第3話 断絶
時間は少し遡る。
天久家襲撃から3分前。
人目につかない様な海際の崖にて、大型トラックがひしゃげていた。
トラックの傍らで寝転がっていたのは、黒いスーツを身に纏った男。
竜騎士機関の職員であった男は既に事切れていた。
トラックに偽装させた竜騎士機関の護送車を横転させたのは、黄色い仮面を被り、黒いローブを羽織った男。
男は護送車の傍らで、何者かの左腕を接続していた。
「まあ一般人なら横転程度で死ぬし、斬られた腕もくっつかない。
だが。お前は違うだろう、ヤクルス?」
「へへ、世話になったな。」
ヤクルスは無事にくっついた刺青だらけの左腕の具合を確かめる。
朗らかな笑顔とは裏腹にヤクルスの眼には屈辱や憎悪。そして殺意に満ち溢れていた。
「礼は我々の為の働きで返して貰う。」
そんなヤクルスが放つ殺気を黄色い仮面のは涼しげに受け流した。
「既に仲間達がターゲットである辰善の元へと急いでいる。
速く動かないと先取りされるぞ?」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい?俺様を誰だと思っている?」
ヤクルスは人間の身体を鱗の鎧で包みながら、辰善の前で見せたトカゲ人間の姿に変貌する。
「俺様はヤクルス。地球史上最速の夢を掲げるヤクルス様だぞ?
今から手柄を横取りしてお前の仲間達とやらの吠え面を拝んでやるさ!!」
言うや否や、ヤクルスは全速力で辰善がいる天久家へと駆け出し。
その姿はあっという間に見えなくなった。
〜〜〜
上から隕石か何かが降って来たかの様に、潰れ果てた天久家。
その瓦礫がモゾモゾと蠢く。
新儺が瓦礫を持ち上げて、地上へと出て来た。
スーツに埃がついたり多少破けていたりというだけで負傷は一つもない。
ましてその身には傷一つついていない新儺は片眼鏡をかけ直す。
(私やマウルさんは竜脈で身体を覆い、防御出来た。でも…)
新儺が周囲を見回す。
「新儺ちゃん、無事ね?」
マウルが新儺に声を掛ける。
新儺同様に、無傷のマウルは2人の人物を抱えて瓦礫を蹴飛ばす。
新儺は見てしまう。
マウルが背負っている2人。
重体となった晴夫と滋子の姿を。
2人とも意識を手放しており、辛うじて息をしている状態だった。
上から強力な衝撃が降り注いだのだ。
綺麗なままで済まなかったのは当然だった。
寧ろ命があっただけ奇跡だっただろう。
新儺の拳に、自然と力が入った。
「既に通信は済ませたわ。
私達の仲間が駆けつけて2人を病院まで運んでくれるそうよ。
そんな事より新儺ちゃん、辰善君が連れ去られた。追って。」
マウルが新儺に指示を出すと、晴夫と滋子を平らなアスファルトの上に寝かせる。
「了解。マウルさんは?」
「足止め。」
シンプルに返事すると、いつの間にか知らない人物が3人、マウルの前に立ちはだかっていた。
3人とも黒いローブと仮面で素性を隠している。
その内の1人、黄色の仮面が上に向かって岩塊を撃ち上げる。
挑発か、あるいは信号のつもりだろう。
「さあ、行って。」
「ご武運を。」
2人は短く言葉を交わす。
新儺が高く跳び上がり、駆け出す。
赤い仮面の人物がそうはさせない、と言わんばかりに瓦礫を投げる。
ただの瓦礫が
故に投げつけられた瓦礫には竜脈が浸透させてある。
竜脈を浸透させた物質ならば、例え
そんな瓦礫は新儺と衝突せんとばかりに飛んでいくと。
下から射出された、何らかの物体に砕かれた。
「させる訳ないじゃない。」
瓦礫を砕いた落下物を、マウルは掴む。
それは全長3mはあるだろう、巨大な斧だった。
斧と呼ぶにはあまりにも巨大で、太く、頑健で。
まるで巨大生物の骨の様だった。
「
マウルが唱える。
その脚元に、岩肌の様な灰色の竜脈が広がっていく。
それはまるで現実に突如、ポッカリとワームホールが開いたかの様な不気味な静寂を放つ。
「頼むわ、ゲオルグ。」
マウルが名前を呼んだ瞬間。
