第9話 聖女、登場 2

「それで、その淑女から依頼を受けてきてしまったのですか?」




 宿屋の一階にある居酒屋で食事をしながらレイリアの話を聞いたクレイストは、その端正な顔を歪ませて眉間を指で押さえた。




「な、なんでそんな『この馬鹿者め』みたいなリアクションをされなきゃいけないのよ! 近年希に見る大仕事じゃない!」




 褒めて貰えることを期待して話したレイリアは、クレイストのジトッとした視線に憤慨し、頬を膨らませた。




「そうだぜ、クレイ。お嬢ちゃんが初めて自分でもってきた仕事だ。そのことは褒めてあげてもいいんじゃないか」




 涙目のレイリアにロランは優しくフォローを入れるが、クレイストはことさらに言葉の温度を下げた。




「ええ、ええ、大仕事でしょうよ」




 ナイフとフォークで丁寧に焼き魚から小骨を取り除きながら、クレイストは憮然として言った。




 廃嫡されたとはいえさすがは第一王位継承者。こんな場末の居酒屋でもテーブルマナーは完璧すぎるぐらい完璧で、いっそ面白いほどだ。




「ターゲットはこの国の皇太子。御年二十七歳。なんと私と同じ年齢です。度重なる皇位継承争いで直系が死に絶え、急逝した前皇帝の妾まで探し当て、やっと迎えた大事な皇位継承者です。辺境育ち、市井育ちで戦役も経験しています。女性関係も皆無ではないでしょう。今までの箱入り第二・第三王子の坊ちゃんたちと難易度が段違いです」




「……まあ、仕事がやりにくいことは確かだよなぁ」




 流石のロランもフォローしきれないのか、歯切れが悪い。




「う……」




 焼き魚から顔を上げると、クレイストはフォークの先をレイリアに向ける。




「一体、私が取ってきた仕事の何を見ていたのですか、あなたは。能力のないものが上っ面だけを真似るとろくな事が無い、という実証でもしたかったのですか」




「ち、違うわよ! ただ、あんまりあの人が健気だったから……」




『聖女様、私を助けてください』




 教会で身を捨てるように伏したクリスタニアの姿を思い出し、レイリアはつぶやいた。








「え、あなたも聖女なの?」




 さめざめと無くクリスタニアに、レイリアは驚いて叫んだ。




 一目でレイリアを聖女だと看破したのには、そういう理由があったらしい。




 聖女同士はその存在が分かるのだ、と言われ全くクリスタニアの事が分からなかったレイリアは薄笑いを浮かべることしかできなかった。




 聖女は別にこの世で一人の存在ではない。




 神が産み落としただけ存在するのが定説だが、同時代で数人が発見されることは、これまた希な話だった。




 クリスタニアは帝国の貴族の娘の一人で、聖女であることから皇后となることが定められているのだという。




「しかし、今皇帝となるべく迎えられた方は、あまりにも残虐で……」




 前皇帝が遠征の際に辺境伯の奥方に手を出して生まれたという皇太子は、その生まれからかとにかく傲慢で粗野な性格をしているという。




「私はこの帝国の礎となることを神に誓って生きて参りました。しかし、あの方は皇帝にふさわしいとはとても思えないのです」




 そこで、とクリスタニアは言葉を続けた。




「帝国の聖女では無く、ほかの聖女にうつつを抜かした非情の皇帝として、あの方を廃嫡に追い込むために力を貸して欲しいのです」




「廃嫡……ですか」




 ふっとクレイストの顔を思い浮かび、レイリアは顔の前で手を振ってその映像を消した。




「はい。今のこの国では、聖女の夫になることが皇帝になる最低条件ですが、その聖女が帝国の聖女でなければならないことは、あの方はまだ知らない筈です」




「そんな大事なこと、なんで知らないんですか」




「……誰も教えないからです。あの方には、そういう味方はいないのです」




 なんだか、可愛そうな皇子様だなあ、とレイリアは同情した。




「ただ皇宮に馴染みがないだけで、本当は良い人なのかも知れませんよ?」




 するとクリスタニアはもじもじと指を絡ませた。




「私、どうしてもあの粗野な性質があわないのです」




 まあ、お貴族様のご令嬢と、戦場を駆け抜けてきた妾腹の皇子じゃなあ、とレイリアは思った。「それに……あの方は諸外国と戦争を起こそうとしているのです」




 女性の言葉に、レイリアは凍り付いた。




 無自覚であれ回避できた戦争が、また起きようとしているのか。




「かの方は、自分の母を手ごめにした前皇帝や、その出自から自分を阻害してきた周囲、ひいてはこの世界を恨んでおります。帝国軍の指揮権を手に入れたら最後、かの方は世界を滅亡に導くでしょう。きっと彼こそが、この世界の魔王なのです」




 レイリアの脳裏に、幸せそうなエーデルハイドと、少し照れたような、怒ったような顔の執事の顔が浮かび、彼らが戦乱の炎の中に巻き込まれていく様が見えた。




「魔王を生み出してはなりません。我々聖女は、魔王を倒すために生まれてきたのですから」




 その言葉が、レイリアの背中を押した。ダメ押しだった。

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