第4話 甘夏のサイダーは最後まで彼のお気に入りだった。
あれから私は祥吾さんの家族と会った。どこかあっけらかんとした両親と、お姉さんと弟さんがいた。彼らは一様に『うちの祥吾がすみません、大体察しがつきますので』と頭を下げた。私は私で、父とのことに祥吾さんを巻き込んでこのようなことになったことを土下座して謝った。祥吾さんの家族は泡を食った様子で頭を上げるように言い、勢い余った彼の姉が私を抱きしめた。
父は逮捕され、実刑判決となった。父は当然のように祥吾さんが誘拐犯だったと主張したが、彼と私は友人関係であり合意の上での旅行であったと私が証言したので訴えは退けられた。そもそも、私は知っている。あの時父が言った『クソガキ。出てこい』というのは私のことだ。父は祥吾さんが誘拐犯だから刺したのではない。最初から私を殺しに来たのだ。最後にはあの人もそれを認めた。
私は施設に入り、日々を過ごしている。人間関係はどうだろうかと思っていたが、父ほど理不尽な人間はそこにはいなかった。とにかく気が楽で、しばらくするとこれまで以上によく眠れるようになった。
夏休み中に引っ越しをして、転校手続きを済ませた。転校先の先生たちと、何度も打ち合わせをさせてもらった。施設の子が何人か通っている学校だったので、先生たちは慣れた様子だ。十分すぎる配慮の上で私の新しい人生を祝ってくれた。今度こそ友達ができるといいな、と私は思う。
そんな打ち合わせからの帰り道。気が付けばいよいよ、夏真っ盛りだった。
電話が鳴った。まだ子供用携帯の私は、あたふたしながらそれを耳に当てる。
『もしもし?』
声を聴いて、私は思わず顔を綻ばせる。「もしもし」と返せば、相手は『元気?』と訊いてきた。
「元気だよ。――――祥吾さんは?」
それわかってて言ってんの? と祥吾さんは言う。私は目を閉じて、「元気だったらいいなと思っただけだよ」と微笑んだ。
『沖縄に行くわ』と彼は唐突にそう口にした。『あんたも来るでしょ?』と当たり前のように言われる。私は苦笑して、「なんで沖縄?」と一応尋ねてみることにした。
『天国では海の話をするって言ったでしょ。ならアタシは日本代表として世界に誇れる海を見ておくべきだと思うのよ』
「そんなんでマウント取ろうとしたって、天国には沖縄県民もたくさんいると思うよ」
『うるさいわね。アタシが行くんだからあんたも行くでしょ? ホテルからの弁償が全部アタシのとこに来たの、まだ許してないんだからね』
「許してないんだからね、って言われても……私のせいでもないし」
『あんたの父親がやったことでしょ』
「それは本当に申し訳ないと思ってるけど……」
『は? あんたの父親がやったことでなんであんたが申し訳なく思う必要があるのよ』
「えー……」
ちょっとため息をついて、私は「体は大丈夫なの、祥吾さん」と尋ねる。祥吾さんは『大丈夫ではないわ』と何でもないことのように答えた。
『医者から「これが最後になるだろう」って言われた。でもそれ言われたの三度目よ。まだイケると思うわ』
私は思わず笑ってしまう。そんなチキンレースみたいなことあるだろうか。
結局行くことになるんだろうから、私はとりあえず「いつ?」と訊いておく。
「今から」
電話口から、そしてすぐ頭上から、そう聞こえた。それから煙草の香りと、特有の温度を感じて――――
私は咄嗟に上を向く。ぴったり私の後ろに立った祥吾さんが、私のことを見下ろしていた。
「久しぶり、ふふみちゃん」
「…………一生こするじゃん」
「一生擦るわ」
彼は「あっちいわね、地球」と唐突に嘆く。この人はもしかして宇宙からやって来たのだろうか。「沖縄はもっと暑いよ、きっと」と私は言った。すると彼は被っていた麦わら帽を私に被せて、腕を掴む。
「祥吾さんの帽子でしょ」
「あんたのが似合ってるわ。あんたが被るべき帽子だったのよ」
この日の彼は、ゆるくパーマがかった金髪のショートヘアだった。夏の太陽が反射して眩しい。
「本当にいまから沖縄に行くの? 私、パスポート持ってないよ?」
「パスポートぉ!?」
なぜか祥吾さんは絶句して、「……まあいいわ。全部アタシに任せなさい。しっかり飛行機に乗せてやるわよ」とぶつぶつ言った。
「はぁ~、あんたのこと海外に連れてってやりたかったわ。でも向こうでぶっ倒れたら治療費が大変なことになると思うと、もう行く気にはならないのよね……」
「すごく現実的な話で悲しくなった」
「ほらぁ、やっぱりそれで困るのって家族じゃない? そういえば、アタシの親に会ったらしいじゃないの」
「お姉さんと弟さんにも会ったよ」
「変な人たちだったでしょ?」
「祥吾さんほどではない」
というか変な人たちだとはひとかけらも思わなかった。でも祥吾さんが「ほんとにぃ?」と訝しげな顔をするので、私は自分の人を見る目に自信がなくなった。
不意に会話が途切れたので、「祥吾さん」と私は呟く。
「怪我……大丈夫?」
「大丈夫だからここにいるんでしょうよ」
大丈夫よ、とはっきり祥吾さんは答えた。「どうせ死ぬしね」と笑う。私は無性に泣きたくなって、「やだなー」と言った。何が嫌なのか、どこが嫌なのか、自分でもよくわからなかった。
「まあでも、刺された時はほんとに痛くて勘弁してほしかったけどね。鉄壁の無宗教を誇るアタシが思わず『ジーザス……』って唱えたわよ。祈りというものの本質を完全に理解したってわけ」
「そんな回復呪文みたいな感じで唱える言葉じゃないと思うけど」
すごく宗教的理解から遠そうだな、と私は思う。
「なんか……そんなに痛がってると思わなかった……。祥吾さん、全然変わんないんだもん」
「そりゃそうよ。アタシのモットーはね、“一に忍耐、二に忍耐、三四がなくて五に拳”っていう」
「その並びだと、三四が結構重要だったんじゃないかな」
ギラギラと照り付けるアスファルトの道をてくてく歩いて行く。「そうだ」と彼は口を開いた。
「あんた、流しそうめんしたことないって言ったじゃない?」
「うん」
「竹用意してやるのはさすがに骨が折れるわけよ。で、どっか店でできないのかしらって思って調べたら、なんか機械でぐるぐる回ってる感じの流しそうめんがあるわけ。あれでいい?」
「“あれでいい?”って言われてもわかんないよ……やったことないもん……」
「大体なんでそうめんを流す必要があるわけ?」
「ええ?」
「普通に食っても味変わんないわよ」
「それはこの前祥吾さんが、」
「あ、コンビニで飲み物買いましょ。このままじゃ熱中症になるわ」
「祥吾さん、歩くの速いね……!」
汗を拭いながらついて行く。彼はずんずん先に行ってしまい、白いワンピースの裾が翻る様だけが私の目に焼き付いた。その時二人で飲んだサイダーは甘夏の味がして、「悪くないわ」と彼は言った。
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