突如墓から復活したホラー映画のゾンビの様に、灰色の竜脈から腕が飛び出す。
その腕もまた灰色をしており、そして見るからに頑丈そうな銀色の籠手に覆われ。
そして竜脈から兵士が這い出てきた。
兵士の出立ちは兜に鎧、左手には大盾、右手には剣が握られている。
兜から見えるその顔には表情が無かった。
まるで岩から掘り出されたかの様な彫刻の様な相貌。
その兵士はマウルを庇うかの様に立ち、盾を構えて剣の切先を敵へと向ける。
瞬間、マウルの竜脈から次から次へと兵士が湧き出る。
皆が皆、盾や鎚に弩や槍などの武装を手にしている。
マウルの背後には晴夫と滋子を担いで、竜騎士機関の仲間の元へと奔る兵士もいた。
「私の“
貴方達で捌ききれるかしら?」
マウルは斧を構えて、脚元の竜脈から這いずる兵士共を従えて。
「ここからは、行かせない。」
3人の悪竜と対峙する。
〜〜〜
人は突然迫り来る死に直面した時。
周りの風景がスローモーションになると言われている。
辰善の視界が、まるで時間が遅くなったかの様に歪む。
マウルが何かを叫んだ時。
上から降って来た何かが、テーブルを砕いた。
折角の紅茶やティーカップが粉々になってしまう。実に勿体無い事だ。
目の前に現れたのは、緑色の化物。
頭は槍みたいに鋭い吻を持ったトカゲ。
身体は人間みたいだが、手脚には鉤爪、更には尻尾まで生えている。
さっきも嫌と言うほど見た風貌。辰善の背筋が一気に凍りついた。
コイツは、ヤクルスだと。
斬られた筈の左腕も元通りの姿になっており、辰善の姿を見るや否や不敵に微笑んだ。
着地した後のヤクルスの行動は素早かった。
辰善を捕まえて、大きく跳び上がる。
瓦礫が降り注いで来るより速く、ヤクルスは屋根へと着地した。
屋根に空いた穴から、家の様子が窺えた。
今まさに晴夫や滋子、新儺やマウルの上から瓦礫が降り注がれようとしていた。
「み、んな────────────…!?」
辰善が叫び終わるよりも速く。
ヤクルスは屋根から全速力で走り抜ける。
その俊足から生み出された力は、天久家全てを瓦礫の山へと変貌させた。
ヤクルスのスピードが生み出した風は、辰善の視界を塞いでしまう。
風がやんで、辰善が眼を開ける。
いつの間にか、裏山の秘密基地にいた。
これは夢か?いつの間にか秘密基地で寝落ちしてた?
つい現実逃避したくなるが、目の前に立ちはだかるヤクルスがそれを許してくれない。
だって。ヤクルスが此方を見下ろしていて。
だって。遠くから見える家は、跡形も無く消えて崩れた事を証明するかの様に土煙を上げていて。
だって。崩れた家の下にいたのはーーーーーーーーーーーーー………!!
「ヤクルスゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
気が付けば、辰善はヤクルスに殴りかかっていた。
何故ヤクルスが、ここにいるのか?
捕まったんじゃないのか?
そんな事は関係ない。
どうして、家が襲われなければならなかったのか?
どうして、両親や新儺、マウルまでもが命の危機に晒されなければいけなかったのか。
その疑問が、辰善の中の恐怖を吹き飛ばし。
心を憎悪で塗り潰す。
鱗の硬い感触が辰善の拳に伝わり、血が滲む。
彼は殴る。
折れた拳の骨が、掌を突き破る。
彼は、殴る。
ヤクルスはニヤけたままで此方を見下す。
彼は、それでも殴る。
「おっそ。トロくさっ。もういい。」
辰善が何度目か解らない拳を打ちつけようとした時、ヤクルスは呆れたかの様に呟く。
殴っていた右腕の付け根が熱くなるのを感じた。
気が付けば、辰善の右腕は根元から無かった。
否、斬り飛ばされていた。
右腕だけじゃない。左腕も。右脚も。左脚も。
全て斬り飛ばされていた。
不思議な事に、血液が派手にぶち撒けられる事は無く。
一滴も血を溢さないまま、辰善は背中から地面に倒れ臥した。
「ひゃっははははははははは!!
どうだ、俺の速さは!?スピードは!!?
摩擦が起きて、跡が焦げる程の速さだ!!
コレが俺のトップスピードだ!!」
ヤクルスはいつの間にか斬り落とした辰善の手脚を投げ捨て、ゲラゲラと陽気に笑いながら自分の速さに酔いしれている。
通りで血が噴き出さない筈だ。
断面が焼け焦げて、煙がブスブスと上がっている。
「く、そ、が。ふざけるな……。
ふざけるなぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
それでも、辰善は叫び続ける。
喉が潰れん限りの咆哮を上げる。
痛覚も。恐怖も。無念も。
全部。全部。悔恨と憎悪が吹き飛ばす。
ドサッ、と地面が鳴る音がする。
ヤクルスが面倒臭そうに。
辰善は反射的に音の主を確かめる。
それを見た瞬間、我に返る。
秘密基地の入り口に、山木 潮が立っていた。
〜〜〜
潮が忘れ物の鞄を取りに、秘密基地の中へ入っていた時の事だ。
突然地面が揺れ、轟音が響き渡る。
慌てて外に出ると、信じられない光景が広がっていた。
辰善が激昂し、叫びながら化物に殴りかかっていた。
化け物の方は見覚えがあった。
ニュースに出ていた、トカゲ人間と記憶が被った。
辰善の姿は埃だらけで、その表情は今まで潮には見せた事が無いほど憎しみで歪んでいた。
殴られている化物は無抵抗で、寧ろ機嫌が良さそうにニヤついていた。
ふと、化物が辰善の背後に立つ。
いつの間にか、辰善の四肢が斬り離されて倒れてしまう。
余りの凄惨な光景。
何よりその被害者が友人である事に、ショックを隠せなくて。動揺しきって。
鞄をドサッ、と落としてしまう。
辰善と化物が、此方を向いた。
〜〜〜
「あ、れ?辰善?なんで?どうして?」
声も脚も震えて動けない潮を見て。
ヤクルスの口角が上がった。
「逃げろ!!潮ぉぉおおおおおおおおおお!!」
心の中が、憎悪から焦燥に変わる。
辰善は叫ぶ。
頼む。逃げてくれ。俺の事なんてどうでもいい。
そんな事を思いながら、無くなった手脚の付け根をジタバタと動かす。
ヤクルスが歩み出す。
嗜虐心が唆られたのか、それとも逃げても追い付けるからか。
わざとゆっくりと。余裕を持って潮の元へと進んでいく。
「身体つきを見れば解る。お前、スポーツで“頂点を目指している”人間だろう?」
引き裂けるかと思うくらいに口角を上げ、ヤクルスは潮に話しかける。
潮は後退りすらしない。いや、きっと出来ないのだろう。
「どうせオレより弱くて遅い癖に。無駄な努力をするモノだ。
そこの小僧もそうだ。小僧はオレの娯楽になる為に今まで生きてきた。
夢も、希望も。積み重ねた人生全てが無駄だ。
強いて言えばこのオレの為にあったんだ。
まるで家畜の豚みたいにな。」
ヤクルスが辰善を指差して、身勝手な事を言ってくる。
余りにも軽薄で傲慢な言葉はこびりついて辰善の耳から離れなかった。
「何してんだよ、潮!?早く逃げろ!!
逃げろって言ってんだろぉおおおおおおお!!」
けれども、そんな言葉なんてどうでも良かった。
友人に一刻も早く、この場から逃げて貰いたかったのだ。
「お前さ、俺と一緒に来い。小間使い兼、人質が欲しい。拒否権は無いからな。」
常人なら絶対に承諾しないであろう脅迫をヤクルスは潮に放つ。
もう潮とヤクルスの距離はそんなに遠くない。
手を伸ばせば、お互いが届く距離だ。
鱗に覆われた腕。
爛々と輝く眼光。
人を殺傷してもなんとも思わない精神性。
そんなヤクルスに、潮は。
思い切って拳をお見舞いする。
鈍い音が、よく響き渡った。
辰善も。ヤクルスも。
突然の事に呆気に取られてしまった。
「何ふざけたこと言ってんだ!!誰が頷くと思ったそんな提案!!
大体、俺の友達に何してくれやがる!?」
間髪入れずに、潮は殴りつける。
ヤクルスはつまらなさそうに潮を見下ろす。
「テメェが化け物でも、俺より強くても、そんなの関係ない!!
何でもかんでも壊して無茶苦茶にするテメェなんかより、夢を持って頑張ってる辰善の方が何百倍も偉いんだよ!!
