待ち伏せ
女神をはじめて拝謁した誉れから、驚愕の面持ちで半ば放心状態になりつつ歩いていたところ、教会の助祭に呼び止められた。
「ナトミー子爵令嬢。こちらにおいででしたか」
「はい、なんでしょうか?」
「教会前で騎士団のお二方がお待ちになっております」
それを聞いて、わたしの耳は確実にピクッと動いたはず。
アレンに皇都を案内してもらう一大イベントがありました!
駆け足で廊下を戻り、巡礼堂を出て直ぐは大教会の正門。そして、正門から続く、外のなだらかな石造りの大階段へと息を弾ませて辿り着く。大路に面し、門番のいる此処から視線を直進させれば、婚約パレードの日の大通りと交差する地点まで見通せた。
大教会の鐘楼から鐘の音が厳かに響きわたる。
本来の予定なら、対面論議の開始の合図だった鐘の音。
わたしは大階段の高みから周囲を見回した。
直後、騎士らしい人物を見つけることはできたが………。
教会前で待っていたのは、赤を基調とした騎士服を身に纏う第一騎士団の人間だった。
一難去ってまた一難。
助祭が『お二方』と言った時点で気付くべきだった。
二人いた第一騎士団の騎士のうち、あかがねのように赤い髪色の騎士が、わたしを一心に見つめて告げる。
「貴女がロザリンド・デ・ナトミー子爵令嬢でいらっしゃるか」
覇気があり、よく通る声でその騎士は訊ねた。彼の佇まいは、生粋の貴族らしい気取った感じもしたが、揺るぎない誇りに洗練された風采は自ずと人に敬意を抱かせた。
わたしと目が合うと、彼はごく自然に口角を上げて微笑んだ。その貴公子然とした魅力的な所作にわたしの乙女心は昏倒しそうになる。
それに、例の白地に赤を合わせ金糸で縁取った、華美な第一騎士団の騎士服を、彼は完璧に着こなしていた。彼の為に第一騎士団の騎士服は赤に仕立て上げたのだと思えるほど、よく似合っている。
まるで彼は
赤髪の騎士の隣にいる白薔薇の花束を胸前に携えた、もう一人の騎士は幼く――――そう、婚約パレードの日に出くわしたオッドアイの少年だった。
その赤い騎士服の少年の姿から、記憶の引き出しが開かれ、ハッと思い出す。
婚約パレードの日、マディル公爵は第一騎士団の職務をこう言っていた。
『第一騎士団は貴族の不正や悪魔が関与する事件への捜査権を持っていて、隠密に対象を処理してしまうことも許されているんだよ。ん? ……ああ、別に彼らの反感を買っても直ぐに暗殺されるということはない。騎士団に楯突く者は何かやましいことがあるだろう、ぐらいだからね』
わたしは、あの日、第一騎士団と第二騎士団の
そして最悪の場合、暗殺される……?
「わたしがロザリンド・デ・ナトミーですが……第一騎士団の方々がどのようなご用件でしょうか」
警戒心を向けられて、あかがね色の赤髪の騎士は嫌な顔ひとつせず、申し訳なさそうに眉を下げた。
「警戒されるのももっともでしょう。しかしながら、我々は貴女に謝意を示すべく参りました」
謝意と聞いて一瞬、わたしは意味が呑み込めなかった。
ただ、騎士たちの表情から見て、感謝の気持ちは読み取れない。謝意が感謝の意でなければ、彼らは謝罪する為にわたしに会いに来たことになる。
赤い騎士服の少年の手元には、目を引く白薔薇の花束があった。正確な本数までは数えられないが、百本近くある。
確証はないが、少年の持つ白薔薇の花束はお詫びの印だと思えた。
白薔薇の花言葉は「純潔」、「深い尊敬」など、清く一途なものだが、贈る本数によっては意味が変わる。八十八本の白薔薇の意味は、まさに「謝罪」だったはずだ。
「レディを立たせたままでは大変心苦しい。落ち着ける場所を令嬢の為にご用意しております」
エスコートの為の手が差し出される。騎士の汚れなき白い手袋からは、重厚な甘さを持つ
――悪いようにする人ではない。
わたしの直感はそう告げていた。
だが、今日は先約がある。
「申し訳ありません。試験の後は友人に皇都の案内をお願いしております。大変残念ですが、辞退させていただきます」
赤髪の騎士は、私がそう言うことを予期していた。動じることなく一択の選択肢を提示する。
