第2話 一般人でもわかる竜騎士講座
関東にある地方都市、窯浦市。
北に行けば病院や市役所、水道局や発電所などの設備。何より辰善特製の秘密基地のある裏山があり。
南に行けばデートスポット定番の海水浴場や水族館があり。
東に行けば老若男女誰でも楽しめるショッピングモールや遊園地、映画館があり。
西に行けば疲れた身体を癒すアパートやマンション、住宅街がある。
そんな西の住宅街にある、天久家にて。
ダイニングでは5人の人物が今まさに会議の真っ最中だった。
辰善の右に座るのは父、天久 晴夫。
天久スマイルクリニックの院長を勤める人物は葉巻を吸いながら、紅茶を凄い勢いで飲んでいる。
辰善の左に座るのは母、天久 滋子。
専業主婦で、家事全般を卒なく熟す陰の立役者は晴夫とは対照的に目の前にいる2人の客人に浮かれていた。
天久一家は目の前に座る2人の人物に対して緊張の眼差しを向けていた。
「初めまして。私は
辰善の真正面に座り、生命を助けてくれた黒髪紫瞳の女性は自己紹介と共に名刺を差し出す。
差し出してきた名刺には日本語と共に英語やフランス語等の様々な言語で自分の名前が書かれている。
名刺を差し出す仕草も、ただ座っているだけで様になる
何故なら、新儺はまるで魔法の様に水を操る。
そしてその水で辰善を襲った化け物の腕を斬り落とし、行動不能にしたのだ。
自身の日常とは大きくかけ離れた、異能の存在。
辰善は天久一家の中で誰よりも緊張していたのだ。
「新儺ちゃん、日本とイギリスのハーフでね。こう見えて可愛いギャップ萌えの持ち主で、うちのマスコットみたいな存在なの。
健全な男子なら釘付けになるのも分かるわぁ。
まぁ、貴方の視線は分かり易すぎってのもあ・る・け・ど・ネ♡」
ふと、新儺の隣に座る外国人の男が辰善に話しかけてくる。
重低音のバリトンボイスから放たれるオネェ口調。
そのオネェ口調の指摘のターゲットが辰善だと言う事実。
思わず血の気が引いてしまう。二重の意味で。
しかし、ダンディズム溢れるオネェ口調のお陰で心の何処かで緊張感がほぐれた気もした。
「あ、これは失礼。私、マウルブロン・タイヒタッシェと申します。気軽にマウルと呼んでください。」
マウルと名乗る外国人の男も両親に名刺を渡してくる。
名刺を見た晴夫はバレない様に、しかしあからさまに顔を引き攣らせた。
無理もない。
マウルブロン・タイヒタッシェ。
略してマウルタッシェとはドイツ料理の一種で大きなラビオリがゴロゴロと入ったスープの事である。
つまり、あからさまな偽名なのだ。
ドイツ語を勉強した晴夫だからこそ分かったが、彼がその事を追及する事は無かった。
ハリウッド映画主演の様な迫力ある厳ついオールバックの金髪に、綺麗に整えられた口髭と顎髭。
うちの椅子にミシミシと悲鳴を上げさせる、そこにあるだけで圧を放つ様な筋骨隆々とした肉体を無理やりスーツに押し込めている。
晴夫は気圧されてしまったのだ。
マウルが備える顎髭や筋肉、肉体に。
故に偽名について追及する事はしなかった。
一方マウルはというと、小指を立ててティーカップの中の紅茶を美味しそうに飲んでいる。
晴夫の事なんて少しも気にしていなかった。
「奥様、中々いい茶葉と淹れ方をしてらっしゃいますわね。」
「あら、分かるのですか!?」
「ええ、今度淹れ方を教えて下さりませんか?」
「あら、そこまで気に入られると嬉しいわ。じゃあ連絡先でも交換…」
「あー、ゴホン!!前置きはそこまでにしましょう。」
晴夫が咳払いをして、滋子とマウルのガールズトーク(?)を中断させる。
滋子とマウルは渋々つまらなそうな顔をして話を切り上げる。
この2人はきっと良い友人になるに違いない。
「新儺さん、マウルさん。
まずは愚息を助けて頂きまして、ありがとうございます。
つきましてはこの名刺に書かれている貴方達の職場……。」
晴夫は新儺から貰った名刺のある部分を指さす。
「この竜騎士機関というのは、どういう事なのでしょうか?」
晴夫の表情はあまりよろしく無いものだ。
無理もない。医者という科学的な職業からしてみたら、“竜騎士”というファンタジーな単語なんて鼻で笑う様な物でしかない。
晴夫は吸っている最中の葉巻を片手に紅茶を飲もうとティーカップを持とうとする。
しかし、そこで中身が入っていない事に気付くと再び顔を顰めた。
「水で良ければ、お出ししますよ。」
新儺が晴夫に向かって指を向けると、ティーカップの中身が水で満たされた。
「ああ、これはすまないね。
………って!?え、えっ!?ええッ!??
