優先順位

「結局、側妃候補云々の話は皇都の風の噂ではないのか?」


 今後の側妃候補の予定について話が移ると、パパは状況を飲みこめていない様子で訊ねた。


 もしや、今までパパは側妃候補の招集という噂を真実だと仮定して、あの問答を繰り広げていた?


 噂だと思っていても、話を合わせる対応力。パパの意外な長所を見つけた気がした。


 そんな空気読みの達人の言葉を受け、マディル公爵は懐から羊皮紙を取り出した。


「それはこれからお知らせしようとしていたところで……婚約パレードの閉式後、皇太子殿下からの勅書で我々領主家が推薦した側妃候補を後宮へ招集する旨が通達されました。勿論、推薦しないこともできますが、現状の皇太子妃の立場の弱さを考慮すれば、側妃の価値は良い意味で未知数。これは……後宮へ妙齢の令嬢を送り込まない領主家を数えた方が早そうですね」


 調子の悪い皇太子妃金の卵を産む鵞鳥の代わりになる側妃の座銀の卵を産む鵞鳥の誕生。それは、皇太子妃選定の儀を知りつつも商戦に参加できなかった領地持ちの貴族に、千載一遇の機会が与えられたことになる。


「となれば、最大で十九名の令嬢が後宮に集うことになりますか?」


 皇国の領土は、皇都と十九の領地で構成されている。領地持ち貴族の家門領主家は、領地の数と同数。なので順当に行けば、既に皇太子妃選定の儀に参加済みの四人の領地持ち貴族の令嬢たちを含め、十九名の令嬢たちが側妃候補に名乗りを上げるだろう。


 などと考えていたところ、マディル公爵がこう言った。


「ロザリンド嬢の予想を裏切る形で申し訳ないのですが、マディル公爵家は積極的な推薦を行わない主義なので……側妃候補は最大で十八名でしょう」


 確かに、側妃の威を借りずとも、マディル公爵家は豊かである。目先の利益に囚われないためか、もしくは、側妃という地位はマディル公爵家にとってさして重要ではないのか……?


 モニカ姉様はそわそわと側妃候補の数よりも気になることがある様子だった。


「それより、なぜロザリンドが側妃候補の招集を知り得ているのか疑問なのだけれど。この際、気にしてはいけないことかしら?」

「第一騎士団の方がその勅書をお持ちでした」


 嘘をついたり、はぐらかしたりする理由もないので、わたしは正直に答えた。


 ジャケットを肩掛けクロークのようにした赤い騎士服の少年。第一騎士団である彼が仕舞い損ねて、わたしが拾ったあの羊皮紙こそが、側妃候補招集の勅書だったのだ。


 まさに僥倖ぎょうこうと呼ぶべき出会いであり、あの時、赤い騎士服の少年に感じた親近感も運命の女神のお導きだったのかもしれない。


 私がそう答えると、合点がいった様子でマディル公爵は頷いた。


「そうか、今日の婚約パレード前の第一騎士団と第二騎士団の諍いの時でしたか。落とし物を拾ったとはいえ、不思議な偶然もあるものですね」


 と、おもむろにパパがマディル公爵の元へと向かい、公爵の両肩を抑えつけた。


 それはギリギリと音が聞こえてきそうな力加減で、既に床へめり込み始めている気がした。


「マディル公爵。いいや、サイ・ノーザン・マディル君。ひとつ気になったのだが、どうしてロザリンドが第一騎士団と第二騎士団の諍いに巻き込まれたのかね? 私は大事な大事なロザリンドを他でもない君に任せたのだが、これはいったいどういうことか……夜通し、話し合う必要があると思わないだろうか? 思うだろう? そうだろう?」

「えぇ………えぁ、私は、そうは、思いませんけど………」


 青ざめた表情のマディル公爵は目配せをして、モニカ姉様に助けを求める。


 モニカ姉様はにっこり微笑むと、鍵束を出して、その内一つを取り外した。


「クラウディール。防音で何が起ころうとも外部に話が漏れない秘密の部屋の鍵がここにあるわ。彼とお父様を案内してあげて。……ロザリンドを一人きりで出歩かせたことは、私も許せませんからね?」


