第三節 未熟さが身に沁みる
ラントに支えられながら、レイとケルスはエイリークを寝かせているベッドの近くの椅子に座る。瞼をピクリとも動かさないエイリークを前に、己の無力さがのしかかる。
現時点で何もできることがない事実に、歯噛みするしかできないなんて。
「……ぜんぶ、僕のせいです……」
静寂に包まれていた空間に、ぽつりとケルスの言葉が零れる。隣に座っているケルスを見れば、彼の瞳からは大粒の涙が流れていた。
「ケルス……」
「あのとき、僕が……。僕がエイリークさんにも、みなさんにも、ロプトに似た人と会っていたと伝えていれば……。エイリークさんを、こんな目に遭わせることもなかった……」
それは襲撃される前まで遡る。
宿泊していた宿で、レイはケルスからロプトに似ている人物――実際はロプト本人であったことが証明されている――と、時々会っていたことを聞かされたのだ。ロプトについて詳細を知らなかったケルスは、自分がまさかそんな恐ろしい人物と会話をしているだなんて、到底思わなかったらしい。
ロプトと初めて出会ってから数日後、レイからロプトという人物の話を聞いたことで、悩んでいたのだと彼は懺悔を始めた。
ロプトは過去の経験から人間を恨み、この世から人間という種族を滅ぼそうとしている。決定的な証拠も何もないのに、人を疑うなんてことはしたくないとケルスは告白した。とはいえ信じたい気持ちを持ちながらも、何処か信じ切れてなかったのだと心情を吐露していた。
そんな己に自己嫌悪を抱くも、ケルスは一国の国王。ケルスという一人のヒトとして立ち回る以前に、国王として己が取るべき行動とはと、迷いに苛まれていた。
ケルスは心が優しすぎる。優しすぎて、だからこそ傷付きやすい。さりとてケルスの優しさは、そのまま彼の美点でもある。
苦悩していたケルスにレイは、己の心のままに生きてもいいのではないかと、助言をした。レイの助言にケルスは、ならば今はロプトに似ている人物を信じようと決めたのだ。
その結果、エイリークが目の前で倒れた。原因は己にあると、彼は人一倍責任を感じているのだろう。しかしそれはケルスのせいではない。ケルスの信じようとした気持ちを、ロプトに利用されただけなのだ。
「それは違う、お前のせいなんかじゃないよ」
「そうだぜケルス。あの時は誰も奴の攻撃を見切れなかったし、なによりあの場にいた全員が全員、聞かされていた話の内容に動揺もしていた。誰のせいでもないさ」
「だけど実際にエイリークさんは深手を負って、今もなお苦しんでいます。それにさっきも冷静になれなくて、自分の気持ちを優先して、エイリークさんを見殺しにしてしまいそうになった……!」
「それだって……仕方ないことじゃないか。ヴァダースは、ケルスの
「でも僕は人命よりも、個人的な感情を優先させてしまいました。それがなによりも、僕自身が許せない……!」
ケルスの悲痛な言葉に、レイもラントもかける言葉を見失ってしまう。痛々しい彼の姿に、レイはケルスの肩に手を置く。
「ケルス……」
「っ……どうしよう、僕のせいでエイリークさんが死んだら、僕はっ……!!」
とうとう抑えきれなくなったのか、ケルスは嗚咽を漏らしてレイに縋りつく。震えているケルスを優しく抱きしめれば、ケルスはさらに声を上げて涙を流す。ラントもケルスの頭を撫でながら、彼を慰める。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……!僕のせいで、ごめんなさい……!お願いだから、どうか死なないで……!!」
「大丈夫、まだ大丈夫だケルス。グリムが今、解毒薬を調合している。師匠たちだって、俺たちを信じてエイリークのことを託してくれた。俺とケルスには、エイリークを助けられるかもしれない力があるって、みんながそう言ってくれてる」
「そうだな、それにまだエイリークは生きている。生きている限り、助かる可能性だってゼロなんかじゃない。お前は一人じゃないんだから、大丈夫だ」
「レイさん、ラントさん……僕……!」
「助けよう、俺たちで。エイリークがまた、ケルスに笑ってくれるように」
「っ……はい……!」
それからしばらく経ち、ケルスが泣きんだ頃。グリムがレイたちの元に戻ってきた。彼女は何かしらの液体が入った瓶を持っている。彼女はレイたちの表情を確認してから、話し始めた。
「休めたようだな。これから治療の最終段階に入る」
「最終段階ってことは、解毒薬が完成したのか!」
「ああ、無事に調合できた。点滴の溶液として、すでに少量投与している。ゆえに解毒は始まっているだろうが……この薬品を血液の代用にするために、貴様らの術の力が必要だ」
「血液の代用って、そんなことができるのか?」
「本格的な医療技術としては確立されていないが、今はこれしか手段がない。この補法なら血液組織の役割をほんの少しだが、肩代わり出来る」
出血による血液不足も、その方法である程度は改善させることが可能だろうとグリムは告げた。次のレイとケルスの役目は、その薬品に含まれているマナとエイリークの身体を循環しているマナの調律を、ある程度まで合わせることだった。拒絶反応を抑えるため、らしい。
