Pair.5

子爵邸の使用人

 子爵邸玄関口ポーチ前。


 末娘の出立を見送る為だけに、子爵邸内の全使用人が集結していた。


 この子爵邸で、わたしは十年の歳月を過ごした。けれど、数人を除いて、住み込みで働く彼ら彼女らと正面から顔を合わせるのは、今日が初めてだった。皆が皆、そわそわしている。


 そのため、使用人たちの代表は自然とわたしの身の回りの世話をしてくれていたメイドのヨルダと家令のクラウディールとなった。


 ヨルダは普段よりもメイドの貫録を滲ませた厳格な顔つきをしていた。


「お嬢様。お身体のみならず、身辺の一切にお気を付けください。浮世離れした生活を送られていたお嬢様でなくても、並の人間ならば、後宮での生活は何が命取りになるか分からないと言われておりますから」


 彼女は一息ついて続ける。


「配下の使用人であっても、子爵邸の者と同等の信頼をお寄せになりませぬよう」


 ヨルダの気遣いの仕方はモニカ姉様に近い。相手を怖がらせて危険から遠ざけるような優しさ、だろうか。


「はい、気をつけます。ありがとう、ヨルダ」

「まだお嬢様に申し上げたいことはあります。お部屋で浸水や小火を起こさぬように。見知らぬ人にはついて行かず、二度とかどわかされることのないように」


 ヨルダの気遣いを深く感じながら聞き入っていると、だんだんと小言の雲行きが怪しくなってきていた。というか、見知らぬ人にはついて行かず……って、皇都でのアレンと第一騎士団の少年の諍いに巻き込まれたことが、過保護なパパの色眼鏡で変に伝わっている!


「ヨルダがパパみたいなことを言っているの…… 」

「子爵邸に勤めている者ならば、誰でも心に思うことでございます。ロザリンドお嬢様のご健康とご多幸がありますように、と」


 ヨルダの言葉がわたしの視野を広げて、使用人たちの、彼ら彼女らの顔を照らしだす。


 領内の視察で昼夜問わず馬車の手綱を握ってくれた御者オルト。種々の肉料理、魚介料理、菜物やスープに、デザートまで死角なしの美食を生み出す料理長ポーラ。庭を彩る観賞用の草本や樹木、食用の植物に加え、薬草の知識もある庭師ノイウォード。


 まだ話したことも無いけれど、微笑みかけてくれている使用人たち。


「使用人一同、祝福を申し上げます」


 花束が手渡される。


 柔らかな淡色のスイートピー。


 紫、ピンク、白の花弁は薄紙と真白い紙で二重に包まれ、幸福感をもたらす芳香を漂わせている。甘い花の香りが、わたしの心の、ひとつの感情に沁みていく。


「ありがとう……とても嬉しい。ヨルダたちも身体には気をつけてね」


 わたしは顔を上げて、微笑んでみせた。


「クラウディールもなにか忠告はあったりする?」


 ヨルダからあんなに積もるような小言を聞かされたのだ。


 クラウディールにも、きっとひとつぐらい言いたいことはあるだろう。


 今後、皇都の宮殿内で衆人環視の環境に置かれるこのわたし。側妃候補となれば他人から厳しい評価をいただくこと間違いなしなのだ。身内とはいえ、年長者の客観的な意見は早めに聴いておきたい。


「立派に成長されたロザリンドお嬢様へ、既に私は諫める立場にはありません。今は亡き奥様もお嬢様の成長ぶりに大手を振ってお喜びになると存じます」


 問いをかわすようなクラウディールの返答。そう返ってきそうなことは、多少予想していたけれど、もう少し情報が欲しい。


「分かりました。その言葉は、わたしの自信の糧とします。うーん……では、後からでも良いので宮殿のことを教えてくれませんか。クラウディールはパパの補佐で宮殿に立ち入ったこともあるでしょう」