 意外とモニカ姉様もわたしに対して過保護らしい……。


 そうして、パパがマディル公爵を引き摺り去るという昨日とは真逆の光景が観測された後、緊急親族会議はお開きになった。


「全くお父様も彼も、相当ロザリンドに甘いわね」


 嘆息するモニカ姉様ではあるが、先の態度を思えば、今までの厳しい言葉はすべて愛情の裏返し。パパたちとは違った方向性で相当甘いことになる。そんな簡単なことに、ようやく気付いたわたしは、なぜだか嬉しくなった。


 わたしがニコニコしていると、モニカ姉様は怪訝な表情で言葉を続けた。


「ひと月後の子爵位継承の試験次第になるけれど、公爵である彼が貴女の味方についた以上、側妃候補は内定したようなものかしらね」

「マディル公爵のお力添えが無くても、合格して候補になってみせます!」

「まあ、その意気でどうぞ」


 モニカ姉様と一緒に休憩室を出る。二階部側面の回廊から見下ろした大広間グレートホールは祝宴の後片付けをする召使いも疎らで閑散としていた。


 わたしはモニカ姉様に伝えるべきことがあった。


 侍従のいない今なら、誰かに聞かれることなく伝えることができる。


「モニカ姉様、わたしが側妃候補に立候補する本当の目的をお分かりでしょう」

「まさか、サンドレス伯爵令嬢皇太子妃殿下の味方になるため?」

「………」


 わたしの無言の肯定に、モニカ姉様は意表をつかれたようだった。


「末恐ろしい妹ね。まさか昨日の忠告だけで、その振る舞いを身につけて……婚約パレードの招待状を譲った甲斐があったわ」

「モニカ姉様にそうおっしゃっていただけて光栄です」


 わたしの少し他人行儀な受け答えの後、モニカ姉様は首を傾げる。


「そうね。では、婿探しは嘘になるのかしら」

「? どれも本心ですよ。その時々で優先順位はありますが」


 そう言うと、姉様はこちらをまじまじと見つめて、深いため息をついた。


「はぁ……認めるわ。皇都で生き抜くのに足りる武器を持つ令嬢よ、貴女は」


 呆れた様子で、モニカ姉様は言葉を継ぐ。


「でも、その優先順位はひけらかさずにいなさい。それが貴女の弱点の順位表であることはともかく、貴族の使う二枚舌なんて、まともな感性の――特に、皇太子妃殿下のような方には受け入れられません」

「重々、気をつけます」


 さて、振る舞いはりょうだとしても、本当のわたしは皇都の内情を知らない側妃候補。


 そんなわたしに教えるべき事柄を、思いついたモニカ姉様はたれ目の瞳をパッと開いた。


「あとは後宮での常識を残すのみね。貴女は学院生活も介さず人間関係を一から構築するのだから………ふふふ……詳細は子爵位継承の諸試験を終えたあとに教えて差し上げるわね」


 あくどい笑みでモニカ姉様は続けた。


「クェス公爵令嬢以外の元皇太子妃候補、新たに加わる側妃候補達、皇太子殿下にまつわる騎士団のこと。宮殿の奥の、たった三つの宮に出入りする者達とその人間関係は複雑だけれど、派閥や勢力で分ければ簡単よ。………肖像画が無いから、事前に憶えた特徴から顔と名前を結びつけて話題を合わせないといけませんが、ええ、そうなのよね……ロザリンド、大丈夫そうかしら?」


 思い当たってしまった懸念事項に、モニカ姉様は悩ましげに眉をしかめた。


「マディル公爵から騎士団のことは少しお教えいただきました。皇都でお友達になった第二騎士団や関係のある第一騎士団のことについてですね」

「ああ、もう、サイは最初から察していたのね。だから貴女の肩を持った」


 モニカ姉様は嘆息して、マディル公爵サイお義兄様の洞察を示唆する。


 わたしの『肩を持った』ということは、マディル公爵はわたしの動機を知っていた?


