第7話

 スキューバは、そして、“流体”の導くところによって、小堺果歩の夢の中へ侵入した。そして、自らの渇きを埋めるため、小堺果歩を魅了……し、それで足りない分をあの淫らな指使い、舌使いによって、引き出していった。口を奪い、胸を吸い、秘所を乱し、スキューバは小堺果歩を犯しつくした。スキューバはまた、ある日のこと、クラスメイトの伊庭孝江のもとを訪れたスキューバは彼女を縛り上げ、体をひっくり返したうえでその秘所をいじめつくした。スキューバは、その習性によって少女を犯さなければならず、そして、それが七度続いた時点で、ようやくここ最近ずっと感じていた疑問を表に出した。彼女(it)はその習性によって“流体”の導くところへ、スキューバの意思とはほとんど関係なく、愛の相手としなければならない。捕食の対象は完全なランダムではなく、先ほども確認した通り、スキューバの捕食対象は、捕食者と被食者の関係としてあらわされ、被食者は捕食者を自らの“世界”に入れないことでこれを退けることができ、これと同じようにして、捕食者もまた、被食者と関係を持たないことで“流体”がその被食者へつながることを、阻害することができる。

 しかし、これもまた確認した通り、そうした動きは、ほとんど意味をなさない。なぜなら捕食者がいかに気を付けていようと、被食者が捕食者を認識しているのであれば、捕食者は被食者の“世界”から消えてなくなることはできないからである。どれだけ気を付けていようとも、不可抗力というべき“流体”の動きによって、スキューバはいずれ筧恵美のもとへむかってしまうはずなのだ。むしろスキューバとしては、筧恵美を捕食しないよううつした行動は、気休めと納得のために行ったものだったので、スキューバとしてはただ幸運に恵まれたという話だったのである。にも拘わらずこれが何日にも渡って効を発揮したとき、スキューバも“さすがにおかしいぞ”と思った。“こんなに都合のいいことがあるはずがない”

 そしてスキューバは夢の中である男に出会った。夢の中でスキューバはひどく不自由な姿でいた。それは“流体”が新たな被食者のもとへスキューバを連れて行こうとした際、横合いに突然、強引に入り込み、スキューバを“ここ以外どこか”へ連れて行った。男は“あんたは今日も姉さんのところへ行った”とはじめた。「お前は今日も姉さんのところへ行ったな」と男は言った。「毎日だ。ここのところ、つまり、お前が姉に“救われて”から毎日」スキューバには男がなにを言っているのか、はじめなにもわからないでいた。「お前は毎日、その劣情を誰かに向けている。“それ”を――抑えることはできないでいる。姉はあれで純粋だ……お前がどんな存在であるか、今のところ言う気はない。もちろん、言わねばならないのなら、そうするつもりでいるけどな」男はため息をし“俺は筧江渡だ”と続けた。「俺は筧江渡。姉さんの弟」江渡はおもむろにスキューバの髪を引っ張った。「それがお前のほんとの姿か」しかし、スキューバはそれによって、なにか肉体的な痛みや不快を感じることはなかった。ここには景色も何もない。行動と感覚が枝分かれし、どちらも感じ取らせることなく、そして同時に、どちらも感じることができていた。ここで覚えたのは、精神的な不快だった。現象と感覚のズレが、スキューバに吐き気を催させた。

 スキューバは江渡の身体を探った。真っ暗闇にぼんやりと筧恵美によく似た男の姿が浮かび上がった。スキューバは筧恵美には弟がいて、夢に入る能力をもっていることを思いだした。弟は入学以降誰とも会っていない、家に引きこもっていると誰かが話していたこともだ。そのためスキューバは失念していたのである。夢は最低でも互いに認識し合っていなければ入ることができないと、思い込んでいたのだ。

 ぼんやりとした明かりが増え、部屋の全貌が徐々に明らかになる。それはレクター博士が言うところの“記憶の宮殿”である。いろいろな時代、いろいろな場所のもの、ことが集まってできている。ただ違うのは“記憶の宮殿”は普段の“夢世界”と異なり、潜在意識のなかから一定の法則をもって生まれるのではなく、書店が出版社順、作者順に本を並べるように、どの場所、どの記憶をどこに仕舞うのか“記憶の宮殿”の持ち主が決めることができる。ここは応接間だ。巨大な正方形の部屋。あらゆる記憶につながるターミナル。あるのは古いカウチと、スキューバを縛り付けるこの塗装の剥げた机だけだ。

「お前がやったのか?」と、江渡はスキューバに問うた。「まあ、訊くまでもないか。夢魔だものな。お前以外にそんなことをするやつはいない。さて、まあ、はっきり言ってどうでもいいんだ。お前が夢魔だとか、そういうことはな。問題なのはお前の所業なんだよ。スキューバ。問題って? 問題ってなんだって顔だな、それは。でも言わせてもらえば、俺だって我慢した方なんだ。お前の異常性欲にも一週間付き合った。それで、これだスキューバ。こっちはそれとなく見ていると伝えたのに、お前はそれをし続けた。俺には理解できなかった」

 スキューバは反論しようとしたが、声が出なかった。目の前の男によって禁じられているらしい。

 筧江渡は興奮気味に応接間を歩き回った。本当はもっと実直な性格らしい。努めて落ち着いて話そうとしている様子が窺えた。

「悪いけどな、お前は隔離させてもらった。さっきみたいなこともできないだろう。お前が夢魔なのは知ってるが、どんなふうに魅了してくるのかはわからないからな。下手すりゃお前の毒牙にかかった子たちと同じ結果になってしまう。そんなのはごめんだからな。気色が悪い」動けないことにスキューバは非常なストレスを抱えていた。なにが、どう、自分を拘束しているかわからなければ、スキューバにこの拘束を解くのは難しい。スキューバはじっと、男を見つめた。

「これは警告だ。スキューバ。お前は自分の悪性を捨てなくてはならない。少なくとも姉さんにその悪性を向けてはならない」お前はけがれている、と筧江渡は言った。“お前は淫蕩だ。どうしてあんなことできる。お前は罪のない少女を穢したんだ。よくもそんな、恥知らずなことを! お前は悪魔だ。お前は……」江渡は言いながら、だんだんと顔を歪め、苦し気にうめき声を出した。

 このとき、意外にもスキューバは恐怖を感じていなかった。江渡の目を見、同時に見ていない……苦痛、江渡がああして主張した罵詈は、スキューバ自身が頭の中で幾度となく繰り返してきたものだったからだ。スキューバは恐怖よりも、内省的な気分になり、またぞろ目を逸らしてきたはずの潔癖が、鎌首をもたげてくるのを感じた。

 彼は自らの主張をしながら、まったく身に堪えないスキューバに、いらいらしはじめていた。筧江渡からすれば、自分の主張は正しいものだ。スキューバは自分のために少女たちを犯し、記憶に残さないからと、あまつさえ自己正当化を図るのだから。彼は実直だった、そう言ってもいいだろう。筧江渡は、あくまでも自分の正しさでスキューバを屈服させたかった。

「俺はお前とは違う。俺はお前のような下種じゃないんだよ。なあ、頼むからやめてくれないか、ああいうことは」筧江渡は呻き声とともにそう零した。「お前がそういう存在でいると、俺は自分までそういうやつなんじゃないかと考えてしまうんだよ。それは嫌だし、困るんだ」

 筧江渡は“夢世界”というものは、と言った。「“夢世界”というものはお前も知っての通り感覚器官が“実現実”――解釈のない現実を取り込み“現実世界”として解釈し、さらに再解釈し、内側に投影したものだ。複数人で構成される“現実世界”と違って“夢世界”は基本的に一人の人間が構成しているから、俺やお前みたいに夢に干渉する能力を持っているやつの手にかかれば、簡単に染められてしまう。そこはまあ、利点でもあることだが……染めるのが一人ならいい。だが二人、そういうのは困る。“夢世界”の書き換えを複数人で行うとなると、困ったことに、困ったことにだな、俺のほうにまで影響が来てしまう。最悪、俺のほうまで書き換えられるんだ。そうなると、つまりどうなるかわかるだろう。俺までもが、お前の異常な趣味を植え付けられてしまうんだ。お前だってそこまで傲慢な生き物じゃないだろう」

 “そう言われても、わたしは性交渉をしなければ食事ができないのだ”とスキューバは思った。だがその言い分をこの男にぶつけてみても、受け入れては貰えないだろう。最悪の場合、殺されてしまうかもしれない。

 “殺されてしまう!”スキューバは考えた。“そうだ。この男はいったい、わたしをどうする気なのだ?”

