#00 こどもあつかいしないで!!
ある日の夜。生徒会長リマ・フレイムは男子寮を訪ねた。たれ目の寮母に事情を話し、ザッカリー・モーガンの部屋はどこかと聞くと、寮母はすんなり教えてくれた。リマは礼を言い、フリフリのいかにも可愛らしいネグリジェ姿で廊下を歩く。小柄でまさに可愛いを体現したような彼女は、男子寮でよく目立った。
どうしても今日中に済ませないといけない用事があった。予定なら制服を着た日中に済ませるはずが、忙しくてとうとう思い出せなかった。
着替えるべきか、と考えなかったわけじゃない。しかし、思い出したのが忙しい一日がやっと終わるというタイミングだったから、さっさと用事を済ませて寝てしまいたかった。そういうわけで、着の身着のまま、スリッパを引っ掛けて出向いたというしだいだ。
寮母が教えてくれた部屋の前に立ち、小さな手でノックする。
こんこんこん。
リマが声を掛けるよりも先に、部屋の中から声が返ってきた。
「はいはーい、今開けますよーっと」
今までに聞いたことのないような上機嫌な声。本当にザッカリーなのかと疑うリマの目の前で扉が開く。
警戒心なく大きく扉を開けたのは、上裸のザッカリーだった。彼も寝支度を済ませたところだったのか、ゆったりしたスエットパンツだけ履いて、首からタオルをさげている。
「お、」リマを捉えたザッカリーの赤い目が細められる。「会長さんじゃないの。嬉しいねぇ」
リマは驚いて、ついザッカリーの言葉を繰り返してしまった。「う、うれしい?」
「そんなカッコで男の部屋に来るなんて、夜這いだろ? 女に積極的に来られて喜ば――」
「ちがう!」思わず大声でザッカリーの言葉を遮った。「ていうかなんで服着てないの!?」
ザッカリーは特に気にする様子もなく、腕を組んで壁にもたれかかる。
「なんでって、そら自分の部屋だからな」
「だとしても服を着てから開けるでしょ!? 服着てきて!」
言うことを聞いてくれそうにないザッカリーに代わり、扉を閉めた。扉に背を預け、はぁ、とため息をつく。
「おいおい」扉の向こうからザッカリーの声をかける。「男子寮の廊下に女ひとりで立ってるのもアレだろ、部屋入れよ」
「大丈夫だから!」
リマが大きな声で制すると、ザッカリーは適当な返事をして、それきり話しかけてくることはなかった。
◇
リマは手持無沙汰にネグリジェの裾をいじりながら、ザッカリーが再び扉を開けるのを待った。けれど、何分経ったか、扉は開かない。服を着るだけなのだから、五分もかからないはずだ。
眠気も相まってぼうっとしているリマの前を、何人かが不躾にジロジロ見ながら通り過ぎる。消灯時間も目前だというのに。
通り過ぎる人を数え飽きたころ、生徒たちの視線に耐えられなくなったリマは再度扉をノックした。
「なんだよ」とザッカリーが顔を覗かせる。今度はTシャツを着ていた。
待たせた自覚もなさそうなザッカリーに思わず眉根を寄せる。「まだ?」
ザッカリーは少し考えるように視線をさまよわせた。
「……悪い。髪乾かしてた」
思いもよらない言い訳に一瞬言葉が詰まる。
「……私、服着てきてって言ったよね?」
リマの不満気な言葉に、ザッカリーは首をかしげて笑い、「そうだったか? 酔っちまってよくわかんねぇな」と言った。リマはぎょっと目を剥いて、声をひそめて尋ねる。
「酔ってるの……!?」
ザッカリーは視線を他所に向け、顎鬚をさすった。「……さぁな」
言われてみれば、ザッカリーからかすかにアルコールのにおいがする。
「バレたらどうするつもり?」
「飲んでない飲んでない」とザッカリーはからから笑うと、招き入れるように扉を大きく開ける。「とりあえず入れよ、飲み物くらい出してやる」
酒が入っているから、こんなに上機嫌なのだろうか。
生徒会長としては、先生に報告するべきだ。しかし、今の発言だけでは証拠にならない。
