Pair.3

落とし物

 思いがけない幸運が訪れた。


 それは婚約パレードによる混雑もあって、パパが子爵位継承の手続きに時間を取られたこと。そして、わたしとマディル公爵が先に観覧席へ辿り着いた為に起こった。


 用意されていた観覧席は通りを一望できるテラス席。パレードの時刻までは屋内の控室で皇都の優雅な茶菓子を頂きつつ、過ごすことになっていた。


 混雑に悩まされることなく、パパの褒め言葉に苦笑いを浮かべることなく、香り高い紅茶と、絶妙な甘さの生地とフィリングを豪快に頬張る……いいえ、淑女らしく舌鼓を打つことができる至福の時間。


 これだけでも公爵家の権威の片鱗を味わえるのだが、入れかわり立ちかわり公爵目当ての来客が現れては消えてゆくので……我が子爵邸お膝元の街にある、名産品の白桃を使った美味しいタルトの有名店もびっくりな行列が出来ているのかと勘違いしてしまうほどだった。


 統制の取れた公爵家の従者たちの案内と、それとなく会話を打ち切り自然に退出する来客たちの所作のなせるワザだ。


 しかし、パパの邪魔抜きで多くの人々と面識を得られる良い機会なのに、「ついで」といった風に一言二言よくある挨拶を交わすだけなのが残念だ。


 まあ、日に三人以上、初対面の人へにこやかに挨拶するのは初めてのことなので、そろそろ表情筋が死にかけてきたが……。


「退屈かな? ロザリンド嬢」


 やや疲れ気味の顔を見て、マディル公爵は来客の出入りを止める指示を出した。


「退屈だなんて、とんでもないことです。ほんの少し、皇都の人の多さで目が回りそうなだけで」


 するとマディル公爵は口端を上げて、優しげな表情をした。


「時に人の多さは刺激をもたらすし、特別、厳格なお義父様を持つロザリンド嬢には物珍しいことだろう。だが、退屈な時は退屈だと言っても良いんだよ。息子のカイなんて、私が折角お付き合いの時間を最小限にしているのに、『面白くない。時間の無駄だ』と言いのけてしまう」


 あれ、とわたしは思った。


 もしかして、この面会時間が決まっているかのように次から次へと現れては消える来客は、マディル公爵の合理性を突き詰める研究者気質の所為だった?


 程度が違うだけで、親子共々似た者同士であることをひしと感じる瞬間だった。


「カイと比べてしまうのは良くないが、初めて来た皇都だ。気になるものが多いだろう? 薬種商アポセカリコンフィット糖菓や一点物の服飾店、宝飾品店。北方の家具職人の調度品や賢者フィーリ稀覯本きこうぼんはナトミー子爵領まで流通していなかったはずだ」


 公爵はすらすらと魅力的な品々を挙げ連ね、お茶目にも片目をつむってみせた。


「だから、お義父様にちゃんと大人しくしていたと言い訳ができる時間まで、皇都を見学してきてごらん。今日の混雑で買うのは難しいかもしれないが、店の名前を知っていれば注文はできるはずだ」

「ありがたい申し出ではありますが、父の代わりでもあるわたしが離席してしまうのはいかがなものでしょう……?」


 マディル公爵はテラス席の方を手で示した。


 見ると、既に外のテラス席に座っている見知らぬ貴族たちと目が合う。


「貴族同士の挨拶はテラス席に着いてもどうせ飽きるほど続くのだから、一時いっときでも民草として祭りに参加する方がロザリンド嬢にとって大事な経験になるだろう。なに、お義父様ご執心の皇都の治安で心配することはない。今日は第一騎士団に加えて、第二騎士団も警邏にあたっているからね」

