潔癖症の犬

 荷車を牽引し続ければ、馬も人も疲れる。


 休憩の為、いつぞやの日と同じようにマディル公爵家の居城に寄って一夜を過ごしてから、わたしたちは皇都へ向かっていた。


 三度目にもなれば、マディル公爵家の居城内で周りを物珍しそうにきょろきょろと見まわすこともなかった。居城内部にかけては、アレンよりわたしの方が事情通であったから。


 出立から一昼夜が経ち、泣き腫らした赤い目も静まっていた。


 馬車の中でわたしはアレンと相対して世間話をしたり、たまに息継ぎで沈黙を共有したりして、皇都への道を楽しんでいた。


 ふと、アレンは思い出したようにひとつの話題を取り上げた。


「衣装箱を降ろして、載せ替えた報告を受けました。なにか輸送に不備でもありましたか?」

「あぁ、えっと、特に心配する必要はありません。おろしたての衣装を用意したつもりですが、モニカ姉様に皇都の流行にはそぐわないと言われてしまって。仕立て直すことになりました」

「八割方は城に置いてきたようですが……今あるもので足りますか?」

「いいえ、足りないでしょうね。なので、明日か明後日か、店先に出向いて、ドレスを買い求めるつもりです。多少値が張っても……まあ、えてして流行とはそういうものですから」


 貴族の衣装は受注生産オーダーメイド。着用者のサイズに合わせて月単位での製作が基本である。それを流行に間に合わせる為には、金を積み、製作を急がせるしかない。


 今回のように間に合わせの衣装を服飾店から購入する場合でも、例外はなく。直近の流行に沿った試作服や既製服は、針子の努力が価格に反映されるだろう。


「とりあえず、このドレスを含め、数日分はモニカ姉様からいただいたから大丈夫ですよ」


 しかしまあ、現在の流行りである宝石付きドレスまではいかずとも、デザインはモニカ姉様の手紙を参考にしたのだけど……昼夜、どちらの用向きもダメになるなんて。


 けれど不可解ではある。


 だって代わりにいただいたこのドレス……結構前の流行りだったような?


 モニカ姉様のちぐはぐな言動が意味するところは、どのような皇都の慣習なのか。


 アレンは皇都のドレスの流行に興味がないようなので、答え合わせもできない。


 そんなことを考えていたら、アレンと目が合う。


 アレンは何か言いかけるように口を開いて。閉じて。


 彼は自分の髪を触りながら、はにかんだ。


「何を着ても、ロザリンド様にはお似合いだと思いますよ」

「……! ありがとう、アレン」


 なんだ。


 意外とパパから言われたことのある褒め言葉でも、感じたことのない嬉しさがある。


 アレンの褒め言葉は拙い。


 語彙の豊富さで比べてしまえば、パパの完勝だ。


 それでも、パパと褒められるのとは違う。心のどこか形容しがたい部分が温かくなった。


「アレンも、その第二騎士団の正装は素晴らしく似合っていますよ」


 彼は婚約パレードの日と同じ衣装を着ていた。


 白地に青を基調とした涼やかな色味で、第一騎士団の赤とは色違いの騎士服だ。


 とは認識しつつも、注視してみると第一騎士団の騎士服と比べて、装飾の数は抑えられているようだ。


「そうですか……」


 褒め返したつもりだったが、アレンは言葉を濁らせた。


「あまりお好きではないのですか?」

「まだ従騎士の身でありますので。本来、騎士位を叙爵されてようやく堂々と着れる制服だから……ですね」


 アレンは純白のマントを摘まんで、はためかせた。


「それに、こんな派手で、動きづらく汚れやすい服、騎士団の正装でなければ着ていません」

「でしたら、このまえの訓練服でも良かったのではないですか? 前に待ち合わせをした時の」

「お迎えに上がるのに、ロザリンド様のご家族を心配させる訳にはいきません」


 アレンはきっぱりと言う。


「わたしのパパはいつでも心配性ですよ」

「であれば、なおさら正装でお迎えに上がって良かったと思います。ロザリンド様をお守りする身ですから、ご家族に心配はかけられません」

「ありがとう。でも、まだ騎士でなくたって、アレンのことは頼りにしていますからね」


 これは切実な気持ちだ。


 だって、皇都での知り合いは、現状アレンしかいない。


 後宮に限れば、その表現はもはや過言ではなくなるだろう。


「お役に立てるよう頑張ります」


 アレンは口角を上げ、自らの騎士服の胸元を叩いた。


 あれ、知り合い……?


 何気なく見過ごしていたあることに気付いたわたしは、アレンに訊ねる。


「そういえばですが、城にいた時、どんな話題でカイくんと盛り上がっていたんですか?」


「……えっ、いや、マディル公爵の御子息とは二言三言交わしたのみです。盛り上がっているように見えましたか」


 わたしは頷く。


 公爵の居城から出発する直前、城の廊下で話し合うカイくんとアレンを見た。


 邪魔するのも悪いと思って、近づきはしなかったけれど。流暢に口を動かすカイくんと、こちらに背を向けて立つアレンがいたことは、しっかり記憶している。


「カイくんは気が向かないと話さない子だと、モニカ姉様がおっしゃっていました。わたしも初対面の時から今でも、軽い挨拶程度の時間しか過ごせていないのです。なら、カイくんの興味がわく、共通の話題があったのかなって」


