はなむけの短剣

 荷馬車近くで、アレンが確認作業に追われていた。


 アレンは子爵領と皇都間の送迎の護衛として派遣されていた。治安の良い皇国で襲われる心配は一切ないので、彼が派遣された目的は別にある。後宮に持ち込まれる荷物の検査だ。


 危険物の持ち込みを制限し、かつ万が一、そんなものが紛れ込んだとしても子爵家のものではないと証明ができるようにするためだ。


 少しばかり、過去を邪推してしまいそうな決まりごとである。


 だが、それについて熟考するよりかは、アレンへの申し訳なさでいっぱいだった。


 散々、散々、送別会をした。


 そのせいでアレンは荷馬車三台分の荷物検査をする羽目になっているのだ。職務とはいえ、気の毒と思わずにはいられない。


「ロザリンドォォォ!」


 バンッと玄関扉を力任せに開け放つ音がした。


 パパが子爵邸からたくさんの贈り物を抱きかかえて出てくる。送別会の贈り物とは別の、今日の贈り物だ。


 こんなパパの溺愛ぶりに慣れてしまった熟練の使用人たちは、直ちにパパの元へ集い、贈り物を預かる。そしてさっさと荷馬車の方へ行って、アレンの確認待ちの品を増やした。


 反して、若い使用人たちはポカンと立ち尽くすばかりだった。


 パパの溺愛施策のひとつである『歳の近い使用人を全員遠ざけて』しまうこと。


 そのせいで、彼ら彼女らは子爵パパの愛娘の前にした豹変ぶりを知らない。送別会での興奮した様子は、単に別れの雰囲気に当てられただけか、褒め上戸か……と思っていたのだろう。


 アレンもぎょっとして邸宅の入口を振り返っていた。領地持ちの貴族があんな取り乱し方をするのを見るなんて、初めてのことだろう。


 パパが皇都の議会に参加するときは、まとも、そう、なんだろうなぁ……と想像できた。


 わたしは、またかぁ……と苦笑する他ないのだけれど、今日からは当分目にすることがなくなる。それに哀愁を感じずにはいられない。


 パパから軽い抱擁を受ける。


 熟練の使用人たちの連携で、パパの愛が溢れた贈り物はわたしの目の前に辿り着くまでの間にほとんど剥ぎ取られていた。


 残った品はパパの手元にあるものだけ。


「ロザリンド。これだけは肌身離さず持っておきなさい」


 そう言って、パパがわたしに手渡したのは拳一つ分の刃渡りが鞘に収まった短剣だった。


 まさかの、はなむけの品が短剣………短剣?


 ここで思い起こされたのは、婚約パレードの日の晩餐会後、パパの説得をした時のことだ。


『悪意の坩堝るつぼのような皇都へ出向いて、モニカの言う通り武器もなく何が成せる?』


 だからって、本当に武器を渡す心配性な親がいるわけ………いいえ、パパの過保護を甘く見てはいけない。以前まで、わたしが過ごす子爵邸の東翼二階は、使用人通路も含め、見張りが付いていた。多少融通が利くようになっても、何をしでかすか分からない。


 アレンも若い使用人も、はなむけの品には見えない短剣が手ずから渡されたことに理解が追いつかない様子だ。


 わたしとしては、やっぱり、パパは相変わらずのパパだなぁと認識し直した。


 この短剣、宝飾品と言い表すには軽くて持ちやすい。


 ほんの少しだけ、鞘から短剣を引き出したが……。


 キラリと陽光をはじく鈍色の輝きは切れ味の良さを物語っていた。


「パパ、この短剣は………護身用? 調理用?」

「勿論、護身用だとも。とは言っても、短剣を贈り物とするのは縁起が悪い」


 ……縁起が悪いのに、なぜ短剣を贈るの? パパ?


 沈黙の合間を縫って、クラウディールが額縁に収められた金貨を差し出した。


 パパの書斎に飾ってあったはずの一枚の金貨を額縁ごと、わたしは老年の執事から受け取った。


「この金貨は……はじめて領内の取引に参加した時の報酬ですけれど……?」


 この額縁の金貨。ふとしたきっかけでパパにあげたら、丁重に扱われてしまったものだ。


「そうだね。ロザリンドがはじめて領主の職務を果たして得た報酬だ。ここで提案だよ、ロザリンド。私から短剣を贈られたのではなく、ロザリンドがこの金貨で買った。そういうことにしてしまおう」

