#03 ルーサー・ベル
あなたは薄暗い校舎を歩いていた。あなたが歩くたび、床が悲鳴のような音で軋む。本校舎から遠いこの校舎に近づく人など、よほどの物好きだ。そんな場所をあなたは歩いている。あなたは物好きだから。というわけではなく、ひねくれ者の教師に荷物の運搬を指示されたからだ。
こんなの、嫌がらせに違いない。
そう考えながら、指定された場所に荷物を置いて踵を返す。早く教室に戻ろう、と床を鳴らしていると、何かが落ちているのに気が付いた。あなたはそれを拾い上げる。ハンカチだった。広げてみると、「ルーサー・ベル」と几帳面に記名してある。
あなたは聞き覚えのある、その名前を呟いてみる。けれど、誰だったかが思い出せない。
誰かに尋ねられないだろうか、と周囲を見回すも、もちろん人なんていない。あなたは持ち主を探すことをあきらめ、職員室に届けることにした。
「お、こんなところに生徒なんて珍しいね」
あなたは悲鳴をあげる。さっき周囲を見回したばかりにもかかわらず、唐突に背後から声をかけられたとあっては、誰だって同じ反応をするに違いない。
あなたは素早く振り返る。そこには190はゆうにあろう巨人が立っていた。その巨人が持つオレンジジルコンの瞳が、いやに印象的だ。
「放課後はとっくに過ぎている」あなたが身震いしたにもかかわらず、彼は柔らかく言う。「クラブ活動のない一般生徒は寮に戻ったほうがいいよ」
あなたはややどもりながら彼に謝罪した。
「それに、ここは建物の老朽化が進んでいるからね。あまり近づかないほうがいい」
彼に言われて、あなたは改めてこの校舎がどれだけ古いかが見えた。古めかしい、と言えば聞こえはいいものの、足を運ぶだけで床板が鳴り、危険であることを知らせる。
本校舎と違って人の出入りが少ない離れの校舎は修繕が後回しにされているのだ、と彼は教えてくれた。
「ところで、あんたさ」
彼は説明を終えると話を切り替える。
「さっきさ、誰か探してるようだったけど? 人探しかい?」
あなたはさっき拾ったハンカチのことを思い出す。ハンカチを見せ、ルーサー・ベルについて知らないかとあなたは尋ねた。
彼は目を見開いて、口を歪める。
「ルーサー・ベルが誰かだって? あんた面白いこときくね」
あなたが首をかしげると、彼は声をあげて笑った。
「はは、それって冗談?」彼は笑いを腹の底に収めると、あなたを見下ろして言った。「目の前の美丈夫がお前の探してる男だよ」
あなたは美丈夫、の部分を繰り返す。そんなあなたの様子に、彼は顔を顰めた。
「美丈夫じゃないって言いたいのか? 随分とひどいことを言うな! 俺だって悲しくなる気持ちもあるんだぞ」
あなたはまた謝った。今回はどもることもなく、素早く。
「俺を知らないなんて、あんたコメディアン志望?」彼は表情を緩ませる。「そういうジョークは面白くないから、今日限りでやめたほうがいい。ただの世間知らずのダーリンなら、生徒会の話はちゃあんと前見てよく聞くことだね」
あなたはその話すらあまり頭に入っておらず、よくしゃべる人だなぁ、なんてくだらないことを考えていた。
「俺があんたの探してた男、ルーサー・ベルさ。生徒会のルーク。名前に似合った良い役職だろ?」
1喋ると少なくても5まで喋らないと止まらないらしい。あなたは言葉の多い彼の話を頭でまとめて、改めて驚いた。
「生徒会には見えないって言いたいのかい?」彼は心外だと言わんばかりに目を見開いて、破顔する。「アハハッ! いい度胸してるね、あんた!」
あなたが弁明しようとするも、ルーサーはまだまだ喋る。
「この場所じゃあ俺たちを知らないほうが珍しいでしょ。世間知らずな三流コメディアンのあんたは、俺のことを知って、今日また1つ賢くなったってわけ」
いつの間にかただのコメディアンではなく三流コメディアンに格下げされたあなたは弱弱しく返事をする。しゅんと下げた視線の先にハンカチを見つけ、あなたははっと顔をあげてそれを差し出した。
「ああ、ありがとう!」ルーサーはにっこりと笑って受け取る。「恩に着るよ。見たらなくて困ってたんだ」
ハンカチをしまうと、彼は顎に手をあて、「ん~」とやや芝居がかった動きで考え事を始めた。
「あ! そうだそうだ。お届け物をしてくれた、優しい優しいあんたに。いいことを教えてあげようじゃないか」
その表情はまるで悪だくみした子供のよう。
ルーサーはあなたに体を寄せ、大きな体で視界を覆った。するっと大きな手があなたの指を絡めとる。驚いてルーサーの顔を見る。真剣な表情で、何も言わず。目が合ったかと思うと、彼はあなたの耳に顔を寄せた。緊張に硬直してしまったあなたは、ぎゅっと固く目をつむった。
全力疾走のあとのように心臓が跳ねている。それがルーサーにさえ聞こえてしまいそうな静寂。
何も起こらない。ほんの数秒にも関わらず耐えられなくなったあなたは恐る恐る目を開ける。その先ではルーサーが笑いをこらえるようにしてあなたを見つめていた。
「アッハハ! なんてな」
からかうようにひとしきり笑った彼は、あなたの手に何かを握らせて離れていく。
ついさっき彼の大きな手にからめとられたあなたの手には、中身の入ったラッピング袋がある。
「御覧の通り、俺特製のおいしい焼き菓子さ。これを作るためにこっちの校舎に出入りしてるんだ。校舎の調理室は調理クラブが使用してるだろ? ま、たとえ生徒会といえども? ここに出入りしてることが知られたら先生たちにいい顔はされないからね。これは口止め料ってところかな」
あなたが口をはさむ間もなく話が終わると、ぱちっとアイドル顔負けのウィンクが飛ばして立ち去ろうとした。あなたがぽかんとしていると、少し進んだところでルーサーは振り返った。
「ああ、あと」出会いと同じようにオレンジジルコンの瞳があなたをとらえる。「ここが老朽化してて危ないのはホントだから。先生に頼まれたからって1人で来るのはやめたほうがいいよ。次からは誰か友人を連れてくるんだね。例えば……そう」
ルーサーが目を細める。
「俺とかね」
友人、とあなたは頭の中で彼の言葉を反芻する。そんなあなたを他所に、ひらひらっとルーサーは手を振った。
「それじゃあ、またどこかで」
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