 本当に、あのカイくんと盛り上がれる話題があるのなら、ぜひとも教えてほしい。


 しかし、アレンの空色の瞳は低く低く滑空していく。


 彼は重々しい表情で、ゆっくりと口を開いた。


「潔癖症の犬、が何を指すかご存知ですか……」

「潔癖症の犬? カイくんがそう言ったのですか?」


 聞き馴染みのない形容だ。


 甥っ子の発言の真意は何だろうか。


 カイくんがわたしの贈った童話を大事にしてくれていたことから、わたしはその糸口を童話に求めた。


 犬から連想したのは、『犬と肉』もしくは『肉をくわえた犬』と呼ばれる童話だった。


 それは肉をくわえた犬が、水面に映る自分の姿を別の犬と思って、吠えて、肉を水の中へ落して失った……つまり、欲深さが損となることを教える教訓のような童話だ。


 でも、これは潔癖症とは関係がなさそうで……。


 それで、潔癖症はどうかといったところで、なぜだか『狼と七匹の子ヤギ』が連想される。


 狼と七匹の子ヤギだと、狼は手に白粉をはたいて母ヤギに扮するが……見せかけを綺麗にするだけで、もう犬も潔癖症も関係がないではないか。


 結局、字面通りの、石鹸で全身を泡塗れにして、バスタブに浸かる犬が思い浮かんだ。


「あぁ……いえ、すみません。今、口にしたことは忘れてください」


 アレンは蒼白な顔になって頼み込んできた。


 それはまるで、ロバの耳の王様に口止めされていたのに、結局秘密を漏らしてしまった床屋のようだ。


 まったく、カイくんは何と言って脅したのだろう?


 カイくんを歳相応の子供として扱うのならば、アレンが第二騎士団に所属する、辺境伯領出身者であることが大いに関係しているかもしれない。


 辺境伯領出身の第二騎士団は、元はラインガード辺境伯が任ぜられた国境の防衛の為に雇われた傭兵団だ。彼らは――皇国の中心で暮らす者は生涯目にしないであろう――魔獣の撃退を生業としていた。


 魔獣の生態は未知である。


 これを謎と呼ぶならば、研究者気質のカイくんが興味を持ちそうな分野だ。


 たとえば訊いた質問が、魔獣は、いわば潔癖症の犬であるか……とか?


 自分でも的外れだと分かる問いなので、今度カイくんに訊いてみようと思った。


 城内では子供らしくないと耳にしたが、歳相応の知的好奇心は持ち合わせていて良かったと思う。


 勝手に甥の将来に安堵するわたしだった。





「そろそろ、皇都内に入りますね」


 昼間を目前にした、陰りなき白亜の都は空と反射する光とで眩しく、日傘を差したご婦人も多い。


 アレンは馬車窓の外に視線を投げかける。


「馬車の中からだと、普段の景色と違って現在地が把握しづらいですね」


 その言葉を聞いて、わたしも外を見た。


 皇都の大通りの中央付近かつ車輪分の高みから見える景色は、歩道の景色とは似て非なるものだ。建築物の装飾は細部まで確認でき、草葉を模した鋳鉄のバルコニーでは葉脈すら数えられる距離だ。


 要は、今まで意識してこなかった情報が混ざって、判断が追い付かないのだろう。


 しかし、そんなに現在地を気にする必要があるのだろうか?


 単に宮殿の正門から敷地内へ入り、後宮の区画へ行くだけなのに。


 宮殿の正門へ一直線に引かれた大通りを進む馬車が、正門手前の交差点を渡る。


 馬車が交差点の半ばを過ぎた時、外を気にしていたアレンが突然立ち上がった。


「駄目です、正門から入っては!」


 アレンは即座に外の御者席に続く小窓を開けた。焦った様子で小窓越しに御者と話しているが、既に正門直ぐの車場に着きかけている。


 すると、御者がピュイと口笛を吹き、片手を振った。


 その合図で後続の荷馬車は正門前で曲がり、東へ向かっていく。


 一方、わたしたちが乗る馬車は宮殿内で停止する。


 アレンはまだ焦った様子で、御者に訊ねていた。


「今すぐこの馬車を旋回させて、宮殿の東門まで行くことは可能ですか」

「正門から入ってはいけないことがあるの?」


 アレンの慌てようを不思議に思い、わたしはつい訊いてしまった。


 彼は振り向き、釈明する。


「入ってはいけない決まりはありませんが、何と申しますか、一応東門からの方が用意された部屋に近いので――」


 ――コン、コン、コン。


 外から馬車の扉が叩かれた。


 扉に備え付けられたガラス窓からは――車輪分の段差ゆえに――窓際に近づいて外を覗き込まない限り、叩いた人物が分からない。


「どなたかしら」

「っ待ってください! 誰がいるのか分かりません」

「宮殿の迎えの方々ではありませんか? 気になるなら、窓際から確認しましょう」

「確認するのも待っていただけませんか」


 アレンは理由を伏せたまま、何かを恐れているようだった。


 外を覗けば、正体は知れること。


 だが、同時にこちらの顔も見せることになるだろう。それを恐れているのか……?


「ですけど、無視して来た道を引き返してしまうのも悪いことです」


 わたしとアレンは顔を見合わせた。


「もう観念して成り行きに任せましょう?」


 アレンは不安げな顔ながらも、しっかりと頷いた。


「今から降りるわ」


 ふぅっと息を吐いた。


 馬車の扉が開かれていく。


 わたしは踵を踏み鳴らし、宮殿に降り立った。

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