「わかりました。この短剣、護身用としてパパから買います」

「これは、いささか高すぎる買い物かもしれない。領主の後継としてどう思うかな? ロザリンド」


 額縁の金貨が渡される前に待ったをかけて、パパは試すような口ぶりで訊ねた。


「高すぎる買い物だったと……思うよりかは、損がお金だけで済めば何も言うことはありません。いざという時の保険をかけなければ、失うのはお金ではなく命になりますから」


 わたしの回答に耳を傾けて、パパは二度の頷きをした。


「うんうん、目先の金に囚われてはいけない。皇都で動く金は、この金貨一枚の数百倍や数千倍だが、それも命や身の安全と比べれば目先の金だ」


 確かに、命と比べれば、この金貨も目先の金。金額の多寡は関係ない。


 額縁の金貨を老年の執事へ手放した後、パパはゆっくりと語り始める。


「いいかな、私達の美しく聡明なロザリンド。嘘をついて騙そうとする者は厄介だが、ペテンを語る詐欺師など注意を傾ければ、割合見抜けはする。問題は真実しか語らない相手であり、悪意を持たず、嘘もつかない詐欺師だ」


 人を煙に巻くような謎かけである。


 パパの言葉を、わたしは慎重に紐解いて解釈を考える。


「つまり嘘をつくことに嫌悪や躊躇がない者……いえ、嘘をついていることに自覚がない者のことですか?」

「すばらしい。正解だよ」


 それに続くパパの声は朗らかなままだが、伝えられた情報は深刻なものに思えた。


「そしてね、パパが言いたいことは『誰でもそのような存在になりえる』ことなんだ」


 ――誰でも自覚なく相手に嘘をつくかもしれない。


 それは見間違いや聞き間違い、あるいは嘘を何者かに吹き込まれたか。


 パパが言いたいことは、そうなった相手の嘘に騙されること?


 いや、違う。


 パパが暗に示したのは、わたし自身がそのような存在になることの注意だ。


「重々、気をつけます」

「ああ、それと、後宮では心細いだろうが、わざわざ宮殿に居続ける必要などないからね。付き合いきれないと思えば別荘タウンハウスに引きこもっていれば良いよ。子爵領にだって、いつでも戻ってきても良い。当然っ、今日からでも良いのだからね。どうかな? ロザリンド」

「それは当然、辞退させていただきますから。パパ!」


 提案を断固拒否されたパパは早速悲嘆に暮れていた。


 取り出したハンカチを涙で水浸しにしてしまうのが早いか、悲しみのあまり破って駄目にしてしまうのが早いか、といった様子だ。


 わたしは、そんなパパに追い打ちをかけるように脅し文句を言ってやる。


「そんな簡単には戻って来ませんよ。我儘をおっしゃるようなら、手紙も書きませんからね」

「ううぅ、ううぅ……一日に便箋十枚分とは言わないが、せめて五枚分は送ってくれないか……でなければ孤独のあまり、魂だけが先にロザリンドの方へ向かってしまうかもしれない……」


 反撃で返されたのはパパ自身の命をかけた脅し文句で、そう言われたら手紙ぐらい書かなければいけないような気持ちになってしまう。でも、よくよく考えれば便箋十枚分を五枚分は送ってほしいとか、手紙を送ることが前提条件のような言い草であるし。別に便箋の五枚や十枚なんて簡単に書けるけれど!


 なんかもう、わたしの一挙手一投足ですら、パパの精神を揺るがすことはよーくわかった。


 下手に口喧嘩を仕掛ければ、わたしにちょっと分が悪いことも。


「では、行って参りますね」


 アレンが時間を気にするような視線を送ってきたので、わたしは話を切り上げた。






 開けた馬車窓から乗り出して、笑顔で手を振る。


 きっと、これで良かったんだ……。


 わたしの決意の為には、避けられない別れだったんだ。


 遠ざかる子爵邸。小さくなる家族たち。


 ついに見えなくなった時の、その後も、わたしは木々の向こうの子爵邸を見つめていた。


 ぽろぽろと真珠の粒のように光る雫が、頬をすべり、ドレスに水たまりをつくった。


「わたし、子爵邸に、パパたちの所に、また戻ってこられるのかな……」


 一時の別れが永遠の別れのように感じられて、心の底で木枯らしが吹きすさぶ。


 なんて弱音だ。まだ子爵領から出てもいないのに。


 ただ、対面に座るアレンは、そんなわたしを茶化すこともなく、馬鹿にすることもなく。


 誠実に澄んだ空色の瞳で地平線に沈んだ子爵邸の方を眺めた。


「ロザリンド様の御家族は、ロザリンド様がどんな理由でいつ戻られても歓迎されると思います」

「本当?」


 幼さが垣間見える問い返しに、彼はちょっと面食らったような微動をした。


「ロザリンド様がそのことを一番理解されていると、私は思っていたのですが」


 席に置かれた花束スイートピーの芳香が、優しく包み込むような温かさで鼻の奥を刺激する。


 大事にされているからこそ、わたしの心に生まれた孤独。


 別れの兆しに結晶となってこっそり顔を見せた、寂しいひとつの感情。


 それがゆっくりと溶けていく。

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