ザッカリーが「入らねぇのかい」と戸惑うリマに問う。
部屋に入らなくても用事は済ませられる。しかし、ザッカリーの生活がどうしても気になった。生徒会役員として、同級生として。
「……ちょっとだけ、お邪魔しようかな」
「はいどーぞ」
「お邪魔します」
部屋に入るなり、きょろきょろと部屋を観察してみる。靴は脱ぎ散らかされているが、思ったより整頓されているようだった。そうしていると、扉を閉めるザックが口を開く。
「えっち」
「なんで!?」
「きょろきょろしてるから」
「違うってば!」
リマがあんまりムキになって否定するものだから、ザッカリーはこらえきれずふき出した。
「そんな力いっぱい否定しなくたっていいだろ、服相応に子供っぽいぜ」
怒りで顔を赤くするリマを置いて、ザッカリーは部屋の奥に進む。リマは「子供っぽい」というワードに何も言えなくなってしまって、だんまりそのあとに続いた。
「適当に座ってくれ、ホットミルクでいいかい」
「あ、うん。ありがとう」
客人に適当に座れと言うだけあって、部屋はきちんと掃除片付けされているようだった。しかし、床にクッションがあるわけでもなく、座れそうなのは、学習机とセットの椅子か、ベッドくらいだ。
椅子に座るのは何か違う気がして、ベッドに腰掛ける。ぼんやりとザッカリーの動きを目で追った。
ザッカリーはわざわざ手でマグカップに牛乳を注ぎ、マグカップ片手に指を鳴らす。
「ほい」とマグカップを差し出され、礼を言って受け取る。マグカップはほんのり温かかった。
ザッカリーは学習机の椅子に座り、机に置いてあったグラスを手に取るとちび、と飲んだ。リマもマグカップに口をつける。
「で? そんな可愛いカッコして夜這いじゃないならなんなのよ?」
「あ、」またも忘れていた用事を思い出す。「明日の生徒会には絶対に来てもらわなきゃ困るから、約束しに来たんだ」
ザッカリーが眉を顰める。「約束って、前もしたやつ?」
「そう」
「あれ、約束ってか呪いだろ」
以前も似たような理由でリマとザッカリーは約束を交わしたことがある。そのとき、ザッカリーは「デートだからやっぱ無理」と直前で生徒会をすっぽかしたのだ。しかし、そのデートで女に振られ、チンピラに喧嘩を売られ、頭上から花瓶が落ちるなど。なんとも散々だったらしい。
「そのくらいしないと来てくれないでしょ」
「そんなことないと言いたいところだが……。そうだな、会長さんが正しい」
「約束してくれる?」
「仕方ねぇな」ザッカリーはグラスを置いて立ち上がる。「今日は気分がいいからしてやるよ」
「ありがとう、じゃあ手を出して」
ザッカリーは素直に手を出す。マグカップをベッドサイドテーブルに置き、両手でその手を掴んだ。
ブツブツと約束の言葉を呟く。
「……。はい、終わり」ぱっとザッカリーの手を離す。「明日絶対来るんだよ」
「わーってるよ、また女に振られるのはごめんだからな」
「酔って忘れてたってのもナシ」
ザッカリーがぐいっとグラスを呷る。「女との約束は忘れんさ」
「調子いいんだから……」サイドテーブルに置いたマグカップを取り、ホットミルクを飲み干す。「まぁいいや、帰るね。飲み物ありがとう」
グラスの氷を鳴らしながら、ザッカリーが顔を顰めた。「ひとりでかい」
「え、うん、そうだけど」
「そうだけどじゃねぇよ」グラスを机に置き、ヘアゴムを取ったザッカリーがため息をつく。「こういうときは送ってって甘えるもんだぜ」
また子供扱いされているのか、とリマはムキになって言い返した。「子供扱いしないで、一人で帰れる」
「これは子供扱いじゃあねぇさ」ザッカリーは鼻で笑う。「一人前のレディだと思ってるから言ってんの。それがわからんならまだガキだな」
やや湿っている髪を一つにくくり、ザッカリーは適当な上着を二枚取った。そのうちの分厚い方をリマに投げる。
