宮廷貴族と領地持ちの貴族

「もしかして、その皇太子妃となった令嬢の生家は、貴族のなかでも宮廷貴族と呼ばれるものだったのですか」


 皇立研究所から招聘しょうへいしている家庭教師チューターの先生から聞いたことがあった。


 貴族の分類のひとつに宮廷貴族というものがある。


 彼ら宮廷貴族は領地を持たず、皇都にのみ居を構えた。それは彼らが、各々の才能がゆえに皇帝陛下から爵位を賜り、宮殿で勤労を行う貴族だからだ。


 宮廷貴族の職業は政務官であったり、場合によっては騎士が含まれたりすることもあるが、元々は音楽家や芸術家、知識人が多かった。要は、爵位で才能を皇都の内に囲い込んだわけだ。


 だが、必ずしも子女が才能を受け継ぐとも限らないので、大抵の宮廷貴族は一代限りの貴族だった。


 それでも皇帝陛下の庇護の下、重用された彼らは莫大な対価を得た。財産や、限度はあれ権力を手にした宮廷貴族もおり、その一部の者たちは議会で領地持ちの貴族にちょっかいをかけたそうだ。


 当然、そのことで領地持ちの貴族から反感を買ったが、一応は表立った対立には至っていないらしい。


 なぜなら『権力を振りかざす為の血統、いわば、貴族社会における伝統的支配の正統性が欠如している』などと見下すことで、領地持ちの貴族たちは彼らを歯牙にもかけていないから。


 つまり、領地持ちの貴族にとって、血統という歴史を持つ自分らが格上で、それを持たない宮廷貴族は格下だという常識があるのだ。


 領から出ず、わざわざ皇都から家庭教師を招いているわたしにとっては、皇都に出向かなければ会えもしない宮廷貴族に多少の憧れはあっても格下だと思うことはないけれど。パパの溺愛のお陰で偏見が無いのは良いことなのか悪いことなのか……。


 例外のわたしはともかく、そのような常識をお持ちの令嬢たちが、表向きだけでも宮廷貴族の令嬢と同列の皇太子妃候補として扱われたのならば、軋轢が生じてもおかしくはないのだ。


 格下に見ていた令嬢が皇太子妃に選ばれてしまえば、なおさらに。


 ……これらの推測は、実を言えば当たっていた。


 ただし、肝心の宮廷貴族の家名だけが予想外過ぎた。


「明日の婚約パレードで公表されることだけれど。結果、皇太子妃に選ばれたのはユイーズ・サンドレス伯爵令嬢よ」

「サンドレス……って、十年前のジキルライン防衛戦悪魔との戦争の英雄ニコライ・サンドレス伯爵の御息女ですか!?」


 ニコライ・サンドレスとは、近年で最も目覚ましい活躍を見せた英雄だ。


 彼が皇国中にその名を馳せた契機をジキルライン悪魔との防衛戦戦争という。


 当時辺境伯家の顧問指揮官であった傭兵ニコライ・サンドレスがその優秀な技量で悪魔を撃退し、皇帝陛下の未来予知の加護によりもたらされた預言を、最悪の運命辺境伯領の喪失を覆した戦争だ。


 それには筆舌に尽くしがたい大きな代償を支払ったものの、彼は功績を称えられ、多くの勲章と一代限りではあるが伯爵位を賜り、英雄と称賛された。


「モニカ姉様のおっしゃる通り、サンドレス伯爵は一代限りの宮廷貴族です。しかし、並の宮廷貴族と違って最上級の功績を打ち立てており、軽んじられることはないはず。どうして伯爵の娘である彼女の、皇太子妃の座が貶められることに繋がるのですか。まさか報復・・のことでも――」

「親の功績がどれほど良くても、彼女自身の実績は無いでしょう」


 モニカ姉様が言葉を遮り、そう断じた。


「実績なんて、まだ成人されたばかりの令嬢に要求するものではありませんよ。それに、元は平民として暮らしてきて、素質があったとしても、機会や選択肢は充分ではないのに」

「サンドレス伯爵が叙爵されたのが九年前の時期のこと。伯爵令嬢はそれから皇都で暮らしていたのよ。その間に親の功績を利用して、実績を積み上げる機会はいくらでもあったでしょうに」

「では、他の皇太子妃候補の実績はどのようなものなのですか」


 わたしはサンドレス伯爵の令嬢が過小評価される所以ゆえんに納得がいかず、論点を変えて、他の皇太子妃候補の実績とやらをモニカ姉様に訊ねた。


 姉様は得意げにたれ目の瞳を細める。


「あら、皇都で今流行の宝石を散りばめたドレス……一体、誰が広めたのかご存知かしら? 五人の皇太子妃候補の内の一人、マリアミス・ミシェル・ドゥ・クェス公爵令嬢よ」

「! 驚きました。てっきり、皇都の夫人や商人の考えと思っていましたが、わたしと歳の近い令嬢が草分けだったのですか」


 モニカ姉様の話によると、クェス公爵令嬢が打ち立てた実績というのが自領で産出される鉱石の販路を広げたことであり、その手段が宝石を散りばめたドレスなのだった。


 この宝石というのがくだんの公爵令嬢の巧みなところで、素人目には宝飾品と何ら遜色のない輝きなのだが、実はパン一切れの値打ちすらない廃棄行きの屑石。


 そう扱われている理由が、市場に流せば宝石全体の希少性価値を落としてしまうから。大きさは違えど輝きが同じならば、屑石で満足する客もいるだろう。悪貨は良貨を駆逐し、商売に支障が出てくるかもしれない。


