相談

 靉靆が晴れないまま放課後が訪れた。教室はより一層煩くなり、詩音はさっさとバイト先へと向かう。

 電車に乗り込んで三十分ほど。メイド喫茶が儲かるくらいの都会へと着いた。やはりオタクが集まる街あって、ポスターは美少女、所謂萌え系ばかりで、心なしか男性が多い気もする。

 平日だというのに活気に溢れた道を通って、詩音は外れた位置にあるバイトの店へ入った。


「おはようございます」


「あらおはよ――ちょっとこっちに来なさい」


 出勤早々、先輩であるチョコ、綾瀬にバックヤードへと引きずられた。


「何かあったの? 酷い顔をしているわよ?」


「…………」


「あのね、お客さんが来るの。そんな辛気臭い顔をしないでちょうだい。まだ時間があるし、私でよければ相談に乗るわよ? って、わわ! 泣かないでよ! ほんと、一体何があったのよ……」


 綾瀬の優しい気遣いに、涙腺が崩壊した詩音は静かに泣く。それから綾瀬に背中を撫でられながら今日あった出来事を、堰を切ったかのように口にした。文美が男性と居た事、自分の気持ちに向き合った事。

 それらを聞こえた綾瀬は黙り込んでしまった。難しい問題なのは明白だ。


「男性と会っていたのは多分告白されたんでしょうね」


「告白……」


「そう、文美って人気らしいから不思議じゃないわ。実際、仲が悪くなる前、軽音部の中で文美の取り合いが発生していたし……」


 当時のことを思い出した綾瀬は遠い目になって、どこか老けた様子だ。苦労したことが一目瞭然だろう。


「じゃあご主人様に恋人は居るんですか?」


「んー……多分、いないんじゃない? いたら貴方にギターを教えないでしょう?」


 二人の脳裏に過るのは微笑んだ文美。彼女は時間さえあれば詩音にギターを叩き込み、偶に遊んで、しょっちゅう詩音のバイト先へ訪れる。とても恋人との時間はなさそうに思える。


「今日だって告白されて、断ったと思うわよ? キスをしていたのも、きっと勘違いよ」


「そうでしょうか……」


 綾瀬の言葉には説得力があった。あの時の状況を思い出すに、それが一番しっくりくるからだ。しかし、確証はなく、だからこそ不安に思ってしまう。

 曇っている詩音の表情に、重症だと呆れた綾瀬は「ああ、可愛い後輩の相手も楽じゃないわ……」と嘆息を吐いた。

 バイト時間が迫り、取り敢えず二人は制服へと着替え、ぎりぎりでタイムカードを通した。

 開店こそしているが、まだお客さんは来店していない。詩音はホールの掃除に手を付け、綾瀬はキッチンの掃除をしていた。


「それで、貴方の恋心だけれど……」


 今、一番痛感していること言われて、思わず詩音は手を止めてしまう。


「私は何も言わないわ」


「どうしてですか? 女性同士って可笑しいですよね? 罵ってくれてもいいんですよ?」


 整理がつかない気持ちに嫌気が差し、自己嫌悪から毒を吐いた。口調では強気だが、その表情は脆くて、今にも泣きそうになっている。


「そんなことしないわ……貴方は、詩音さんはどうなりたいのかしら?」


「そ、それは……文美先輩と、もっと深い関係に……」


「なればいいじゃない。女性同士だから可笑しい? そんなの臆病者の言い訳にしか聞こえないわ。大事なのは詩音さんがどうしたいのか、よ?」


 綾瀬は順々と諭す。

 詩音は文美とどうなりたいのか? 先ず、恋愛感情を抱いているから恋人同士だろうが、厳密に言えばより深い関係だった。誰よりも親しく、誰の手によっても切られない絆。甘い甘い恋を詩音は感じたかった。もっともっと文美に想われたい。


「私は……」


 文美のことを偲ぶあまり、掃除を止めてしまう。

 もう一度、自問。自分は文美とどうなりたのか?