「本当に良いのですか? 本っ当に、マディル公爵のことを信用しても?」

「勿論だとも。ただし、足を運ぶのは二ブロック以内の区画までだ。それより先は混雑でパレードの行進に間に合わなくなってしまう」


 マディル公爵は懐中時計をパチンと開き、時刻を確認する。


 一瞬、わたしは悩んだものの、やっぱり憧れが前へと導いた。


「わたし、行ってきます! パパのこと、どうかよろしくお願いします」

「さしあたり、私のことをお義兄にい様と呼んでもらえれば成功率も高まると付け加えておこう」

「ありがとうございます! お義兄にい様!」


 早速、預けていた小物入れを受け取ると、公爵家の従者の案内に従ってわたしは控室を出た。




 いつか来たる日に際して、コデット姉様の助言をわたしは忠実に実行していた。


 ナトミー子爵家の次女コデット・デ・ナトミー。現在はセドツィア伯爵夫人でもある。ナトミー家四姉妹の中でもいち早く意中の相手を仕留め嫁いだ、したたかな姉様だ。


 コデット姉様流恋愛術の一家言は「関係は何事も友人から」。


 そして、数年前のお手紙には『お近づきになりたい方にはハンカチをそれとなく渡すこと』とあった。


 一字一句字面じづら通りに受け取ったわたしは、お友達ができて、さっそく贈り物もできる一石二鳥の良い案だと感心したものだった。


 用意周到に、取り敢えずのところは十枚ハンカチを持ってきている。しかし、やや欲張りすぎたのか、肩に提げた小物入れの口が閉まらなくなってしまった。


 未来は前途洋々。


 故に希望溢れる小物入れの口は開いていても良し。


 と、わたしはそう思うことにした。


 後に、コデット姉様が言わんとしていることは、慕う素敵な男性に声をかけてもらう手段として、偶然を装いハンカチをわざと落とすことなのだと……気付くのですが。




 建物の裏口は大通りの次に幅がある街路に面していた。


 その街路は大通りの喝采とは趣が異なる活気――――あきないで賑わっていた。


 人の波をするりと抜けて籠を提げた売り子が行き来する。店頭にはテーブルが突き出され、所狭しと品物が陳列されていた。


 できたての食べ物や見目の良い花束、恋人カップル向けに対となった装身具などなど……売り物はどれも気軽に買えてキリの良い値段だ。


 肉入りの手持ちパイはなかなかに食欲をそそられる匂いを醸し出していたし、色とりどりの可愛らしいスミレの花束は皇太子妃殿下にきっとお似合いのはずだし、対のロケットペンダントは中空で紙片がはめられるうえデザインが気に入った。


 しかし、わたしはそれらを買うことなく、路地裏に駆け込むことになってしまった。


 なぜなら、先程の休憩で茶菓子を食べ過ぎていたし、花束の売り子は素早いし、特別な二人の為のアクセサリーはおひとり様が買うには忍びなく、最後は人混みに酔ってしまったから。


 食べ物の匂いや花の香り、そしてモニカ姉様が言っていたような……買い求める人々がまとう香料パフュームも混ざり合った皇都の空気は、種々様々で悪臭になり代わりかねないほどの混沌を呈していたからだった。


 わたしは人の流れに逆らい、逃げ込んだ路地裏で息をする。


 路地裏は今日の賑わいと隔絶したように静かでひんやりとしていた。


 商店の、勝手口のひさしの上には猫が気ままに鎮座していて、喧噪を見下ろしていた。


「痛っ……たたた……」


 猫を注視し過ぎて、無造作に置いてあった木箱にぶつかってしまった。


 衝撃でずれた木箱を直して、わたしは先へ進む。


 そろそろ二ブロック先にあたる通りへ出るはずだ。


「あの方は……?」


 わたしは口から声がこぼれたことに気付かぬほど、その人物に目を引かれた。


 今までの街路よりは多少、人の少なくなった通りを窺うように少年が立っていた。


 背は低く、中性的な顔立ちで、瞳の色が左右で違う少年。彼の、白地に赤を合わせ金糸で縁取られた一際目立つ意匠の騎士服からみて、くだんの騎士団のどちらかだろう。


 彼はジャケットを肩掛けクロークのように袖を通さず着ていた。


 成長期を見越してやや大きめに縫製されていることと、その想定よりも彼が小さすぎたことで、かえって適切な着衣は袖が余って恰好が悪いのだと、なんとなく察することができた。


 わたしは落ち着いた気持ちで彼を観察してみたが、容姿以外にも何処か気になるものを彼に感じてしまう。お友達になれそうな雰囲気があるから……………かも?


 赤い騎士服の少年は壁にもたれかかって、持っている羊皮紙で顔を扇いでいた。お世辞にも警邏に励んでいるとはいえない態度で、少しぐらいは話す余裕がありそうに見えるから?


 しかし、素行不良な彼といえどもお仕事中の騎士だ。初めての皇都で浮かれた令嬢が茶々を入れてしまうのはお邪魔になるはず。


 わたしは話しかけるのを諦め、横を通り抜けることにした。


 だが、それよりも先に赤い騎士服の少年は羊皮紙を筒にしてポケットに仕舞い込み、思い立ったように表の通りへ歩き始めていく。


 すると羊皮紙の筒が彼のポケットから抜け落ちた。筒は地面でぽてんという控えめな音を出して、筒紐つつひもはするりと解ける。しかし、彼は一向に気が付かない。


 わたしはその羊皮紙を咄嗟に拾った。


 そして、急いで「あのっ……」と声をかけようとした時。


「話しかけない方がいい」

「え?」


 わたしの肩を掴み、誰かがそう言った。


 振り返ると、青を基調とした騎士服の男がいた。

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