 では、希少性価値を落とさず……といったところで、悪貨を貨幣として扱わなければ良いと気付いたわけだ。ドレスに直接縫い付けることで、指輪やネックレスなどに用いられる宝飾品用の鉱石の価値を下げることなく売上に貢献した。


 それにより彼女は、儲けた金額だけでも他の令嬢の持参金の、その推定額面の追随を許さないばかりか、波及効果で多くの人々の懐をも潤う結果を導いている。まさに非の打ち所がない実績だ。


「クェス公爵令嬢が引き継いだ人脈や元手あってこその成果と言う人もいるでしょうね。それでも、彼女の磨き上げられた才覚の寄与なしにそれが成し遂げられた訳がない。まあ、ちょうど貴女もその案に助けられたばかりじゃない」


「うっ」


 わたしはギクリとして返す言葉もなかった。


 オリビア姉様から押し付けられた、あのいわくつきの養殖真珠は、小粒で多量、そして権利上でも宝飾品用には適さなかった。まったくもってクェス公爵令嬢がいなければ捌けなかっただろう。


 クェス公爵令嬢の、皇太子妃殿下をイジメる悪役のイメージは崩れ去り、気高く優雅で凛とした才媛像が頭の中で再構成された。


「当然、他の令嬢も皇太子妃候補に選ばれるだけの実績と素質があるわ。サンドレス伯爵の令嬢と比べてね」


 所詮は傭兵上がりの一代貴族、サンドレス伯爵。


 名声は引けを取らずとも、貴族諸侯の令嬢とは生まれも育ちも分が悪い。


 だが、そもそも純然たる貴族社会で、父の名声だけで実績がないと評された彼女が皇太子妃選定の儀に加わっただけでも称賛に値するだろう。


 さらに驚くべきことは皇太子妃の座を勝ち取ったことだ。


 他の皇太子妃候補からの圧力に屈し、婚礼を婚約と称せざるを得なかったとしても、勝者はユイーズ・サンドレス皇太子妃殿下……ただ一人。


 そういうことなら……わたしはその勝因を突き詰めるうちに素晴らしい理由へと考え至る。


「サンドレス伯爵令嬢が他のご令嬢方と比べて実績で敵わないことは、選定を担ったモニカ姉様にとっては明らかなことかもしれません。ですが、それでも彼女が皇太子妃に選ばれたのは皇太子殿下のゆえに、でしょう! そうに違いありません!」


 きっと、勝因は目に見える実績や権力よりも愛情だったのだ。


 政略結婚の権化のような皇太子妃選定の儀で、実績も権力も持ち合わせていなかった彼女が勝つ手段に愛以外の何が考えられる?


「ロザリンドらしい切り口の考え方ね。チョコレートよりもコンフィット糖菓よりも甘いロマンスが隠されている、と」


 そう言って、モニカ姉様は苦手な砂糖菓子をひと粒ずつ摘まんで口に含む。が、咀嚼もしないうちから眉をひそめ、直ぐに珈琲で飲み下してしまった。


 わたしの主張を真っ向から否定しなかったので、恋愛結婚で結ばれたモニカ姉様にも少なからず納得できる部分はあるのかもしれない。


「はい! わたしはユイーズ様を応援しますからね、モニカ姉様!」

「応援されるのは貴女の勝手でしょう」


 モニカ姉様の苦笑混じりの応答は、わたしを突き放した、というよりかは温かい目で見守るような様子だった。それでも、その後に呟かれた言葉からは、深い諦念が表れていた。



「皇太子妃なんて前提から曖昧であるのに」



 どこか寂しげに呟くその表情から、真意を読み取ることはできない。


「モニカ姉様、それは……?」

「ええ、これで明日のパレードが婚礼ではなく婚約である理由がお分かりになったでしょう? 明日の晩餐会の準備もあるのだから、世間話はここまでね」


 モニカ姉様はパッと話を切り上げて、うやむやにしてしまう。


 そうして姉様は呼び鈴を鳴らすと、追求する間もなく侍女が私室の扉を叩いた。


「モニカ姉様。美味しいお菓子と珈琲、ごちそうさまでした」

「喜んでもらえて何よりです」


 モニカ姉様のあの呟きには、まだわたしの知らない大きな秘密が隠されているようだった。


 けれど、姉様の厚意で内緒話をしてもらった手前、わたしが引き下がる他なかった。


 その後は、普段マディル公爵家一家が食事を行う一室に招かれて晩餐が始まった。


 団欒だんらんは瞬く間に過ぎ去り、皆それぞれの部屋へ別れる。マディル公爵がパパを引き摺り去ったのが幸いして、酔いを含んで延々と続く褒め言葉ラブコールを聞かされずに済んだ。


 どことなく満ち足りた幸福感に包まれて、子爵邸と代わり映えのない香りがするベッドに倒れ込む。


 恐ろしくなるほど柔らかくて、逆に眠れなくなりそうなベッドだ。


 ……何故か。


 何故だか、牢獄の冷たくザラザラとした石畳の硬さを、ふと思い出す。


 わたしはそれにかすかな居心地の悪さを抱いたまま、眠りにおちた。


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