ハロルド・アド・ユグミシット

 ――第一騎士団団長を名乗る騎士、ハロルド・アド・ユグミシット。


 噂だけなら、かねがね耳にしていた。


 隣接するユグミシット侯爵領、現領主の弟で、騎士団長に指名された若き秀才。貴族同士の結婚相手としては一番の有望株。そんな情報を、このわたしが知れるほどの有名人。


 パパが真に貴族的で政略結婚を是とする人だったら、わたしは彼と婚礼を挙げる可能性も十分にあっただろう。


 ナトミー子爵領は、四つの領地に囲まれている。


 反時計回りに、三女モニカ姉様が嫁いだマディル公爵領、次女コデット姉様が嫁いだセドツィア伯爵領、長女オリビア姉様が縁戚へ嫁いだアルム伯爵領、そして最後は皇国の赤銅とも呼ばれるユグミシット侯爵領だ。


 並べてみると分かりやすいが、侯爵領のみ血縁関係がない。


 ユグミシット侯爵家次男とナトミー子爵家四女の結婚、または婚約はあり得た話だった。


 でも、こんなありえない”もしも”は、過去のこと。


「そして、彼は私の補佐であるシァト・ラグラス卿」


 黙礼する赤い騎士服の少年、シァト・ラグラス卿。低い背と幼い容姿に似合わず、騎士団の要職に就いているようだ。


「第一騎士団の団長とその補佐……ですか。そのような方々から謝意を受けるほどのことがわたしに?」

「他でもない先月の婚約パレードの日のことです。ご迷惑をおかけしたナトミー子爵令嬢にこの度の正式な謝罪の場を。謝罪の意を込めて、八十八本の白薔薇をご用意致しました」


 ユグミシット卿は席を立ち、少年の横に並んだ。


 赤い騎士服と白薔薇のコントラストは、幻想的なまでに優美だった。窓から射し込む陽光で揺らめくように光る、少年のオッドアイがこれまた心を引き込む彩色だ。肖像画を描かないことが貴族たちの暗黙の了解でなければ、この一場面は描き残され、後世に名を残す一枚になり得ただろう。


「第一騎士団団長補佐シァト・ラグラスの非礼は、部下の統率を怠った私に責任があります。第一騎士団団長ハロルド・アド・ユグミシット、ならびに団長補佐シァト・ラグラスが謝罪致します。ロザリンド・デ・ナトミー子爵令嬢、大変申し訳ありませんでした」


 二人の騎士は息の合った連携を見せた。腰をほぼ垂直に曲げ、頭を下げる。


 困ったことになった。席が他の人から見られない、奥まった場所で良かったと真に思う。


「わたしへの謝罪は受け入れます。もとから些細なことですし、きっとそれを重大に受け止めた父やマディル公爵からの抗議を受けて、いらしただけのことでしょう? 頭をお上げください」


 本当、団長が直々に頭を下げるようなことではない。直属の部下だとしても、シァトという少年騎士だけで事足りた話だ。


 名と顔が知れていない令嬢に、皇国の赤銅しゃくどうとも呼ばれるユグミシット侯爵家の子息で第一騎士団団長の彼が謝罪した。その肩書きの重さも相まって、怖いものがある。


 わたしは少し前まで、自領から出たことのない令嬢だった。


 しかし、だからこそ、常に尊重されてしまう領主の御令嬢という立場を知っている。


 となれば、貴族の子息かつ騎士団の団長トップというのは……。


 肩書きの重さ。それは立場に科せられた判断に伴う重責……だけではない。


 肩書きに対する無垢な期待や羨望に尊敬、それら好意の底の微かな嫉妬も付き纏い、積み重ねてきた振る舞いが意図せず人心を煽動すること。


 ある意味、その者の人生の重さだ。それを肩書きの重さは内包している。


 それが……間接的にわたしへ牙をむくのだ。


 たとえば、彼に好意的な者ほど、彼に頭を下げさせた名も顔も知らない令嬢わたしを悪しざまに言うだろう。


 これは皇都での将来が不安になる最悪の出だしかもしれない……じゃない!


 絶対、行き先不安の出だしだ!


 と、そんなこととは別に、マディル公爵の名を挙げてもユグミシット卿が否定しない所から、確実に公爵も騎士団に抗議済のようだった。


 騎士団同士の諍いに大事な愛娘が巻き込まれたとあって、パパにこってり絞られたマディル公爵が第一騎士団・第二騎士団の双方に抗議をしたのだろう。


 やはり、皇国の黒鉄くろがねマディル公爵家の権力は絶大だった。


 謝罪の場がマディル公爵家所有の糖菓子店コンフェクショナリーなのも、抗議主が謝罪の遂行を把握するための根回し。また、アレンに下された命令が子爵令嬢の歓待という不自然さにも、辻褄つじつまがあう。


 つまり、言いがかりを付けた第一騎士団は場を設けて謝罪をさせ、庇ったとはいえ、事態を悪化させた第二騎士団には若い騎士アレン皇都の案内エスコートをさせるよう軽い圧力をかけた。


 それなら、この最悪と思われる出だしも、正式な抗議に対する謝罪であれば、批判されるものではなくなるだろうか。


 ………まあ、実際の内情は分からない。


 騎士たちは一旦頭を上げたが、テーブルの脇に控えたままだった。


「些細なことではありません。部下の非礼は団長である私の責任です。そして、令嬢の赦しが無ければ、我々は騎士団としての責務を果たすことができません」


 彼の言葉は、嘘偽りのない言葉だ。


 だからこそ、わたしは言葉になる前に抜け落ちた嘘や偽りを慎重に精査しなくてはならない。


 わたしは考えをまとめ上げて、彼らに返答した。

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