 スキューバは泣きたくなったが、それさえも許されていなかった。心の中でさめざめと泣き、自らの境遇を呪い、自らの行いを後悔した。ところが幸運なことに、この男はスキューバを殺すつもりはなかった。江渡はスキューバの心情を“流体”を使わずとも読み取り、はん、と鼻で笑った。

「そんな風に無様な姿をさらすなら、最初からやらなきゃよかったんだ。そうは思わないか? ……安心しろよ。さっきも言っただろ。とりあえず、誓え――と言っても、まあ、それも難しいか」江渡は掌に鍵と錠前を生んだ。どちらも見た目は“現実世界”のものと変わらない。「これは――ロックという概念だ。向こうではこれはただの鍵と錠前だ……素人でもハンマーの一つでもあれば簡単に壊せる。だがこっちではそうじゃない。これはロックという概念なんだ……これ一つでお前は、あらゆる概念を封じられる。例えばこれをお前が呼吸できない錠前だとしよう」江渡は錠前をスキューバの胸に押し付けた。息が詰まる。顎を引いて空気を吸おうとしたが、ぱくぱくと口が開いただけで、肝心の酸素が入ってこない――筧江渡は十秒してから錠前に鍵を挿し込み、開錠した。スキューバは息ができるようになった。筧江渡は顔ににやつきを張り付けて咳をするスキューバを見下ろした。「これでお前にロックをかけるんだ。誰も犯したりしないし、劣情を抱かないとな。優しいだろう? 本当はお前自身が解決すべき問題なんだ」

 スキューバは酸欠でよく働かない頭ながら、筧江渡の今の言葉を聞き逃さなかった。“マズい”“かなりマズい”“いや、マズいなんてもんじゃない。このままでは殺されてしまう”

 筧江渡が錠前を手に、再び近づいてくる。スキューバは打開策を探す。その時間はわずか四秒である。“ここから逃げるしかない。それ以外にない”“でもどうすればいい?”“この男はなにもないところから錠前を取り出した。わたしにもああいうことができるのでは?”スキューバは先ほどのことを思い返した。スキューバは筧江渡の姿を見たいと思い、電灯をつけた。無意識ではもう筧江渡がやっていたことをしているはずなのだ。意識的にそれをやるというだけで。ここから消えよう。一気にどこかへと消えるイメージを、浮かべればいい?

 無駄だ、と筧江渡が言った気がした。スキューバは再考しなければならない、と思った。そうだった。この男はさっきわたしの力を封じたのだ。だが、どのようにしてだろう? 力を封じられた、という自覚や感覚はない。試してすらいないが、やったということはなんらかの対抗策を講じているはずなのだ。逃げることぐらい織り込み済みのはず……。そうこうするうちに筧江渡が近づいてきている。頭が真っ白になった。“とにかくやらなければ”“流体だ。流体を……”そして気が付くと、スキューバは浮き上がっていた。筧江渡は目の前にいない。しかし、安心するのはまだ早いということにスキューバはすぐ気が付いた。ここはあの応接間だ。それは変わっていない。わたしはいま、浮いて、少し移動しただけだ。逃げられていない! それどころか背中に強烈な重みを感じると、スキューバはその場に墜落してしまった。背中に机がついたままなのだ。「おいおい、そんなものしょって逃げられると思うのか?」筧江渡はまた近づいてきている。“考えろ。考えるんだ”スキューバは思った。“ただ移動するのではおそらくダメ。この机がずっとついてきて、遠いところまで逃げられないようにされている”スキューバはこの机がついてくる条件に付いて考えた。そして一つ、思いついた。筧江渡が近づいてくる。スキューバは目をぎゅっとつむる。筧江渡が手を伸ばしてくる。「外れろ!」スキューバは心の中で叫んだ。「なにを言ってるんだ?」と筧江渡が言った。そんなことで外れるわけがないだろう。そう思ってもう一度バカにしてやろうと口を開き、絶句した。

 スキューバがその場から消えたのだ。「そんなバカな!」筧江渡は机をひっくり返し、目を見開いた。なんとそこにはスキューバのものと思われる四肢が切断された状態で転がっているではないか。“そういうことか”筧江渡は思った。“拘束された部分を捨てたな”「チェッ、無駄に頭が回る……」今から追いかけて追いつくだろうか。筧江渡は考えたが、すぐさま翻した。「いや、俺はあいつを追いかけたくなんかない。だって追いかけて捕まえたら、俺はあいつをロックしてしまう。それじゃダメだ。あいつはもうダメだ」筧江渡はスキューバに向けて叫んだ。「おいお前! お前は逃げたんじゃないぞ! 俺があえて逃がしてやったんだ! お前はもう夢の中に入ってこられない! つぎに入ってきたらそのときは容赦なく、お前を殺す!」

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