっさに受け身を取った莇ではあるが、風に揉まれ、後頭部をしたたかに打ちつけてしまう。

 脳震盪のうしんとうにみまわれているのか、苦悶の表情のまま、立ち上がることが叶わない。


「ギィッ! シャアアアッ!!」


 莇のこめかみを伝う血のにおいに反応したのだろう。紅にまみれたくちばしを開け、せわしなく翼をばたつかせる〝慰〟の目玉は、左右でちがう方向を向いている。まさに、怪物。


「あいつ、目はよく見えていないんじゃないか。その代わり鼻はきくみたいだ。雀のくせに」


「血に反応するとなれば、負傷した莇さんの身が危険です」


「お荷物だな。実力もわきまえず、しゃしゃり出るからだ」


「葵葉!」


「わかってる。さっさとアレを消せば問題ないだろ。それではともにまいりましょうか。お手をどうぞ、姉さま?」


「もう……」


 芝居がかった葵葉の言葉には多少の不安が尾を引くものの、やるべきことは、とうに心得ていた。


「心臓のあたりに、もっとも濃い瘴気を感じます。穢れの『核』……あれを断ち切れば、終わります」


「了解」


 差し出された葵葉の手を取る。


(わたしは刀)


 何百年もの時を経て人の身を得たとて、その本質は変わらぬ。

 歩み出た葵葉が二度腰を折り、二度手のひらを打ち鳴らす。


「諸々の禍事まがごと罪穢つみけがれを祓えたまい、清め給え。かむながら守り給い、さきわえ給え」


 清流のごとき祝詞のりとに、こころの波は凪ぐ。

 紫水晶の瞳は隠され、少女は静かに、耳をかたむける。


かしこみみ畏みもうす──鼓御前つづみごぜん


「──よろしい


 おのが名を呼ぶ言霊に、応えたなら。

 目のくらむような光が、ほとばしる。


 やがてまばゆい光が集束したとき、少年の右手に、ひと振りの刀がにぎられていた。

 漆黒の刃をもつ、脇差わきざしが。

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