「本来の待ち合わせ時間は、皇立学院から大教会の移動時間を含めた時程に合わせていることでしょう。まだ時間はありますね。……それと、言付けを大教会に残しておきましょうか。万が一遅れるようであれば案内させるように致しますよ」
「そうおっしゃられることには、案内が必要なほど遠い場所になりますか」
「場所についてはご安心を。此処から見える距離です。マディル公爵家が所有する
赤髪の騎士の白い手袋は、大路を挟んで
彼の丁寧な言葉遣いや気配りとは裏腹に、わたしの逃げ道は次々と塞がれていた。
断れない状況の演出が実に巧みである。
生粋の貴族らしい用意周到さは、
こういう場合は話術に乗らないこと………つまり逃亡かそもそも交渉の場につかないことが一番だが、大概、抵抗の方策は彼らに潰されているのが世の常だ。
諦めて、赤髪の騎士の白い手袋の上にわたしの手を預けた。
彼はゆったりとした所作でわたしを導いた。
時折こちらを見つめ、気さくな笑みを浮かべる。
「ようやくお会いできて光栄です。ナトミー子爵令嬢」
この追い込まれた状況を鑑みれば、貴族の世辞に違いないことは理解できた。
向かうは、皇都の一等地に拠点を構えるマディル公爵家の
婚約パレードの日に用意されたテラス席とは異なる業種の、公爵家が皇都に所有する店舗である。
一階から五階までの一棟……のみならず、五階建ての数棟が占める区画が公爵家のものだ。
ちなみに、子爵家が皇都に有する建物は、皇都の外れにある一軒の
なお、皇都の一等地と外れでは、地価が一桁異なる。また、目前の土地の上に載せられた装飾豊かな建築と質素な
領主の補佐を務めた甲斐か。わたしの審美眼が勝手に値踏みをして、おおよその値段を教えてくれる。
だけど今は、価値が理解できても、緊張の素にしかならないのは悲しいかな……。
建物に近づいていくと、糖菓子店のガラス窓の向こう側からキラキラと光が反射していた。
ショーウィンドウ越しに、カッティングガラスの器と糖菓子、その上に被さる透明な
糖菓子店の店先からは赤い騎士服の少年が先行した。銀色に
店内に数歩、足を踏み入れる。甘い香りを感じる前に、案内を務めるホールスタッフが既に待ち構えていて、朗らかな笑みで用件を伺う。
赤髪の騎士は案内係に、
「予約の席を。
と告げると、慣れた様子でわたしのエスコートを続け、二階へと誘った。
流石皇都に駐在する第一騎士団。構成員が全員貴族なだけあり、通い慣れている様子。
また、洗練された一挙一動は優雅で華があった。
わたしは格式の高さを醸し出す店の雰囲気に圧倒されるばかりというのに。物怖じする気持ちを悟られぬよう、精一杯ピッと背筋を伸ばした。
上階へ繋がれた
一階はカフェとテイクアウトを両立させた店内構造。二階は予約専用席のように思えるが、ほどほどに席を埋める客層から察するに、ここは一定の
貴族や礼儀をわきまえた商人特有の、目端で人を観察するのに長けた視線の動きが、第一騎士団と共にいる見知らぬ令嬢の
当然、皇都では第一騎士団だけに警戒しているわけにはいかない。
しかしながら、区別がつかないほど濃い、貴族の香りに囲まれて、誰が好意を持つのか敵意を持っているのか。鼻の利くわたしでも、一筋縄ではいかないだろう。
……何にせよ、隙を見せないことが最善だ。
わたしは余裕ある素振りで、先へ進んでいく。
エスコートの終着点は奥まった場所の、窓側のテーブル席。
周囲に仕切りがあって、多少の背伸びでは通路から中の様子を覗くことはできないようだ。
また、この席付近は、常に店員の目が届くよう意図的な配置になっている。
つまり、他の客は覗くことも、聞き耳を立てて盗み聞きすることもできないテーブル席。
尋問するには、おあつらえ向きの特等席……。
四人席のテーブルで、わたしと第一騎士団の赤髪の騎士は相対した。赤い騎士服の少年は花束を携えたまま、赤髪の騎士の脇に立ち、静止している。
座った後、自然と視界に入った窓の外には大教会が正面にあって、空が狭く見えた。
赤髪の騎士の息を吸うかすかな音がした。わたしは一瞬のよそ見から意識を彼に戻す。
「自己紹介がまだでしたね。私は第一騎士団団長ハロルド・アド・ユグミシットと申します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます