第6話
スキューバと筧恵美の交流はひじょうに消極的だった。それはときおり“流体”あるいは筧恵美の能力によってのみ交わされた。筧恵美が歓談中や授業中などにスキューバへ思念を飛ばし、スキューバは筧恵美に視線を投げかけ“精神”の揺れや波長を、筧恵美に見えないようにはしなかった。筧恵美はスキューバが決して拒絶しているわけではないと確認するだけの交流で、ある程度は満足していたし、満足しよう――と努めてもいた。スキューバは夢の中で見られたと考えた翌日、学校にいこうかいくまいか真剣に悩んだが、けっきょくいくことにした。恐怖はあったが、それ以上に確かめたい気持ちがあったのである。学校に着いたスキューバは人前で筧恵美に話しかけるわけにもいかず、非常にやきもきしながら“意思”のこもった視線をあちこち乱雑にばらまいた。筧恵美はとうぜんながらそれに気が付き、昼休みにくだんの校舎裏へむかった。スキューバが話があると思ったからだ。ところがいくら待ってもスキューバは来なかった。スキューバは怖くなって筧恵美になにか訊くのをやめにしようと考えていた。あまつさえ、知られていようと、これから関わらなければ一緒だと思ったのだ。筧恵美は、これを読み取ったわけではないが、スキューバの性格を考えて、自分から行動できないのではと推測をたてることはできた。筧恵美はその日、級友たちの誘いを断って、スキューバの帰りを待ち伏せた。掃除当番が終わって、昇降口に降りてきたスキューバを筧恵美は、夕陽を背景にして仁王立ちになった。スキューバは面食らった。筧恵美はほんとうに怒っていて、ほんとうに燃やされるという錯覚さえ起こした。少なくとも間違いなくあのとき夢の中に入ってきていた、と。その場から走って逃げだそうとしたスキューバの背中を、筧恵美の“待って。お願いだから”という声が射抜いた。これは文字に起こすのなら、太字か、あるいは巨大な文字としてあらわすべき一節である。筧恵美の伝える能力を最大限まで凝縮した文字列である。メンタルの弱いスキューバが抵抗できるわけもない。スキューバは地面に倒れこみ、涙を流した。“燃やされる”“わたし、燃やされる”スキューバは本気で恐怖し、失禁さえした。火にあてられ、閃光で目をみえなくされたかのように惑い、スキューバは“許してください”と言った。「許してください。許してください。許してください。許してください。許してください。お願いだから……」今度は筧恵美のほうが驚愕する番だった。立ち止まらせるために遠慮なく声を発したのは確かだが、彼女をこんな風にしたかったわけではないのだ。謝らせようだなんてこれっぽっちも思っていなかったのだ。筧恵美は狼狽し、しょうべんがつくのも構わず発狂したスキューバの背中をさすり、えずくスキューバを慰めた。ちょうどよく養護教諭が近くを通ったので、頼み込んで保健室に寝かせることができた。
スキューバは自意識の崩壊を焼失と勘違いしたが、同時に自分のなかの過去すべてを見渡すことができていた。スキューバは夢の中で自分とそっくりの女の子と踊った。意味は分からなかったが、そのときは楽しかった。
4「魂について、考えるのよ」とスキューバは言った。「魂の有無について、考えるの。魂というのは、その人をあらわす最小にして最大のものよ。それをわたしは、火として理解している……それが在る限り、人間は死んだとしても、次の人生を生きることができる――厳密にはそれは“死”ではないわ。それは魂の灯が湿る、ということよ。湿った灯は活動を停止する。けれど乾くことがあれば再び点火する。そのとき、以前の自分と今の自分を見分けるものは何か? それが魂なのだわ。それがあれば、何度湿ったとしても、蘇ることができる……でもわたしは違うわ。わたしは虚像から生まれたんだもの」
筧恵美は自分ではない。自分は現実でしかそういう力を働かせることができない、と答えた。スキューバにそれを信じた。自分が殺されていなかったから、もともとそうは考えていなかったから、そして、筧恵美の能力によって。
「なぜ虚像から生まれた、と考えるの?」と筧恵美は問うた。「虚像から生まれたとして、なぜあなたは自分に魂がない、と考えるの?」
「目よ。それは……」スキューバは忌々し気に呟いた。「目の奥を覗くと、魂の灯が見える。そのようなものが、見える。でもわたしにはそれが見えない。それは、鏡像を覗くということではないわ。鏡像は夢と同じ、結局のところ過去だもの。わたしが魂を発見するのは、いつも脅威によってよ。そんな気がするということ(・・・・・・・・・・・・)なのよ。魂は火種、火そのものではないわ。火種がなにかを害するのは、なにかと接触するときで、それは火種ではない。火種が火種に触れても、一方の火種を殺してしまうということはない。けれどわたしが魂の灯を見るとき、わたしは燃え、焼失し、混沌に溶け込んでしまう。わたしは今、とても乾いている。けれどもそれは魂の灯によってではなく、ただ単純に、いまを生きるということ。わたしには魂というものがないのよ」
「感じる、ということ? そうね、それはとてもシンプルだけれど、反論しがたいものだわ。私はあなたの価値観を否定したいわけではないしね。わたしはけれど、そんな風に思って欲しくないの。私はね。私は誰かの心を読む、それは誰かの魂とつながるということ……ではないわ。あなたに言わせれば、だけれど。けれど私があなたに関わろうと思った、その切っ掛けとして、私はあなたの心を読み、私と一緒なんじゃないかと思った。それは、あなたの魂が存在しないからでは、決してないわ。私はあなたの“流体”が他人と違うから、それは私と同じだから、だから話しかけたのよ。でもあなたから見て、私には魂があるんでしょう。私はあなたと同じだと思ってる。なら私にも魂はないというの? 違うでしょう。私に魂があるというのなら、あなたにもあったっておかしくはないはずよ。いいえ、わかってるわ。これが慰めだってことは。こんな言葉であなたが納得してくれるだなんて、私、これっぽっちも思っていないのよ。でもわかって欲しいの。私はあなたに前向きでいて欲しいって。あなたが好きだから、そう思っているのよ」スキューバは黙って手遊びをしていた。筧恵美の言葉に、図らずも感動を覚えていた。
けれども、しかし、この会話があったあとでも、二人のかかわり方が変わるということはなかった。スキューバは、いくら筧恵美と仲良くなろうと、スキューバの特性がある限りは筧恵美にちかづくことはできないし、筧恵美もそんなスキューバの“意思”をくみ取って、スキューバへ積極的に関わろうとはしなかった。魂がどう、というのは所詮はスキューバの事情に過ぎず、本当の問題は約まるところ、スキューバそのものだったのである。
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