「子供扱いされたくないんなら、ネグリジェ一枚で出歩かないこと。レディをこんな時間にひとりで帰らす男はやめとくこと」
「随分と気が利く君にしとけってこと?」
だいぶ大きい上着に袖を通しながら、リマは尋ねる。同じく上着を羽織ったザッカリーが口元を歪めた。
「バカ、お前さんみたいなちんちくりん興味あるわけねぇだろ」
「やっぱり子供扱いしてるんじゃない!」
◇
ザッカリーが口説き交じりに寮母へ説明をし、外出許可をもらって外に出た。
「そういえば」ふと思い出し、リマが話を振る。「お腹の傷、どうしたの?」
「傷? ……あぁ」ザッカリーは一度何のことかと首を傾げたがすぐに思い出して笑った。「服着てっていう割にはしっかり見てるじゃないの」
からかうような笑いに話を逸らされたのだと思い、「話したくないなら話さなくていいよ」と次の話題に思考を向ける。しかし、そんなリマとは違い、ザッカリーは話す気があるようだった。
「この傷、っつーかもう痕だけど、女に刺されたんだよ」
予期しない言葉に、「刺された?」と思わずオウム返しする。
「そ、よくあるだろ? あなたを殺して私も死ぬって。あれを現実にやった奴がいるんだわ」
リマの知らない世界に、大きい目をぱちくりさせる。リマが言葉が出ないのを察したのか、ザッカリーはひとりで淡々と話を続けた。
「オレも黙って刺されたわけじゃなかったし、うるさいって言いに来た奴が助けを呼んでくれて、オレだけ助かった。あいつ、結構本気だったんだろうな、自分で首切ってたって」
リマはさらに言葉を失った。
首を切るなんてよほどの覚悟だと推察すると同時に、なぜザッカリーに対して致命傷を狙わなかったのだろう、と不思議に思う。魔法を使うなり、確実に仕留める方法をとりそうなものだ。
「じゃあ、なんでザッカリーは助かったの」
リマは浮かんだ疑問をそのまま口にした。
暴れられたとしても、ザッカリーの傷の位置は明らかに致命傷ではなかったように思う。
「当時は無理心中だと思ったが、」ザッカリーは珍しく、言葉を選ぶように一瞬言葉を区切った。「……今思えば星の数いる女の中で、印象的な女でいたかったんじゃないの」
無意識か、ザッカリーが服の上から傷痕をさすった。
リマはぼやくように呟く。「……大人ってよくわからない」
ひとりごちたリマの言葉に「同感だ」とザッカリーは口角を上げた。
「まぁもしそうだとして、あいつはオレに傷跡を残したし、実際こうして鮮明に覚えてる。意外と思うツボだったりしてな」
ザッカリーは冗談めかして笑ったが、リマはとても笑えなかった。
自分の役目柄、死ぬとか殺すとか、そういうことは身近にあるものの、自分で命を絶つ人間は知らなかった。みんな生きることに必死だと思っていた。
「オレは助かったからいいが、同じ経験をした全員がそうなるとは限らんからな。会長さんも気を付けろよ」
先輩面でザッカリーは言う。
「君を見てたら誰だって用心するんじゃない?」
「そりゃいい。しっかり勉強しろよ」
◇
女子寮が見えてくると、寮の出入り口に人が立っているのがわかった。その人物がザッカリーとリマに視線を寄越す。
「あら?」
「ん?」
「リマ様!」と暗い中でもわかるほど、その女の表情がパッと輝く。
リマがその声に釣られたようにその女の名前を呼んだ。「ジュゼット!」
一年、ジュゼット・ドバリーだった。その隣には二年生のルーサー・ベルが立っている。ザッカリーはその男に気が付き、「うげッ」と声を上げた。聞こえたらしいルーサーが笑顔で手を振る。
隠す気もなく、嫌悪感を浮かべるザッカリーをよそに、ジュゼットが尋ねる。
「こんなお時間にどうされましたの?」
リマはザッカリーに一瞥を寄越して答えた。「ザッカリーに用事があって、送ってもらったんだ」
「そうでしたの」とリマにはにこやかに返事をするものの、ザッカリーに寄越した一瞥は明らかな敵意を孕んでいた。
