ギルデッド男爵夫人
待ち構えていたのは、一人の夫人と数人のメイド達だ。
高位の女官と思われる夫人は、わたしの頭頂からつま先までをじっと見定めていた。
一通り把握すると、彼女は儀礼的な笑みをわたしに投げかけた。
「ようこそいらっしゃいました、子爵令嬢。貴女が最後です」
「ナトミー子爵家のロザリンド・デ・ナトミーと申します。よろしくお願いいたしますね、夫人」
特徴的な巻き髪を結わえた彼女はギルデッド男爵夫人。
ただし確信はないので、名前は呼ばないでおく。
男爵夫人たちの待ち伏せ……これがアレンの心配していた事態なのだろうか。
わたしは小声でアレンに訊ねた。
「彼女たちは西宮殿の令嬢の手先ということ?」
「はい。この夫人と彼女に従うメイドらは、後宮の西宮殿を陣取る令嬢達の手先です」
ギルデッド男爵夫人は大げさな身振りとともに、滔々と語り始めた。
「毒物、刃物、種々の危険物……宮殿への持ち込み品には厳格な規定がございます。皇帝陛下並びに皇室の方々の安全の為に、たとえ良家の令嬢でも容赦なく実施させていただきます」
夫人の演説をよそに、アレンは同じく小声でわたしに注釈を伝えた。
「要は、何かしら理由をでっちあげて称賛される宝飾品等を没収し、妨害するつもりなのです」
でも、貴重品が載った荷馬車は、アレンの咄嗟の判断で、先に東門に向かわせてしまったから問題ないはずだ。
さすがはアレンである。
わたしは目配せをして、彼に微笑みかける。
けれど、気持ちまでは伝わらなかったようだ。
アレンは困惑の笑顔を浮かべながら背筋を引き締めていた。
……あれ?
わたしは気が付いた。
……そういえば、そうだ。刃物と言えば!
お父様から頂いた餞別の短剣をこの馬車の手荷物として載せていた。
あの時、パパから手渡されたからアレンの検閲をすり抜けていたんだ。記帳もされず、それからはずっとこの馬車に置いたまま。誰も気が付かなかったのだ。
持ち込みの目録とすり合わせれば『どこかで紛れ込んだ』の言い訳はつくが、妨害が目的の彼女たちには格好の的である。
ギルテッド男爵夫人と配下のメイドが調べる前になんとか隠さないと……!
アレンに手振りで事態を伝えると、今度は彼に伝わったようだ。
その間にも夫人たちは馬車へ近づいている。
ギルテッド男爵夫人が、今まさに扉へ手をかけようとする寸前だった。
「この馬車は東宮殿への搬入物です。勝手な検査はご遠慮願いたい」
アレンが声をかけ、振り向いた夫人の前に一枚の書簡を突き出した。
「大変申し訳ありません。こちらの令嬢については、第二騎士団および東宮殿の管轄で検査させていただきます。これはマディル公爵からの御用命であり、当然、御夫人方のお手を煩わせるまでもない」
「まさかですが、ナトミー子爵令嬢。西宮殿にいらっしゃるつもりではないのですか?」
立ち塞がるアレンを躱した視線が、夫人からわたしに向けられる。
が、直ぐに夫人の物言う視線をアレンは遮った。
「ナトミー子爵令嬢へのもてなしは我々に一任されております。同時に、これは人員の不足した西宮殿より最良であるというマディル公爵の判断の下での結論です」
「それは子爵令嬢を蔑ろにされていませんか」
「先程も申し上げた通り、マディル公爵の判断です。お互い多忙を極める身でしょう。私達はこれで失礼させていただきます」
「………」
夫人も夫人だが、アレンも強く出るものだ。
ともあれ、アレンの押し勝ちでこの場は切り抜けられたようだ。
ただ、戻った馬車の扉を閉めようとした時、夫人の厭味たらしい声が聞こえた。
「ナトミー子爵令嬢。たとえ東宮殿に滞在されるとしても、本日中に西宮殿のサロンにお顔をお出しになった方がよろしいですよ」
東門へ向かう馬車の中でアレンはわたしに頭を下げた。
「申し訳ありません。後宮内の詳しい説明は、東宮殿で落ち着いてから行うつもりでした。あれはロザリンド様を蔑ろにする意図があったわけではなく、こちらの伝達ミスです」
アレンは眉尻を下げながら、付け加えた。
「ギルデッド男爵夫人らの妨害工作には、気分を害される令嬢も多く、なるべくなら最初から出会わないようにしたかったのです」
「アレンのことを信頼していますから、気にしていませんよ。
「それは………はい、『最悪のことがあれば、躊躇することなく使え』と」
「躊躇しなくても良いとは、思い切った言葉ですね」
ちょっとマディル公爵らしくない表現だった。どこか放任主義的で「可愛い子には旅をさせよ」も厭わない公爵なら、書状など渡さずに乗り切れと多少の助言で済ませそうなものなのに。
アレンは少し血の気の引いた顔で悩んでいた。
「私も晒さずに済むよう荷馬車を遠ざけたのですが、あの短剣は予想外で……判断を誤ってしまいました」
「いいえ、誤ってなどいません。わたしも、持ち込んだことすら直前まで忘れていたのだし、アレンの判断は正しかったですよ」
ギルデッド男爵夫人の厭味な声がまだ耳に残る。彼女のような人に付け込まれたら最後、どうなるか分かったものではない。
「とはいえ、何度も同じ手段が通用するわけでもありませんが。子爵令嬢が親類であるマディル公爵家の名をむやみに振りかざせば、権力への妬みや嫉みはわたし自身に返ってきます。どうしたって、公爵家より子爵家の令嬢の方が狙いやすいですから……だから、『
あからさまな優遇は反感を買う。
今回のようにマディル公爵家の名を持ち出して、厄介を回避することもそうだ。
先の皇太子妃選定の儀と同様に、マディル公爵家が側妃候補の選定に関わることも優遇と捉えられるだろう。
「ですが、わたしにとって、側妃になれるかどうかは重要ではありませんから。気に病まないでください」
わたしにとって側妃候補はただの手段。看守の少年リヴィの前世である皇太子殿下を支える目的の為に最適だっただけだ。
ただ、愛で結ばれた皇太子妃殿下は皇太子殿下の弱点だ。皇太子殿下を支えるためにも、側妃候補として後宮へ潜り込み、皇太子妃殿下の地位を狙う者から護らなければならない。
「では、どうしてロザリンド様は側妃候補に立候補されたのですか?」
わたしの記憶も思惑も知らないアレンは正面から訊ねた。
「てっきり、ロザリンド様は子爵位を継がれるのだと……」
「正直に言えば、わたしはユイーズ皇太子妃殿下をお支えするために立候補したの」
「……」
アレンは口を噤んだ。
辺境伯領の傭兵だったが故に、領地持ちの貴族から自責を刷り込まれた時とは違う沈黙。
再び彼が口を開いた時には、頑なさへと変質していた。
「領地持ちの貴族が
非難までは行かずとも、領地持ちの貴族に対する疑心が露わになる。
アレンとの間に透明な壁ができ、阻んでいるようだった。
そして馬車が宮殿の東門を抜けるまで、その透明な壁は強固に聳え続けた。
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