青年陸鵬の恋

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青年陸鵬の恋

 けいの国の陸鵬りくほう将軍は、近隣7州にその武名をとどろかせる名将である。


 将軍の初陣ういじんよわい15のころ。駿馬しゅんめにまたがり突風のように敵陣へと切りかかり、息を吸い、吐く間に8人の敵兵の首を刈った。

 自陣へ戻った陸鵬は、敵兵の返り血を全身に浴びていた。それでいて鼻の下の、髭になりきれていない産毛には、玉のような汗が吹き出て輝いていたという。そのちぐはぐさは、陣を任されていた老将に「後年おそるべし」と言わしめたほどであった。


 陸鵬は、その後も各地の戦場で戦果を挙げ、版図を広げ、後進を育て、武の面から景の国を支えていくことになる。


 そんな猛将にも、公にはできない恋に悩む時期があった。

 これは、そんな陸鵬将軍が16歳となったころの物語。


 *


「陸鵬殿、よく私に相談してくださいました。あなたは槍の扱いに長けているだけでなく、人を見る目がある」


 王宮の片隅、星読の塔の一室で、占星術師は嬉々としてそう語った。この者は王家に長く仕えている宦官かんがんでもあった。顔の半分、鼻から上を薄絹で隠し、口元には上品な紅が引かれている。


段九麦だんきゅうばくさま。このままでは、私は王の期待を裏切ることになりはしまいかと怖れているのです。私の目は磁石が北を向き続けるがごとくあの方の方ばかりを見つめ、王を前にしてもあの方のことが頭を離れないのです」


 首をうなだれて、頬を赤く染めて陸鵬はそう語った。額を覆うその手は、武官のものとは思えないほど白く、長く、しなやかであった。


「恋すべきではないお方に恋をわずらってしまったのですな。ほうほうほう」


「おっしゃるとおりです。わかっているのです。恋すべきではないとは。しかし、あの方のことばかり考えるようになり、あの方に会いたい一心で、最近では故郷の友人たちの誘いもわずらわしく感じるほどです。これではいけないとは思っているのです」


「よろしい。将来の景国を支える若き虎の頼みです。恋を隠す術をお教えしましょう」


「本当ですか」


 陸鵬がそう言い、曇りがちな顔で笑い、柳の葉のような眉を見せ、白く整った歯を向けると、段九麦は年甲斐もなく心が躍った。この者に惚れられたのであれば、どんな貴人も首を横には振らないだろうと思い、それでいて口には出さずにいるのだった。

 宦官は、落ち着いた素振りで、一息にこう言った。


「暗い暗い夜の底、その足元の蓋を開け、その地下室の床を剥ぎ、長いかけはしを降りた先の、地下墓所カタコンベの最奥の棺を開けて、洞穴をずっと降りた先、地底湖を泳ぐ目のない淡水魚の、夢の中の秘密の祭壇に、恋するものの名を書いた品を置いて帰って来なさい」


「なるほど、ではさっそく行ってまいります!」


 そして陸鵬は塔を降り、門をくぐり、広場へと駆け出すと、はたと気が付いて立ち止まった。振り返り、今出てきたばかりの塔を見上げた。塔の勾欄こうらんから段九麦が上半身を乗り出しており、陸鵬が振り返ることがわかっていたかのように手を振った。

 陸鵬は豁然かつぜんとして声を上げた。


「ところで、どこへ行けばいいのでしょうか!?」


 *


 晴れていない新月の夜。陸鵬は指示された場所を一人で訪れていた。

 景の国の無蛙泉むあせんは、その名のとおり、どの季節にも蛙のいない湿地帯である。蛙どころかほかの生物もいない。常に風の吹く音だけが不気味に鳴っていた。

 

 陸鵬は、最初は信頼できる部下を引き連れてここを訪ねる予定であった。しかし、段九麦から、「秘密を隠しに行くのに、舌のある者を連れて行くのですか。その者たちから秘密が漏れるとは考えないのですかね。いや、後で始末するのならまだわかりますが」と言われたため、愛用の槍を携え、帷子かたびらを着込み、一人でやって来たのだった。


 陸鵬は、ほとんど何も見えない湿地帯を、片手の松明たいまつのみでぐんぐんと進んだ。やがて目の前に小さな墳墓が現れた。彼はその上に立ち、足元を調べた。そこには段九麦が言うとおり、青銅製の丸い蓋が落ちていた。

 陸鵬は、槍と松明を置くと、取っ手も何もないそれの表面、古代の文字が彫られているところに指をかけ、両手で鷲掴みにすると、力任せに持ち上げた。それは壁のように分厚く、岩のように重たく、盾のように頑丈であったが、若くしてその武を認められた陸鵬である。えいやと声を上げ、泥とともに蓋を墳墓の下へと投げ捨てると、爪についた土埃つちぼこりをごわごわの麻布でふき取り、暗いその奥を覗き込んだ。中は何も見えない。泥を蹴落とすと、すぐに床に落ちたような音がした。陸鵬は床までそう高くはないと判断し、暗闇へと飛び込んだ。


 *


 段九麦が言うとおり、そこは地下室になっているようだった。陸鵬が床についた膝を上げると、突然の生ぬるい風が吹き、手にしていた松明の火を消した。あたりは完全に闇に包まれた。


「なるほど、これなら秘密を隠すにはもってこいだ」


 陸鵬はそう言って、槍の石突いしづきで床をコツコツと叩いた。音の反響からして、あまり広くないこともわかった。目の見えぬものがそうするように、槍で床を叩きつつ、ゆっくりと前に進んだ。ある個所で、槍はコーンと他とは違う音をたてて床を鳴らした。

 すると陸鵬は石突を振り上げ、力任せにその床に叩きつけた。床は厚い大理石でできているようで、端が少し欠けただけであった。


「この程度で欠けるのであれば十分であろう」


 そして陸鵬は、暗闇の中、何度も槍を床へと叩きつけた。叩きつける都度、床は少し欠けた。そして数百回ほど叩きつけたところで、小さいながらも床の欠けはついに貫通して穴となった。陸鵬はそこに鋭い槍先を突っ込み、つま先を支点として、てこの原理で床板を持ち上げた。

 床板は亀のようにしてひっくり返り、空いた穴からは冷たい風が吹き上がった。


 *


 陸鵬は、手探りで穴へと入り、絶壁にしつらえたと思われる梯を降りて行った。確かめるまでもなく、そこは明らかに高所であった。足を滑らせて落ちればただでは済まないだろう。槍で次の足場を確認しながら、さすがの陸鵬も、喉をカラカラにして、おっかなびっくりに歩を進めた。真っ暗闇の中、陸鵬は狭い足場を壁に沿って降りながら、このように思った。


「なるほど、恋は盲目という。目の見えぬ状態でこのようなところを通らされるのは、恋の危うさを身をもって思い知らされているのだろう」


 やがて槍は、足元が梯ではなく土であることを陸鵬に教えた。そこは音や空気の流れからして、広い洞のようになっているようだった。

 段九麦の話では、ここは地下墓所である。槍で探れば、なるほど確かに、石棺のようなものがそこかしこにあることがわかった。

 絶壁の梯よりはましであると、ずんずんと歩を進めていくと、周囲の石灯篭が急にぱっと明るくなった。目のくらんだ陸鵬が、ようやく光に慣れた目で周囲を見渡すと、地面には大量の毒蛇とサソリがうごめいており、どれも陸鵬に毒牙と毒針の先を向けているのがわかった。よくみれば、埋葬されていない人骨もそこかしこに転がっている。


「恋は毒であるということか。その身をむしばみ、健康を害し、死に至ると言いたいのだな」


 陸鵬はそう言うと、以前に仙人から教わった蛇除けの呪文を唱えた。囲んでいた蛇は包囲を解き、体をくねらせ、もんどりを打って陸鵬の前から姿を消した。


 後に残されたサソリは、節足を動かして果敢にも陸鵬を攻めたが、その槍先でバラバラにされ、石突で潰され、足の裏で踏まれ、その皮膚の薄皮にすら触れることはできなかった。


 陸鵬は難なく最奥に辿り着き、華美ここに極まるような装飾が施された、巨大な石棺を見つけた。散りばめられて埋め込まれた宝石には目もくれず、死者に許しを請うまじないを呟くと、陸鵬は片腕で石棺の蓋をずらした。

 中を覗くと、そこには死骸などなく、ほぼ垂直に空いた穴がこちらを覗いていた。

 

「どうせ次は地底湖であろう。水のはねる音が聞こえるくらいだ。ここから飛び込んでも問題はあるまい」


 そう言うと、有言実行、陸鵬は穴の中へと飛び込んだ。


 *


 陸鵬が次に気が付くと、彼は明るい花園の中にいた。

 手にしていた槍はなく、武器は腰にさした短剣のみ。不思議に思いつつ一歩歩くと、自分が裸足であることに気が付いた。


「なるほど、ここはすでに夢の中なのではないか。そうだとすると話が早い。どうやって夢の中にいけばいいのかと、実は思案していたところなのだ」


 陸鵬は、どこに何があるのかもわからないままに、行きたい方角へと歩いた。見れば周囲は霧に包まれている。音も聞こえない。反響もしない。臭いもない。足裏の感触も、花を踏んだような感じはしない。

 なるほど、夢であると陸鵬は確信した。


 やがて目の前を、ゆったりとした帯が通り過ぎた。帯は霧の中を泳ぎ、尾を見せて通り過ぎてから、ぬっと霧の中から頭を出した。それは陸鵬の周囲を一回りして、目が皮膚のようになっている顔で、首を右に左にかしげつつ、来客者をうかがっていた。

 それは真珠のように輝く、縦に平たい、ウナギのような魚であった。


「何と美しく優雅な泳ぎ。神獣の類とお見受けします」


 陸鵬は膝をつき、深々と頭を垂れた。魚は口からシャボン玉のような泡を吐き、ゆっくりと陸鵬の周囲を泳ぎつつ言った。その声は、地の底から、目の前にある花を通じて語りかけているかのようであった。


「祭壇に品を捧げよ。想い人に関する品に、想い人の名を書き、捧げよ。さすれば、お前が必要とするであろう資格を示す、楕円の首飾りを授けよう」


 頭を垂れる陸鵬の前に、白煙とともに白木作りの質素な祭壇が現れた。

 陸鵬は、両膝をつき、懐から鎧の飾り紐を取り出した。それは4色の紐を組み合わせた見事な作りで、そこには既に想い人の名前が墨で書かれていた。陸鵬は平伏してそれを差し出した。


「併せて、そなたの目を一つ捧げよ」


 魚は厳然としてそう言った。

 陸鵬は躊躇した。段九麦から聞いていないと言うこともあったが、その献上は武人としての我が身を失することが明らかだったからである。

 確かに歴史上、隻眼せきがんでありつつ戦場で名を上げた将軍は数多あまたいる。しかし、自らでその目をくり貫くとは、武人のすべきことではないのではないか。この身は王のものであり、この武は王のためである。王のため、この恋を秘密にしようとここまでやってきたというのに、これでは本末転倒ではないか。


「そなたの目を一つ捧げよ」


 魚は厳しい口調で繰り返した。陸鵬は、ええい、これは夢である。夢とうつつの区別が付かずして大丈夫なるものか。意志に反して想い人の方を向いてしまうこの目こそ恋の病巣よ。と、そう思い、腰から短刀を抜くと、もはや一切の躊躇もなく自分の右目をくり貫き、鎧の紐とともに魚へと差し出した。かすれて狭くなった視界の中で、名の知らぬ花が揺れ、そこにボタボタと鮮血がしたたるのが見えた。


 *


 気が付くと、陸鵬は無蛙泉の墳墓の上に大の字になって寝ころんでいた。

 空は曇りつつも明けようとしていた。槍があり、松明は燃え尽きていた。

 靴は履かれていた。そして、青年の目は残っていた。


 陸鵬は立ち上がり、右目のあることを確認すると、これは化かされたかと邪推した。しかし、確かに持参していた紐が懐にないことに気が付いた。そして、首元には身に覚えのない首飾りが付けられていた。指先で触れると、それは瑪瑙めのうのような肌触りで、確かに楕円のようであった。外してよく見てみようと思ったが、何をどうしても、彼が力任せに引っ張っても、それは決して外れなかった。


 *


「見たかね。陸鵬殿の首元に、楕円の首飾りのあるのを」


景の国の王は、美酒、旨肉を前にして、上機嫌で家族にそう語った。


「あの若さで、あの墳墓の試練を踏破するとは、まさに後年畏るべしですな」


こう述べたのは王の嫡男である。続いて、長女がこう語った。


「しかし、陸鵬殿が秘密にしたい恋の相手とは、誰だったのでしょうね」


じんではなくて?年のころも近いでしょう」


二女がそう言うと、その名の三女は耳まで顔が赤くなった。


「私かもしれませんなあ」


 やはり年のころが近い次男がそう言った。その場にいた全員が「それはない」と一蹴した。


 陸鵬は元より落ち着いていたが、最近はなお一層落ち着いていた。武人としてだけではなく、官吏としてより誠実に、家臣としてより忠義に満ちた活躍を見せていた。

 陸鵬のこのたびの行いは王への忠義のためであった。段九麦からのそのような報告を思い出し、王はまんざらでもないような顔をして、みなに言った。


「恋を秘すのに必要な資格は何だと思う?それは勇気を失うことなのだよ。墳墓をあばき、暗闇を降り、毒虫と対峙し、自分の目をくり貫くことができるものは、既にしてその資格がないのだ。あの試練を乗り越えるほどの勇気を持つものが、恋心を口にしたあとの非難や困難、ましてや失恋に躊躇することなどあろうかね。いやいや、そんなことはないのだよ」


 そして王は6人いる娘たちに体を向け、こう続けた。


「覚えておきなさい、娘たち。あの墳墓の試練は、貴人に恋心を伝える資格を得るための、景の国に伝わる試練なのだと。楕円の首飾りを身に着けずにお前たちに近づき、恋を吐露とろした男を信用してはならないよ」


 *


 陸鵬の恋心は、王の言うとおりとなった。陸鵬には恋を伝える資格はあっても、恋を秘める資格はなかった。


 結局、陸鵬は三女への思いを封じ込めきれず、その恋心を三女に伝えた。そして、髪をむしり、自らを縛り、血の涙を流して王への不忠義の許しをこいねがった。陸鵬は、厚い勇気と厚い忠義を併せ持っていたがゆえに、その双方の板挟みとなり、深く苦しんでいたのだった。

 王は、かつて自分もそうされたように、賢くも青年を許し、優しくもその恋路を許した。そして、三女もこの青年の思いに応えたのだった。


 首飾りは、三女が陸鵬の思いに応えたとき、軽い音を立てて割れ、外れた。陸鵬が墳墓を訪れてから半年後のことである。

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