第5話 邂逅

「いやぁぁぁぁあー! キュイックぅぅぅー!」


 叫んだ瞬間、アイナの小さな胸に激痛が走る。


「うぐぅ……!」


 そして、アイナの意識は闇に沈んだ。


 スキル『献身デボーション』が初めて発動した瞬間だった。出会ってからの時間は短いが、アイナにとってキュイックは「とても大切なもの」になっていたのだ。


 ブラッド・サーペントに呑み込まれ即座に食道に入ったキュイックは、突然呑み込まれたショックで心臓が止まってしまったが、アイナがそれを身代わりした。キュイックのダメージが無効化されアイナが絶命する。


 しかし、キュイックはまだブラッド・サーペントの体内にいる。食道から胃に流されていく間にダメージが蓄積した。


 『献身デボーション』はパッシブ(常時発動)スキルである。


 キュイックのダメージは、酸欠と胃酸によって遂に致命傷に至る。これを復活し始めたアイナが再び代わりに受けた。アイナの身体が無残に溶けていくが、黒と青の炎によって溶けた先から修復されていく。


 しかし、このままでは埒が明かない。いくらアイナがキュイックの致死ダメージを代わりに受けても、キュイックがブラッド・サーペントの腹の中に居る以上は堂々巡りであった。





 キュイックを腹の中に収めたブラッド・サーペントは、ちょっとした違和感を感じながらもアイナに忍び寄る。


 さすがに丸呑みするのは無理だろうか?チロチロと舌を出しながらブラッド・サーペントは思案を巡らせていた。どうやってアイナを腹に収めるかを。


「おい! あそこ! 女の子が襲われてる!」


 十三階層から上がってきた『銀獅子団』のヒューイの目が、地面に倒れている少女と、その少女を今にも襲おうとしている(ように見える)ブラッド・サーペントの姿を捉えた。


 実のところ、ブラッド・サーペントはアイナを丸吞みするのを諦めていたのだった。小柄とは言え、人間の女の子はさすがに大き過ぎた。


 ヒューイは瞬く間にブラッド・サーペントに迫り、腰の後ろにクロスして差している二本のショートソードを抜き去って、通り過ぎざまにブラッド・サーペントの首と胴体に斬りつけた。


 頭が落とされ、胴は三分の一の所で輪切りにされた。


 Sランク冒険者が本気を出すような魔物ではない。完全にオーバーキルである。ブラッド・サーペントにとって今日は厄日だった。


 そして、ヒューイに悪気は全くないのだが、斬った胴はちょうどキュイックがいた部分であった。ショートソードはキュイックも一緒に両断してしまったが、このダメージは当然アイナが代わりに受けることになる。


「ブシュゥゥゥー!」


 倒れているアイナから血飛沫が上がる。


「お、おぉぉい、ヒューイ!? お前まさか女の子を斬ったのか!?」


 遅れて来たアレスは血塗れで倒れている少女を見て青ざめた。


「は? アレス何言って……はぁぁあーっ!?」


 ヒューイは見てしまった。倒れた少女は恐ろしい量の血だまりに沈み、お腹の部分で上下に両断されていた。


「ヒ、ヒューイ……あんた、まさか……」


 更に遅れて来たモニカは、真っ白な顔で呆然と少女を見ていた。


「……ヒドい……」


 普段感情を露わにしないネネも、目の前の惨状を見て呟く。


「ち、違うっ! 俺じゃない! 俺じゃないって!」


 ヒューイが走り込んで来た進路上にアイナは居なかったので、冷静に考えれば自分が斬った訳がないと分かった筈だが、少女の惨状を見てさすがのSランク冒険者もパニックになっていた。


 四人ともアイナを直視出来なくなっていた。そんな中、ノーダメージでブラッド・サーペントの腹から出て来たキュイックは、アイナの傍にトコトコと駆け寄った。


 『銀獅子団』の四人が目を背けている時、アイナの身体を黒と青の炎が包んでいた。そして何事もなかったように、アイナの身体は元に戻った。


 キュイックがアイナの頬をつつく。


「ん……ぅん……」


 ヒューイが他の三人に向かって全力で弁解している時、アイナがむくっと起きた。


「あ……あれ?」


 その声と姿に、Sランク冒険者四人は文字通り飛び上がり、アイナに向かって瞬時に武器を構える。


(アンデッドか!?)

(アンデッドだ!)

(アンデッドね!)

