第二節 命の灯

 レイとケルス、そしてエイリークを抱えたラントとグリム・セレネイド――彼女はケルスの精神的な支えになる相手として――が、シャサールのそばに寄った。彼女は己と共についてくる人数を確認し終えると、懐から赤い鉱石を取り出して地面に落とす。そのままそれを踏みつけるとそこから赤い光と共に陣が広がり、レイたちを包みこんだ。


 つい先程見た光と同じ光。それは空間転移の術のための陣だったのかと、レイは理解する。道理でこの光に見覚えがあるわけだ。

 二年前、ヤクとスグリ率いるミズガルーズ国家防衛軍の世界巡礼の旅に同行していた際、一度その術に引っ掛かったことがあった。それだけではない。ルヴェルの城から脱出する際に、コルテから手渡されていて使った鉱石が、それだったのだ。


「慣れてないうちは眼球が焼かれないように、目を閉じてなさい」


 シャサールの忠告通り、赤い光は徐々に強さを増している。思わず目を腕で覆う。足元がふっとなくなったような感覚を覚えた直後、空気の匂いが一瞬変わったような気がした。


「ついたわよ」


 次に聞こえてきたシャサールの声に目を開けば、そこはつい今しがたいた場所とは全く違う風景が広がっていた。少なくとも、そこが医務室だとわかる設備が揃っていた。

 ひとまずヤクが提案した条件は、誠実に守ってくれたようだ。空いていたベッドにラントがエイリークを寝かせ、治療態勢に入る。


「エイリーク……!」

「退け、貴様ら。まずは私が見る」

「グリム、なにを……?」

「安心しろ、医療の知識は粗方得ている。まずは触診して容体を確認する」


 そう言うと、彼女はエイリークの容体を確認していく。

 エイリークの胸には、一本の矢が深々と突き刺さっている。目立った外傷はそれくらいだ。そこから血が流れているのは、状況的に理解できる。だがどうしてか、エイリークは瞳からも血を流していた。

 これは治癒術だけでどうにかなる、という話ではないだろう。


 どうしたらいいのかと、レイに焦りがじわじわと湧き上がる。やがてグリムが触診を終え、レイたちに結果を告げていく。彼女の表情は硬い。


「厄介だな。毒は恐らく矢じりではなく、矢そのものだろう」

「それって、どういう……」

「体内に侵入している矢本体の形が変化している。端的に言えば触手のように伸びて、それらが血管や筋肉に張り付いているようだ。腫瘍のようになったそこから毒素が吹き出し、それが結果として毒となりこやつの体を蝕んでいる」


 体内で矢のかたちが変化しているなんて、にわかには信じがたい話だ。だがグリムが嘘を吐いているとは思えない。


「突き刺さったものは突き刺さったまま応急手当てをするのが第一だが、今回に限ってはまずこの矢を抜くぞ」

「どうして、ですか?」

「あのロプトとかいう人間がこの矢のことをどう説明したか、貴様らは覚えているか?」


 彼女の言葉で、レイは当時のことを思い出す。

 そもそも何故エイリークがこれほどまでの重傷を負っているのか。それはつい先程のことだ。レイたちは宿泊していた宿から出ようとして、街が襲撃されている光景を目にして港へ走った。

 港にはミズガルーズ国家防衛軍の軍艦があり、そこにはヤクとスグリがいた。彼らから事情を聞こうとしたのだ。しかしそこでレイたちは、謎の男であるロプト・ヴァンテインから急襲を受けた。


 彼は己の目的のために、自身の息子であるエイリークを迎えに来たと告げた。それに対してエイリークは否を突き付けた。その結果、ロプトは一本の矢をどこからか放った。それがエイリークの胸に突き刺さり、現在に至る。

 エイリークに矢を放ったロプトは確か、こう説明した。


 ――バルドル族にも、弱点があってな。それが、ミストルテインから作られた武器。ヤドリギを意味するミストルテインは、バルドル族にとっては毒物そのもの。やがては全身に駆け巡る毒に蝕まれ、命を落とすだろう。


 通常の矢であるならば、突き刺さったまま治療を先に施すことも可能だった。しかし今回は事が事だ。

 何せエイリークはバルドル族であり、その彼の弱点を的確に突かれている。早急に矢を抜かなければ、失血死どころかロプトの言う通り全身に回る毒によって、彼は死を迎えてしまうだろう。


「心音も妙な音を立てている。どうやら毒は筋肉や細胞だけでなく、こやつの体内に流れているマナにも作用してしまっているようだ。それのせいで、見た目の外傷以上の体内出血を引き起こしていると私は判断した」

「そんな……!」


 グリムの説明に、顔から血の気が引く。思っていた以上の重症に、気が動転してしまうそうになる。そんな中でもグリムは冷静に、自分たちに指示を出す。


「すぐに治療に取り掛かるぞ。私が矢を抜く。幸い心臓部から少しずれた位置に刺さっているが、この深さだ。抜いた瞬間、即座に血が噴き出す」

「俺たちはなにをすればいい?」

巫女ヴォルヴァのは解毒のための術を、リョースのは止血のための術をかけろ。それとそこの人間は、カーサの人間と共にありったけの包帯と点滴の用意をしろ。このままでは傷口から最近が入り込み、感染症を引き起こさんとも限らん」


 グリムの言葉にシャサールが待ったをかけた。彼女はレイたちに、そこまでの用意をする義理はないと告げる。


「アンタ達からの条件は、医務室のベッドを貸し与えることだけ。それはもう果たしたわ。これ以上のことをする理由はないはずよ」


 シャサールの言葉ももっともだ。確かにエイリークをベッドに寝かせた時点で、条件はもう満たされている。レイは言葉に詰まるが、そこはグリムが指摘した。


「いや、貴様は私たちに協力せざるを得ないはずだ。あのヴァダースとやらは、こちらに恩を売りつけたことによって、こちらの選択の余地をなくした。選べと言ったが、その実こちらは貴様らによってのだ」