その視線に気づかないまま、リマが質問を返す。「二人は何してたの?」
「先生から頼まれて、いろいろね。区切りのいいところまでと思ってたんだけど、すっかり日も落ちちゃったね」
「えぇ」ルーサーの説明にジュゼットが頷く。「あたくしももう暗いからって送っていただいたところですわ」
リマはジュゼットとルーサーの顔を見比べ、
「……ザッカリー的には、こういう人がいいの?」
と、一歩下がった位置にいるザッカリーに尋ねる。ザッカリーは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「そのでかいのはやめとけ、ああいうタイプがいちばん痛い目見る」
「? 何の話?」
話の繋がらない二人は目を丸めている。リマとザッカリーは「なんでもない」と首を横に振った。
「こんな時間に立ち話もなんだし、もう帰ろうか」とリマが会長らしく締めくくる。
「そうだね」ルーサーが頷き、軽く手をあげた。「おやすみ、ふたりとも。良い夢を」
「失礼いたしますわ」
「おう」
二人が女子寮に入るのを見届けて、ルーサーがザッカリーを見た。ザッカリーはあわせてふいとそっぽを向く。
「さぁ、俺たちも帰ろう」
ルーサーの言葉を無視し、ザッカリーが男子寮とは別の方向に歩いていく。
「ザック」ルーサーは名前を呼びながらザッカリーを追った。「どこに行くのかな?」
ザッカリーはすでに面倒くさいとでもいうように、言葉短く「散歩」と答えた。来るな、という意思表示だったにもかかわらず、ルーサーはニコニコとザッカリーの隣を歩く。
「俺もつれてって♡」
「きもい帰れ」
口をついて出たザッカリーの言葉をものともせず、ルーサーは会話っぽいものを続けた。
「そういうわけにはいかないだろう、基本的に夜の単独行動は禁止だろ?」
「今は訓練か何かか?」ザッカリーは肩をすくめる。「違うだろ」
「ザック」
「……」
「良い子は寝る時間だよ」
「……」
「行こう」
ルーサーがいくら声をかけても、ザッカリーは反応ひとつ寄越さない。その頑な態度にしびれをきらしたルーサーは仕方ない、と息を吐いた。
「うおっ!?」突然ルーサーが肩を組み、ザッカリーは声を上げる。「おいやめろバカ!」
腕を振り払おうとするものの、二メートルの体躯にくっついたそれはザッカリーよりはるかに強かった。ザッカリーの抵抗もむなしく、ルーサーは引きずるように歩きだす。
「今日はよく眠れそうだね」
「おい引きずるな! 歩けるから!」
「だって離したら逃げるだろう?」
「逃げない!」
「はいはい、続きは明日聞くから」
ザッカリーは抵抗を諦め、おとなしく引きずられることにした。
「お前、オレの弟よりうざいな」
◇
男子寮のエントランスでは寮母が本を読んで待っていた。二人が入ってきたのを見るなり、本を閉じる。
「あらあら、おかえりなさい」微笑ましそうにたれ目を細める。「珍しい組み合わせですね」
「寮母さ~ん、部屋泊めて~」
ザッカリーが最後の頼みだと言わんばかりに懇願するが、寮母は目を細めたまま眉をハの字に下げた。
「ザック、ダメだろ」寮母の困惑を察したルーサーが叱責する。「マダムにそういうこと頼んじゃ」
「そうよぉ、お部屋はすぐそこなんだからお部屋で寝てくださいね」
「ていうか、もう寮に戻ったんだから離せよ」
ハっと思い出したように、ザッカリーは抵抗を始める。しかし、なおもルーサーが腕をほどく気配はなかった。
「あんたがちゃんとおうちに帰れたらね」
「は?」
「じゃあね、マダム。また今度お茶しよう」
ふてくされたザッカリーとは対照的に、ルーサーが爽やかに別れの挨拶をする。
「はいはい、楽しみにしていますね。おやすみなさい、ルカくん、ザックくん」
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