愚か者の金


 驚愕と恐怖にわなないて、パパは矢継ぎ早にわたしを問い詰める。


「どうしてだい? 今日パレードですれ違った下劣な輩にでも言い寄られたのか。もしや街路にいた彼奴か、楽団の奴か、売り子か、騎士団員か。こうなれば全員許してはおけない。全員東の果てまで探し出して根絶やしにしてくれようか!!!」

「ちょっと、パパ!? 最後までちゃんと話を聞いてください! 言い寄られてもいませんし、まだ誰を婿にするとも決めている訳ではありません!」

「なんだ。安心したよ。だが、パパはロザリンドが他の男のものになるなど認めん、認めんぞ!」


 パパのその熱狂加減は、まだ食後酒を一滴も口にしていない人とは思えない。免疫のあるマディル公爵も引き気味なほどだった。


「今、モニカさんに求婚した時を思い出して寒気がしましたよ。おお怖い」

「マディル公爵、何か意見でも」

「いえ」


 茶々を入れたそばからパパにキッと睨まれ、マディル公爵は肩をすくめた。


「それで? 婿探しなら皇都へ行かずとも、ましてや側妃候補になってまでやることかしら。現状のままでも大丈夫でしょう」

「大丈夫ではありません! わたしはパパにずぅーっと子爵領に軟禁されてきたので、昨日まで友人と呼べる人なんて一人もいませんでした。子爵邸にいる者で親しいのは二回り年上のヨルダと、それ以上のクラウディールとテスコール先生ぐらいで、それに、まだ社交界デビューデビュタントも済ませていないのに、誰と結婚できるというのです」

「……まだ?」

「それに婿探しをするのは、子爵領の為でもあります。パパには娘のわたしや家令のクラウディールが、マディル公爵にはモニカ姉様やカイくんが、支えてきたからこそ、領主として資する全てが順風満帆だったのです。とすれば、わたしにも対等な立場で支え合う者がいてこそ、改めて子爵家当主の役目を全うできるはずです」


 モニカ姉様はわたしの目的を聞き終えると、深いため息をついた。


「まさか、とは思っていたけれど。お父様」


 モニカ姉様のあの苛烈な意見の矛先がパパへと向けられる。


「ロザリンドが社交界へのお披露目すらしていないのは本当ですか? 参加するつもりだと話されていた、オリビア姉様のいるアルム伯爵領での舞踏会は? いいえ、知っていたら私や上の姉様方が盛大に広めるはずかしら」


 パパはゆっくりと耳の痛い話から顔を背けた。


 沈黙は金。雄弁は銀。


 ただ、その反応は黄鉄鉱愚か者の金だろう。真実などもう分かったようなもの。


「――では、貴女は今日初めて子爵領から出て、初めてまともな交流の機会を得たと。合っているかしら? ロザリンド」

「は、はい。モニカ姉様」

「クラウディールも、それで相違ないかしら」

「誠のことでございます」


 休憩室の入り口を見ると、子爵家に仕える老年の執事が整然と立っていた。


 気配を消して入室し、まるで家具のように佇む姿は老練というに相応しい。


 彼は言葉を続けた。


「モニカ様が懸念された事態は、わたくしめの不徳の致すところでございます。ロザリンドお嬢様がおっしゃったことは全て事実であり、しかしながら、もたらされる責めは旦那様ではなく、諫言を申し上げられなかったわたくしめに」

「クラウディール。家令という立場であるとはいえ、貴方だけが責めを負ういわれはありません。文通だけで満足してしまった私の配慮不足もあるでしょう。勿論、元凶であるお父様に最大の責めがあることに変わりはありませんが。弁明はありますか? お父様」

「私はロザリンドのことが心配で、心配で……仕方がなかっただけなんだ」

「昔、マディル公爵が求婚なさる際に、『感情でものを言うのは、信用に値する論理的な説明ではない』とおっしゃっていましたよね。お父様?」

「そ、そうだな。穴埋めに今度子爵領で舞踏会を催そう。これで良いだろうか、ロザリンド」

「ナトミー子爵。それはロザリンド嬢が要求していたものではないかと……思われますかな?」


 またもやパパにキッと睨まれ、マディル公爵は肩をすくめる。


「サイお義兄様のおっしゃる通りです! わたしは側妃候補として皇都へ参りたいと思っていますのに!」


 パパは首を横に振り、わたしのひたむきな訴えを退ける。


「側妃候補など絶対に駄目だ。宮殿の内は不穏な動きも多いというのに……私はロザリンドの身を案じているからこそ、異議を唱えているんだよ」

「そんなこと、パパがわたしを信頼していない言い訳ではありませんか。心配してばかり。わたしが皇都の宮殿で、後宮で生き抜けると信じもしない……! わたしは子爵位を継げるまでに成長した子爵領一皇国一可憐で機知に富んだ才女で自慢のロザリンドではなかったのですか? 賢者フィーリに追いつかんばかりの俊英ではなかったのですか!」

「そうは言ったが、皇都は子爵領から遠く離れたところだ。私があの日、子爵領の本邸で祝勝会に参加していた皆を守れなかったように、子爵領にいては皇都にいるロザリンドの傍で、守ってやることもできない。モニカも、ロザリンドの為に全てを融通できるわけではない」


 悔やんでも悔やみきれないあの日の出来事を口にした途端、パパの意気がみるみる沈んでいった。祝勝会を狙って、届いた悪魔の報復プレゼントはパパの元から四人の娘以外のすべてを奪い去った。残された最後の形見を、せめて目に見える害意から守るために力を尽くそうとするのは、親心としてもっともなことだ。


「悪意の坩堝るつぼのような皇都へ出向いて、モニカの言う通り武器もなく何が成せる? ならば、子爵領でお見合いを兼ねたデビュタントを執りおこなった方が幾分かマシだろうよ」

「武器ならあります。パパより継承する子爵位です。それさえ小手先の武器だと一蹴して、お父様・・・はわたしを行き遅れの老嬢にされたいのですか? わたしは絶対に嫌です」


 今思えば、わたしはパパの提案には頷いてばかりだった。自分の意思を明言することを避けてきたのは、転生前の記憶を隠しているために、どこか浮いている存在であるわたしを受け入れてくれる、この居場所を手放したくなかったから。


 本当は、パパがわたしの意思を尊重してくれるであろうことを知りつつも甘えていた。


 嫌だ、と言うことすら避けてきた。


 中々踏み出すことができなかった気持ちをようやく一歩前進させたわたしを見つめて、パパは大きく息を吐いた。


「そうだな。ロザリンドが嫌と言うのなら、パパはそれに従おう。だが………」

「だが?」

「それよりお父様とととははは……?」


 驚きのあまり、パパの呂律が回っていない。


「くそおやじ」

「!!!」


 実はテラス席への帰り道、アレンからある脅し文句を教えて貰っていた。もし、いつか一人で皇都へ行きたいと思うのならば、パパとの衝突は免れない。それに備えて、パパを言い負かせる悪口は必要不可欠だと思ったが、意外とすぐに役に立つ機会が訪れるなんて!


「ぱっパパパっ……パパにはそんな言葉遣いなど効かないね……………」


 効果覿面こうかてきめんである。


「遅い反抗期、みたいなものですかね」


 剣呑とした雰囲気から喜劇的な和解に落ち着いた親子喧嘩を、マディル公爵が評する。


 そして後にも先にも、この時だけは、公爵はパパに睨まれずに済んだようだった。

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