だから、返せよ…。
──────辰善の手脚を、夢を!!返せ!!」
泣きじゃくりながら潮は殴り続ける。
潮は理解していた。
諦めない夢を秘めた辰善の、心の強さを。
友人の夢を応援し、共通の目標にした時の喜びを。
だから、潮は許せなかった。
努力を積み重ねて来た辰善の夢を、無駄だと断じたこの化け物が。
その化け物の、ヤクルスの尾が軽く振われる。
辰善の顔に生暖かいナニかがベシャリ、と飛び散る。
飛び散ったモノが口の中に入り、理解してしまう。
顔に付いたのは、血液。
誰の血かは、目の前の光景が教えてくれた。
ヤクルスの尾が潮の脚を根元から吹き飛ばした。
あの化け物は。潮の夢を、奪い取った。
「貴様の様な奴に、俺のトップスピードは勿体ない。
このまま血を垂れ流しながら、痛みに苦しみながら死んでいけ。」
「ッ────────────────!!?」
達磨落としみたいに両脚を吹き飛ばされ、潮は地面に蹲る。
苦悶の表情を浮かべながら、声にならない声を出す。
溢れ出る鮮血が止まらず、地面に血溜まりを広げていく。
潮は、夢を奪われた。
ラグビーの本場、イングランドで試合するという偉大な夢は。
無惨な理不尽により台無しになった。
あの出血量では近い内に死に至るだろう。
夢を、叶える事無く。
潮は死んでしまう。
「あ、あ……。」
辰善はその光景を見る事しか出来なかった。
手脚の付け根の動きが止まる。叫ぶことすら、出来なくなっていく。
(無力だ。俺は、何も出来やしない。
自分の夢も叶える事が出来ず。
友達との約束を破って。生命すら護れなかった。
何てどうしようもない無能なんだ、俺は。
罵ってくれ。怨んでくれ。怒ってくれ。
潮。お前には、その権利がある。
何も出来なかった俺を。
───────────どうか憎んでくれ。)
自暴自棄になった辰善は潮を見て、涙を流す。
地面に転がる潮が辰善を見る。
地面に臥している辰善と目が合う。
「ごめん…辰善。夢……叶え、ろよ?」
黄昏に染まった空の下で、約束を交わした時の様に。
何とも言えない、気の抜けた笑顔で。
涙を沢山溢しながら。自分もきっと、痛くて辛いだろうに。
潮は辰善の夢を応援した。
潮の口から、息を吐く音がする。
気の抜けた笑顔から、表情が変わらない。
流れていた涙が、途切れた。
「ごめん、潮…!!本当にごめん……!!」
山木 潮は、死んだ。
夢を目指して、走ってきた少年はこの世からいなくなってしまった。
「さて、興醒めだな……。さっさとブツを奪って殺すか。」
ヤクルスはつまらなさそうに辰善に近付いてくる。
辰善には叫ぶ気力すらなかった。
ただ、涙を流して。目の前の化物を恨みがましく睨みつけるしか出来なかった。
辰善とヤクルスの間に、誰かが土煙を上げながら着地した。
長い黒髪と、スリーピースのスーツ。
透き通る様な紫眼。
その身の周囲に、流れる水の刃を纏っている女。
千重波 新儺は、周りを見渡す。
討伐対象のヤクルスは驚いた顔で新儺を見る。
無理もない。一度は腕を斬り落とされているのだ。
その傍らにいたのは、両脚を斬り落とされた潮の遺体。
新儺が少し振り向き、両腕両脚を斬り落とさながらもまだ息のある辰善を見る。
(間に合わなかった、ごめんなさい…。
──────────────なら………!!)
新儺がヤクルスを睨み付ける。
纏う水の流れが激しくなり、地面へ溢れ落ちた。
「せめて、コイツだけでも!!!!」
脚を踏み込む。
溢れ落ちた水は凍りつき、氷柱の様に長く、鋭くなりながらヤクルスに迫る。
ヤクルスが怯んで動けない今しか、チャンスはなかった。
その時、ヤクルスと氷槍を分断するかの様に。
まるで、ヤクルスを守る盾になるかの様に。
岩塊が上から墜ちる。
新儺はソレに見覚えがあった。
あの時。瓦礫の山となった天久家の跡地で。
黄色い仮面をつけた、黒ローブが放った岩塊。
その岩塊は氷槍の先端に触れると。
盛大に爆発した。
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