な、何だねこれは!!!?」
晴夫は何処からともなく現れた水に驚き。
その拍子にうっかり葉巻を手放してしまう。
このままでは絨毯に点火し、天久家は全焼してしまうだろう。
「あら、危ない。」
そんな悲劇は気軽な声をかけたマウルによって阻止された。
絨毯に落ちる直前、灰色の腕が生えてきて葉巻をキャッチしたのだ。
火が燻る葉巻の先端に触れているにも拘らず、灰色の腕は燃えるどころか、焦げ目一つつく気配も無い。
「ひっ、な、何だコレ!?」
「キャアアア、お、お、お、お化け!?」
晴夫と滋子は即座に椅子から立ち上がって、後退りする。
辰善は驚きながらも、その腕から目を離す事は無かった。
「あらあら、医者の不養生って言葉知ってるかしら…。」
しょうがないわねぇ、とマウルが呟く。
同時に灰色の腕が葉巻を握り潰した。
「ああ、キューバ産の葉巻が…!!」
名残惜しそうに呟く晴夫を尻目に、灰色の腕は掌の中の葉巻ごと、親指を立てて床に沈んでいく。
さながら有名映画のワンシーンの様だった。
「し、し、沈んでいったぞ、俺の葉巻も一緒に!!?
どういうトリックだ!?家の床に何を仕込んだ!?」
晴夫は半ばパニックになりながら、床をさすったり叩いたりしてトリックを暴こうとしていた。
しかしながら、どれだけ念入りに確かめてもそれらしい仕掛けは出てこない。
結局それは、いつも通りの我が家の床でしかなかった。
「これが我々、
この力は伝承に実在したドラゴンや龍の持つ特徴が由来となっています。
故に私達はこの異能を“逆鱗”と呼んでいます。」
ドラゴン?龍?逆鱗?