「え、マディル公爵は見抜かれていたのですか?」

「皇太子妃殿下も、第二騎士団も辺境伯領出身でしょう。皇太子妃殿下に好意的な貴女が、その繋がりから、第二騎士団にも理解を示すことは予見できる。サイの立場から見れば、順序は逆ね。第二騎士団に友好的で、皇太子妃殿下への強い敬意もある。そんな貴女が、皇太子妃殿下や第二騎士団の皇都での境遇を知れば、理由を付けて側妃候補にだって立候補できるだろうと……実際そうなったわけで」

「なるほど……恐ろしい洞察力ですね」

「その洞察力で、彼は何か企んでいるに違いないわ。私の大切な妹を利用するつもりね」

「そんな大げさな。マディル公爵もわたしも悪魔の報復をきっかけに爵位を継ぐことになったから、同情してくださるだけですよ」

「貴女が気にしないのなら、これ以上の忠告はしないわ。一応は気休めだけど、彼にはよく言い聞かせておきます」


 モニカ姉様はたれ目の瞳を細めて微笑みを浮かべつつも、静かな怒りが声音から窺える。


 モニカ姉様も秘密の部屋でマディル公爵サイお義兄様を懲らしめるつもりだ……。


 サイお義兄様、損な役回りを押し付けて、申し訳ありません……。


 大広間二階部側面の回廊から中央の一階部に下りる階段に差し掛かり、わたしは身重のモニカ姉様を横から支えていた。


「ロザリンド。先程の優先順位のことだけど、もしかして、もうひとつ上位に真の意図が隠されていたりしないかしら」


 姉様の方へ振り返るまでに。


 わたしの顔が、自然な素振りの……驚いた表情をしているか………不安になった。


「それが皇都の貴族の振る舞いなら、後宮で暮らすまでにもうひとつ建前の目的を作らないといけませんね」

「そうなるわね」


 モニカ姉様は、少し気が向いて訊ねただけのようだった。


 その後は深く追求されず、姉様は待機していた侍女と合流して、大広間前でお別れとなった。






 わたしは自分の客用寝室に戻り、身支度を整えた後、寝台近くの蝋燭の火を消した。


 暗闇の中、存在しないように振る舞う蝋燭のススを嗅覚が感じ取る。


 きっと、モニカ姉様はこの煤の存在を論理的に導くのだろう。貴族らしさを根拠に、わたしが抱き始めた決意の存在を指摘したように。


 恐ろしい、と思った。指摘されて。


 だが同時に、安堵も覚えた。可能性を知れて。


 皇都に身を置いたことがある人間ならば、相手の真意の奥深くまでを見透かせる事実。


 これは脅威だが、知れただけでも備えることはできる。


 子爵令嬢ロザリンドわたしの中で芽生えた罪人の少女ロザリーわたしの純粋な誓いを遂げるために、必要な瞬間だった。


 何を犠牲にしても、看守の少年と同一人物である彼を、リヴウィル殿下を守らなければいけない、という決意を遂げるために……。


 本来、この決意を子爵令嬢であるロザリンドわたしを持ちうることはない。


 なぜならば、これは罪人の少女の記憶と感情から生まれたものであるから。


 前世だけど未来の人生のこと、逆行転生前の記憶を、皇太子殿下を一目見て更に思い出さなければ、この決意を抱くことはなかっただろう。


 そうでなければ、先に抱いた、ユイーズ皇太子妃殿下の味方にならんとする意思のもとで、行動を起こしていただろう。


 罪人の少女ロザリーの記憶と感情は、わたしの人生に大きな影響をもたらしていた。


 けれど、それ以上の時間を子爵令嬢ロザリンドとして過ごしてきた。


 罪人の少女の記憶と感情。対する、子爵令嬢としての自我。


 両者は、まだ、同じ未来を見ている。まだ、矛盾していない。


 だからわたしは、そのふたつに明確な優先順位を付けず、皇太子皇太子妃両殿下を支えていこうと決めた。


 味方はひとりでも多いほうが心強い。きっとそうだ。







 ――そうして最期になって、ようやくすべてを理解するのだ。


 過去からの仕組まれた出会い。未来へ続く誠実でも相容れることのない思惑。


 たった一度きりの人生を生きている人々、そのすべてが幸せな結末に至りはしないことを。


 運命の女神によって、すべてが紡がれ、糸車の輪が回されてゆく。


 眠りに落ちる前に、昨日と同じ柔らかいベッドの上で掲げたわたしの両腕には、鉄枷が幻視えていた。


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