「不肖ながら、正面宮殿内の議会場までの範囲です。ロザリンドお嬢様がお過ごしになる後宮のことは存じ上げません」

「それだけでも構いませんよ。直ぐにではないでしょうが、パパの名代みょうだいで貴族院議会に参加する時までの、簡単な心構えができればよいのですから」


 わたしは参考のつもりで訊ねていること、性急な質ではないことを仄めかす。


 間違った情報を手にすること。その行為自体が皇都では命取りになりかねない。


 それを考慮して、クラウディールは些細な助言すら慎重になっているのだろう。


 様々な事情を勘案して、老年の執事は問いに応えた。


「かしこまりました。後日、皇都にある子爵家のタウンハウス宛てに書き送り致します」

「ありがとう。お願いしますね、クラウディール」


 いつもと変わらぬ微笑みの下、彼はおずおずと口を開いた。


「……僭越ながら、私からお嬢様に折り入ってお願いがあります」

「どうぞ? わたしが力を尽くせることなら」


 意味深長な様子で老年の執事は言った。


「皇都におります愚息へのご厚意を賜りたく存じ上げます」

「クラウディールの息子さん?」

「はい」


 クラウディールに息子がいたことを知り、わたしは少し驚いた。


 彼は子爵邸でこの上ないほどの働き者だった。


 その職業病ぶりは妻子がいるとは思えないほど。


 住み込みで職務を勤める使用人たちの中、彼だけは長期休暇のみならず丸一日の休息すらとらず勤労に励んでいることもあって、彼が独り身であろうことは周知の事実だった。


 それに以前、休暇について訊ねたところ、多忙だから休暇を取得しないのではなく、『家に帰っても誰もおりませんから』と言っていた。


 確かに、遠く離れた皇都に家族が暮らしているのならば、その言い分の筋は通るし、無理に時間を取ることもない。


 皇都の議会に参加するパパの同伴をした時に、暇をもらうだけのことだ。


 わたしはそう納得して、了承した。


「ええ、わたしで良ければ。どんなお名前の方ですか?」


 クラウディールの息子………想像したのは彼に似て物腰柔らかな壮年の男性で、職業はタウンハウスの管理人や服飾の仕立屋だろうか。どちらにせよ、人柄の良さと誠実な仕事ぶりで繁盛していそうだった。


「名はクリム・クラウディールと申します。きっと愚息の方から挨拶をしてくるでしょう。クリムだとお気付きになったら、お嬢様には昔のよしみで是非仲良くしていただきたいのです」

「わたしがお会いしたことのある方なの?」


 老年の執事はちょっと寂しそうな顔で微笑んだ。彼に刻まれた皴は過ぎた歳月への哀愁を帯びている。


「随分と昔の、一年にも満たない期間のことでしたから、もうお憶えではないでしょう。しかし、それで良いのです。きっとお会いすれば、クリムもお嬢様のことを目に入れても痛くはないと思っていることがお分かりになります。必ずや、悪いようには致しません」

「知り合いが一人でも皇都にいるのはとても心強く思います。彼には、必ず父のクラウディールがよく想っていたと伝えておきましょう。喜んでもらえるかしら?」

「格別のご配慮を賜り、身に余る光栄でございます。お嬢様。誠にありがとうございます」

「そんなにかしこまらなくても。子爵家に仕える時間の為に、滅多に会えないのだから当然のことですよ」


 老境に差し掛かった彼の瞳が潤むと、どことない罪悪感をわたしは覚えた。


 その流れを見てなのか、メイドのヨルダが厳しい口調で彼を咎めた。


「そうですよ、クラウディール。お嬢様は雇用主の義務をお果たしになるだけです。それを勘違いして、年を取った使用人が感傷に浸りがちなさまをお見せしては、お嬢様がお困りになるだけでしょう」

「はは、貴女にそう言われては敵いません。ですが、ヨルダもお嬢様の前では上手に誤魔化していることを、この老体は知っておりますとも」

「ヨルダが感傷に浸る……?」

「その通りでございます。お嬢様」


 ヨルダは過保護なパパの信任のために一人でわたし付きのメイドを務めているが、彼女の実際の役職は家政婦ハウスキーパー――女主人が不在の子爵邸で掃除使用人ハウスメイドや、洗濯使用人ランドリーメイドなどの女性使用人を厳しく取りまとめているのだ。


 わたしに対しても、その冷徹さをもって対処してくるあのヨルダが感傷……?


 気になるのでわたしは老年の執事に訊ね返した。


「どう誤魔化しているのですか?」

「明日の昼餐の要望を訊ねようとして、出立された後だと直前に気付き、結局お嬢様に声をかけただけになった今朝のことであります。昨日は、度々お嬢様が燃やされる御本の替えを、白紙製本を余分に発注しておりました」

「私は公爵城でお嬢様のお食事を担当される者への注文をあらかじめお訊きしようとしただけでございます。白紙製本も、多くあって困ることはありません。遺憾です」


 珍しくヨルダが自棄になって言い返したので、クラウディールとわたしは顔を見合わせた。


「そういうこととしておきましょうかね」

「ですね」


 一時、側妃候補として後宮で暮らすだけのことで、あのヨルダが動揺をみせるなんて思いもよらない珍事だった。


 明日は季節外れの雪でも、なんならあられでも降ってしまいそうだなと思いつつ。


 もうその頃には皇都に到着しているから……子爵領の空は見えない。

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