突如新儺が口に出した空想上のワードに天久一家は疑問しか出なかったし、何より信じたくもなかった。
しかし、彼らの目の前では新儺は何も無い場所から水を出したし、マウルに至っては床から腕を出した。
目の前で起きた不可思議な現象は明らかに手品やトリックの範疇を超えており、信じるしか無かった。
新儺は掌から再び水を出す。
水は雀程の大きさの球体になると、クルクルと円を描きながら新儺の頭上を回る。
晴夫と滋子は声も出さずにただただ唖然として驚くばかりだった。
新儺は水球を動かしながら、説明を再開する。
「逆鱗は竜玉と呼ばれる特殊な物質に長時間触れた人間にごく稀に宿ります。
例えるならば、磁石にくっつき続けた金属もまた磁性を帯びるのと同じですね。
他の事例もありますが…聞いても気分が悪くなるだけですね、忘れて下さい。」
新儺は水球を3つに増やして、ジャグリングの様に再びクルクルと回し始めた。
晴夫と滋子は驚きを隠せない表情で宙に浮かぶ水球の動きを目で追っていた。
「逆鱗は一般人には宿っていない、特殊な生命エネルギーを消費して発動します。
この特殊な生命エネルギーを私達は“竜脈”と呼んでいます。
分かりやすく言えば、逆鱗がパソコン等のハードディスクで、竜脈がバッテリーの様なモノでしょうか?」
新儺が掌を握ると、浮遊していた3つの水球は跡形も無く消え去った。
「この様な逆鱗を使える人間達が集まり、一つの結社を作りました。
それが私達が所属している竜騎士機関です。
主な仕事は竜玉の保護、又は破壊。
また悪竜の拘束,若しくは抹殺を仕事としています。」
「因みに悪竜ってのは、社会に害を及ぼした逆鱗を発揮できる人間の事よ。」
一通り逆鱗や竜脈、竜騎士や悪竜について説明すると、辰善は疑問を口にする。
「警察に悪竜の対処を任せるのはダメなんですか?
そもそも、悪竜なんて言う輩が出回っているならもっとニュースになっていてもおかしくは無いと思うのですが…?」
「良い所に気づくわねー。」
辰善の疑問にマウルが嬉しそうに反応する。
ティーカップを置いて、ウィンクをバチコリと辰善に飛ばす。
瞬間、マウルの左側頭部に向かって包丁が高速で飛来して命中する。
包丁は硬質な金属音を響かせると、真っ二つに折れて。
包丁の柄は床に転がり、刃はテーブルのど真ん中に突き刺さった。
辰善は包丁が飛んで来た方向を見る。
キッチンの流し台からはマウルが出したと思われる灰色の腕がニョキリと生えていて、ピースマークを決めていた。
包丁を投げた犯人である灰色の腕はどうやら微塵も反省していない様だ。
「ひっ…!!何するんだ危ないじゃないか!!?」
「それにコレ、うちの包丁じゃない!!」
突然の刃に慌てふためく晴夫と滋子だが、辰善は驚愕の事実に気づく。
「……マウルさん、包丁当たりましたよね?」
辰善の指摘に騒いでいた晴夫と滋子は静まりかえる。
そして、2人はある事実に震え上がる。
包丁が当たったにも関わらず、マウルは全くの無傷だと言う事実に。
「ご覧の通り、私達
普通の包丁や銃弾程度じゃ無傷。戦車の砲撃で漸く痛いって感じるぐらいかしらね。
警察はおろか、軍隊使っても悪竜は止められないわ。」
「因みに、悪竜がニュースにならない様に情報操作するのも竜騎士機関の仕事の一つです。」
ケラケラと笑いながら紅茶を飲むマウルと、情報を補足する新儺。
晴夫と滋子、そして辰善はもう何も驚く事がない様に何度も深呼吸してリラックスしようとしていた。
「まあ、新儺ちゃんから
紅茶を飲み干したマウルが険しさを放つ顔で話の主導権を握る。
新儺もまた、凛々しい表情で傾聴する姿勢をとる。
辰善や両親も固唾を飲んで話を聴く姿勢を取った。
「辰善君から竜脈が放たれちゃったの。先程説明した通り、竜玉に長時間触れたのでしょうね。」
マウルの言葉に天久一家は耳を疑った。
両親の視線が辰善に集まる。
「お、俺もその逆鱗が使える様になるって事ですか?」
「はい、しかしどんな逆鱗になるかは現段階では全くの未知数。いつ発現するのか、発現した時にどの様な被害が出るか、想像がつきません。」
新儺の一言に、背筋が凍る感触がした。
今の辰善はいつ起動するか分からない時限爆弾みたいな代物なのだと理解してしまったのだから。
「それ以前に、どうして竜脈が放たれたかも調べなきゃなのよね。竜玉も探さなきゃだし、大変よもう。」
マウルは頬杖をついて溜息を吐く。
まるで残業を憂うサラリーマンの様だ。
サラリと爆弾発言された俺の身にもなって欲しい、と辰善は切に願う。
「なので、これから辰善君は検査の為に竜騎士機関に来て貰う必要があります。
検査中は辰善君に危害が及ぶ様な行為は致しません。」
新儺の言葉に、晴夫が立ち上がる。
「ま、待って下さい。
もし、検査の結果。息子が逆鱗とやらを使えると判明したら?