(……)


 アイナは目をこしこし擦ってキョロキョロと周りを見回す。そして、腰の所に寄り添っていたキュイックを見付けて抱き上げる。


「キュイック……良かった……って!? あなた方は誰ですか!?」


 武器を向けて自分を囲む四人にようやく気付くアイナ。戦闘力ゼロなので仕方ないのである。慌てて立ち上がるアイナに、四人が更に警戒する。


 立ち上がった瞬間、ワンピースの下半分がはらりと落ちた。傷ひとつない真っ白なお腹とおへそが丸見えになった。


「きゃ……やだ!」


 ショーパンを履いているし、上はボロボロではあるが一応残っているのでセーフであったが、急に露出が増えたのでアイナは慌てた。


(???)

(!?)

(……生きてる?)

(……かわいい)


 ちなみに、先程からの( )は上からアレス、ヒューイ、モニカ、ネネの心のうちである。四人は顔を見合わせる。ここはリーダーのアレスが声を掛けるべきであろう。アレス以外の三人が声を出さずに(お前が話し掛けろ)と目で訴えた。


「えーと……? 君は人間?」


 アイナはその質問の意味を図りかねた。私のどこが人間以外に見えると言うのだろう? そんなにみっともない恰好だろうか? 十二歳の多感な女の子は自分の見た目が気になった。


 着ている服こそボロボロだが、死から復活した際に身体は綺麗な状態になっていた。汚れて絡まった髪は、艶のあるサラサラの美しい銀髪になっていたし、ブルーの瞳は穏やかな湖面のように澄み渡り、痩せ細った身体も本来の健康を取り戻していた。つまり、服以外は間違ってダンジョンに迷い込んだ貴族令嬢のような可愛らしさだった。


 自分の姿を確認する術がないアイナは、一生懸命髪を直しながら答えた。


「はい。人間です。アイナと言います」


 ぺこりと一礼する。


「この子はキュイックです」

「キュイ!」


 両手で抱えたキュイックを四人に向かって差し出して紹介すると、キュイックもそれに合わせて鳴き声を上げた。


「そ、そうか……なんか悪かったね。俺はアレスだ」


 アレスがそう言いながら右手を差し出した。アイナは遠慮がちにその手を握る。


「ヒューイだ」「モニカよ」「……ネネ」


 残りの三人も順番に手を差し出して来た。アイナは面食らいながら三人と握手する。


「えーと、聞きたい事はたくさんあるんだけど……アイナは一人なのか?」

「はい……あっ、キュイックと二人です」

「そうか……とりあえずダンジョンを出ようか。それから話を聞かせてもらっても良いかな?」

「……一緒に、行っても良いんですか……?」


 アイナの言葉に今度は四人が面食らった。こんな所に、こんな幼い少女を置き去りにするなんていう選択肢はない。アイナを守りながらダンジョンを出る。『銀獅子団』の四人には当たり前のことであった。


「俺たちは『銀獅子団』っていうパーティだ。出口までの短い間だけど、君を『銀獅子団』の五人目の仲間に加える。よろしくな、アイナ」


 アレスはそう言ってアイナの頭をわしゃわしゃと撫でた。モニカが、持っていた荷物から上着を出してアイナの肩に掛けてくれた。小柄なアイナが羽織るとコートのようだった。


「その綺麗な銀髪、『銀獅子団』にぴったりね!」


 アイナにとって、それは久しぶりに触れた「優しさ」。そして死と隣り合わせ(というか何度も死んだのだが)の状況から解放された安心感と相まって、胸の奥がぎゅーっと引き絞られる。


 アイナは唇を噛み、一生懸命涙を堪えていた。今泣いたら、『血風の狼団』の時みたいに酷いことをされるかも知れない。役立たずと罵られ、怒鳴られ、蹴られたり殴られたり、置き去りにされるかも知れない。


 小さな肩を震わせて涙を堪えるアイナの様子を見て、ネネがそっとアイナの前に跪く。


「こわかったね。よく頑張りました」


 そう言ってネネはアイナの頭を優しく撫でた。


「うぐっ……ひっぐぅ……」


 アイナの口から抑えた嗚咽が漏れる。ヒューイがアイナに背を向けて腰を降ろした。


「ほらっ! おんぶしてやるから!」

「うっぐ……それは……大丈夫です……自分で歩きます」


 アイナにお断りされたヒューイが「えっ?」といった顔になる。アイナはおんぶされるのが恥ずかしかった。スキル『拒絶リフューザル』は発動していない。


「い、いいから、遠慮すんなって! ほら」


 一度言い出して格好良い所を見せたかったヒューイは後に引けなかった。アイナはもじもじしながら「じゃあ」と言いながらヒューイの背に身を預けた。細身に見えたヒューイの背中は、アイナにとってはとても大きくて暖かかった。


 『銀獅子団』の四人と臨時団員一人、不思議な白い小さな生き物の合わせて五人と一匹は、連れ立ってニーズヘッグ・ダンジョンの出口に向かった。

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