「それは言いがかりじゃないかしら?」

「それは違う。あ奴は、こちら側の仲間意識を利用することを考えたのではないか?私たちが瀕死の仲間を放ってまで、自分たちと戦うという選択肢を選ぶことはないだろう、とな」


 グリムの言葉の通り、実際に自分たちは瀕死のエイリークを放っておくことなく、ヴァダースの提案を受け入れる形を取らざるを得なかった。


「つまり貴様らは、そうするしか方法はないのだとこちらに思わせて選択の視野を狭めたのだ。提案でもなんでもない、実質あ奴の命令だ。違うか?」


 グリムの問い詰めにシャサールはしばし沈黙していたが、やがて小さく笑う。


「ふふ。ほんっと嫌になるわね、その鋭い観察力と洞察力。いいわ、降参よ。確かにアンタの言う通り、今のアタシ達にはアンタたちの力がどうしても必要だった。かといって、アンタらが素直にアタシたちの言葉を聞くわけがないからね」

「じゃあまさか、エイリークを襲わせたのはお前たちなのか!?」

「勘違いしないことね。さすがにそこまで手の込んだ芝居なんかしないわ。この坊やが倒れたことは本当に偶然だったけど、利用しない手はなかった。それだけよ」


 淡々と真実を告げるシャサールに怒りがこみ上げそうになるが、そこはグリムが冷静にその場を治める。


「ならばわかっているな、こちらの要求も呑んでもらう」

「点滴の用意と包帯ね、わかったわよ。そこの弓兵の子、ついてきなさい」

「ああ」


 それからエイリークの治療のための準備が整えられていく。包帯はもちろん、治療に必要なガーゼ等も揃えられた。周囲が慌ただしくなるも、エイリークは反応一つ見せないでいる。

 すべての準備が整うと、グリムは結界を発動させ疑似的な無菌室を作り上げた。感染症予防の意味も含まれているらしい。

 結界内にいるのはエイリークとグリム、レイとケルスの四人だ。レイとケルスは術を発動させるため、詠唱を始める。


「いいか、私が矢を引き抜いた直後に術を発動させろ。タイミングを見間違えれば、こやつは失血死してしまう」

「わかった。頼むぜ、グリム……!」

「ああ」


 冷静に指示をしていても、グリムも多少緊張しているのか一度息を吐く。その後深呼吸をしてから、彼女は矢を掴む。


「ゆくぞ」


 開始の合図かのように一言告げたグリムが、矢をゆっくりと引き抜いていく。少し動かしただけで、矢が突き刺さった部分から血が溢れていく様子が分かった。

 理解した瞬間、レイとケルスはそれぞれ術を発動させる。レイは自身とケルスの術の効力を上げるため、そこに加えて女神の巫女ヴォルヴァの力の一部であるルーン文字を詠唱した。

 レイとケルス、二人の性質の違う二つの光がエイリークを包んでいく。レイは彼の身体から引き抜かれていく矢の形状を見て、血の気が引きそうになった。

 矢はグリムが想像した通り、枝葉のように広がっていた。枝の先端には小さめのこぶのようなものが生えていて、一部はそれが破裂している。


 ミストルテイン――ヤドリギの形状とは、よくいったものだ。


 矢を全て引き抜いたグリムは傍に置かれた手術台にそれを置くと、まず目に見える部分で筋肉や血管に張り付いているこぶ状の異物――ミストルテインの毒を切除していく。その間もレイとケルスは術を発動し続けていなければならない。治療は長時間にも及んだ。


 それからどれくらいの時間、術を発動し続けていただろうか。気が遠くなってしまいそうになっていたレイの耳に、グリムの声が届く。


「もういいぞ、術を解除しろ」

「いい、のか……?」

「ああ、ひとまずはな」


 彼女の言葉を聞いて術を解除すれば、レイもケルスも疲労からか背後に倒れそうになる。それをそれぞれラントとシャサールが受け止めた。

 ラントを見上げれば、一言頑張ったなと、労いの言葉をかけられる。


「それで、エイリークは……」

「一応見えている範囲で、毒の腫瘍の切除はした。貴様らの術の効果もあって、完全とは言えないが粗方解毒はできただろう。だがまだ安心するには早い」

「というと?」

「こやつの体内に少しでも毒が残っている以上、その毒がどのように身体に作用するかもわからん。解毒薬を調合し、投薬して細かい毒を抜く必要があるのだ」


 彼女いわくそれだけではなく、確かに止血はできたが輸血の量が足りないとのことだった。とはいえバルドル族の輸血パックが、こんなところにあるわけがない。かといって、他の種族の血液や人間の輸血パックを使うというわけにもいかない。

 使ってしまえば最悪の場合、拒絶反応を起こしてしまいかねないのだ、と。


「そんな……」

「とにかく、今はできることから優先していくしかあるまい。私はこれから解毒薬を調合する。巫女ヴォルヴァのとリョースのは、少し休め。今のうちに使い切ったマナを少しでも回復しておけ。解毒薬が完成したら引き続き、治療の手伝いをしてもらわねばならんからな」

「そんなこというなら、グリムだって……!」

「今は時間が惜しいのだ。それに私とて、こやつを失いたくないという思いは持っている。惰弱な人間とは違い、私は貴様らよりは身体も多少は強くできている。余計な事は考えんことだ」


 それだけ告げて、グリムは一度医務室の奥の方へと姿を消す。レイはいまだ眠ったままのエイリークを見て、改めて己の力不足を痛感してしまうのであった。

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