検査が終わったら息子は、辰善は帰して貰えるのですよね?」
冷や汗をかきながら、新儺とマウルに尋ねる。
無理もないだろう。
一人息子が突然知らない場所に連れて行かれる。
しかも仕事内容を聞く限りではかなりの荒事にも対処しなければいけない。
もしかしたら、死ぬかもしれない事を晴夫は予想してしまった。
「いいえ、辰善君にはこのまま竜騎士機関へと所属。エージェントとして業務にあたっていただきます。」
だからこそ、新儺は嘘偽り無く真実を口にした。
「巫山戯るな!!
いくら息子の命の恩人だからと、言って良い事と悪い事があるだろう!!?」
「そうよ!!死ぬかもしれない職場に行かせるなんて、親として見過ごす訳にはいかないでしょう?!」
両親は机を叩きつけ激昂する。
その一方で辰善は完全に混乱していた。
(…いきなり訳の分からない化け物に襲われて。
いきなり逆鱗だか何だかわからない異能を持った女に助けられて。
いきなり俺も異能を使える様になると言われて。
あまつさえ、異能が使える人間の組織に強制就職とか。
それは、つまり。
パイロットの夢を、諦めろって事か。
潮との約束を、捨てろって事かよ。)
この事実に気付いて、それでも辰善は何も出来なかったし、何も言えなかった。
隣で喚く両親の罵詈雑言混じりの抗議の声も、遠ざかるかの様に聴こえ辛くなっていった。
「落ち着いて下さい。検査の結果、此方の誤りだという可能性もあります。先ずは検査してみないと分からないといいますか…」
新儺が晴夫と滋子を落ち着かせようと宥める。
しかし2人は聞く耳を持つどころか、ヒートアップしてきてしまう。
「いつ見ても慣れないわねぇ…。」
誰にも気付かれない様な声で、マウルは呟く。
マウルが竜騎士を25年続けて尚、慣れないモノが2つある。
その内の1つが今、目の前で起きている光景。
入団を伝えた時。
家族、友人、恋人といった周囲の反応。周囲の人間が拒絶する光景だ。
当たり前だ。無理もない。
マウルや新儺がしている事は、これまで平和に生きていた一般市民をいきなり地獄の底へとぶち込む様なモノなのだから。
(面倒臭いから、“アレ”使っちゃおうかしら?)
マウルが考えた“アレ”とは、
蜃と呼ばれる幻覚を見せる龍を由来にした逆鱗の能力。
その能力を機械という文明の利器に組み込んだ、掌サイズの二枚貝型の装置。
この装置を使うと辺り一帯が竜脈で出来た蒸気に包まれ、その蒸気を吸い込んだ一般人は虚脱状態になってしまう。
そんな虚脱状態である事ない事を吹き込むと、その人は吹き込まれた内容を信じ、記憶として定着してしまう。
簡単に言えば一種の洗脳装置であり、一般人の記憶改竄に使っている。
なお、竜騎士や悪竜等の竜脈を放つ人間には通用しない。
そんな物騒な機械の使用を考えて、ポケットから取り出そうとしたその時。
マウルの憂鬱そうな目が、即座に別の感情を宿した目に切り替わる。
「避難しなさい!!」
突然、マウルの叫びが聞こえたと思った瞬間。
天久家は上から降って来た何かにより、大きく陥没させられた。
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