ただし解毒の成分を相殺しないよう、かなり繊細な作業となると、グリムは忠告してきた。それでも、今回の治療が成功すれば命の危機は免れるだろう、とも。ならばやらない手はない。
ケルスも一度泣いたことで少し気持ちの整理が出来たのか、顔にも少し血の気が戻り瞳の光もしっかりと宿っていた。
「わかった。俺もケルスも、いつでもいけるぜ」
「ならば早速治療を始めるぞ。弓兵のは私たちの治療に邪魔が入らぬよう、周辺の監視をしろ」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
「頼むぜラント」
「ああ、任せとけ。その代わり、エイリークのことを頼むぜ」
「もちろんだ」
準備が整い、グリムが再び疑似的な無菌室代わりの結界を張る。今回の治療は大掛かりではないが、繊細な作業が必要なため、より集中力がいるそうだ。
まずは毒の残留が多い個所から、直接液体を馴染ませていく。毒にも多少はマナが含まれており、それをエイリークの体内から感知する必要がある。
感知の能力に関してはケルスが得意とする分野であるため、彼がそのための術を発動。エイリークの身体に外から触れながら、残留の多い部分を探す。ケルスの感知に引っ掛かった箇所を見つけ次第、グリムが直接解毒薬を投与する。
その作業と並行して、レイが薬品のマナとエイリークのマナのバランスを調律させる術を発動させる。外から投与されたマナと身体の拒絶反応を抑えるためでもあり、身体に馴染ませるためでもある。
ヒトと同調できる能力が、今のレイには備わっていた。他人の精神や夢に干渉することが出来る力を持つ、女神の
「――見つけました」
エイリークの身体に手を添えていたケルスが告げる。手始めにグリムがその部分の皮膚を開き、解毒薬を投与し始めた。ケルスは感知の術を発動させながら止血のための術も、同時並行で発動させていく。
彼女の動きに合わせてレイも術を発動させ、グリムの後を追うようにマナを流し込み始めた。解毒成分の邪魔をしないようにしつつ、エイリークの身体に馴染むよう調整する作業は、思っていた以上に難しい。冷静になれと己に言い聞かせながら、バランスを調整していく。
この作業を何度か繰り返し、ようやく最後の毒の残留部分を解毒していく。やがてグリムが最後の縫合をし終えて、息を吐く。
「よし……終わったぞ」
「終わった……?」
「ああ。解毒も無事に終了した。大きな拒絶反応もないうえ、心音も安定してきている。ひとまず、これで命に別条はなくなった。あとはこやつの気力次第よ」
「では、助けることが出来たと……?」
「そうだ。貴様らも、よくやってくれた」
グリムのねぎらいの言葉に、ケルスの表情に少し明るさが戻る。ともすれば泣きそうな表情になるが、身体の力が抜けたのか、倒れそうになった。ラントが間に合い彼を受け止めたが、どうやら気を失っているらしく呼び掛けても返事がない。
「ひとまずの無事が分かって、安心して緊張の糸が切れたんだろうな」
「そうだな……。ケルスが一番つらかっただろうし、不安だっただろうから。それにきっと俺より術の負担が大きかったと思う」
「しばらく寝かせてやれ。
「そう、させてもらおうかな。さすがに……疲れちまったから」
「グリムはどうするんだ?」
医務室の外にいたシャサールに許可を取り、もう一つベッドを借りてケルスを寝かせたラントが尋ねる。医務室に入ってきたシャサールはエイリークを一瞥し、少し目を見開く。彼の無事に驚いたのだろう。
「私はこの場の状況を、他の奴らに伝えてくる。カーサの、案内しろ」
「……まさか本当にバルドルの坊やの命を救うなんて。驚嘆に値するわ。いいわ、案内してあげる」
シャサールがグリムに告げ、案内のために部屋の出口へと向かう。グリムも彼女についていく。その前にレイは、グリムにどうしても伝えたいことがあった。出ていく前に、彼女を呼び止める。
「グリム、ありがとう。お前がいなかったらきっと俺、混乱するだけで何もできなかったと思う」
「……貴様は、よくやった。リョースのにも起きたら、そう伝えておけ」
「わかった。必ず伝えておくよ」
レイの言葉に小さく笑顔を見せ、グリムは医務室を後にする。そこでレイの気力もなくなり、力なくラントに身体を預けた。ラントは何も言わず、自分を受け止めてくれた。
今はもう全身の力が入らないくらい、マナも精神も使い果たしてしまった。文字通りの疲労困憊だ。そんな自分を、ラントが優しく抱きしめてくれる。
「お疲れ。よく頑張ってくれたな、ありがとう」
「俺……エイリークのこと……助けられたんだよ、な……?」
「ああ、お前の術のお陰でもある。胸を張って、お師匠さんにそう言えるぜ」
彼の言葉が優しく胸に沁みて、それが涙となって思わず零れる。
今更になって、身体に震えが走る。一つでも間違えれば、エイリークの命はなかった。そのことへの恐怖を、思い出してしまった。それでも、助けることが出来たのだ。
「こわ、かった……!」
「そうだな、俺も凄く怖かった。でももう大丈夫だ。本当に、よく頑張ったな」
「うん……!」
ラントに慰められ、レイは彼に縋る。そのまましばらく、彼の腕の中で安心するまでレイは涙を流すのであった。
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