 そう、深くなりたい。答えは出ており、そうなるためにはどうすればいい? 結果までへの過程を、よく熟考しないといけない。が、必要な要素は分かっている。

 諦めちゃダメなのだ。何度でも言うが詩音は前向きな性格を、自分の取り柄だと思っていたが、それを忘れていた。

 そうだ。何が同性愛だ。女性同士でもいいじゃないか。仮に文美に恋人が居たとしても奪えばいい話。

 結論が見えた頃、鈴の音が鳴り響き、話の中心人物だった文美が来店した。客として訪れるのは珍しくなく、綾瀬が笑顔で出向く。


「あ、ご主人様がご来店にゃん! こちらへどうぞにゃん!」


「相変わらずね」


「なによ……」


「はっ……何でもないわよ」


 文美は鼻で笑った。上から目線な態度だろう。

 腹が立った文美はムスッと眉を顰めている。口調も砕け、否、棘が目立つ。

 そんな店員の態度でも我関せずといった風な文美はカウンター席へと着いた。適当にドリンクを注文し、ついでにオムライスを頼む。

 オムライスの調理方法を教わったばかりの詩音が厨房へと入り、綾瀬が文美の接客をしていた。


「全く、貴女に会いに来た訳じゃないのだけど……」


「うにゃ? ご主人様は殴られるのがお好きなドMなのかにゃん?」


「変な言いがかりはやめなさい。綾瀬ちゃん」


 態と名前で呼んで挑発する。それも文美らしくないちゃん付けである。

 綾瀬は額に蚯蚓のような血管を浮き上がらせ、わなわなと身体を震わせた。今までの積もりに積もった怒りが爆発しそうになるが、今はバイト中だ。綾瀬が店員で、文美がお客さん。拳を抑え、殴りたい衝動を必死に我慢して、無理にでも笑顔を取り繕った。


「ぎこちない笑顔ね。不細工よ?」


「ご、ごめんなさいにゃん……ご主人様はモテたりしないにゃん?」


 興味が注がられる話題に変わり、厨房で調理していた詩音は思わず卵を落としてしまった。


「それなりに、ね。今日だって名前も知らない男子に告白されたわよ。断ったのだけど壁へ追いやられて、無理矢理キスをされそうになったから、股間を蹴り上げたわ」


「そ、それは気の毒にゃん……」


 本当に嫌そうに語る文美に、綾瀬は同情することなかった。知らない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものはないだろう。


「お待たせしましたご主人様! ムギたん特製のオムライスむぎ!」


 やがてオムライスが運ばれてくる。

 平均よりも少し掛かったが、出来栄えはそれなり。まあ新人としては合格点だろうと判断した綾瀬は冷蔵庫からケチャップを取り出した。


「それじゃあムギたん! これでご主人様へ気持ちを伝えるにゃん!」


「む、むぎ!」


 適当に相槌を打って、ケチャップを受け取った。

 いつも通り、ケチャップ文字を書けばいいだけだ。言葉はその場のノリで、真剣に考える必要はない。そう分かっているのに、詩音は普段よりも真摯になってしまう。

 いざ書こうとすれば手が震え、定番になっている『だいすき♡』を書こうとは思えない。それよりも、ずっと伝えたい言葉あるのだ。もっと、深い、言葉を伝えたい。

 その一心でケチャップ文字を描いてみると『愛』になった。愛とは、尊いものであり、心を豊かにしている。が、時には傷を伴い、狂奔的になってしまうが、恐らく人類が一番必要とする心だろう。


「漢字を描くなんて器用ね。愛だなんて恥ずかしいわ」


「ご主人様はムギたんのことをどう思っているにゃん?」


「勿論、私も好きよ」


 違うのだ。

 その好きではないのだ。ライクではなく、ラブを求めているのだ。

 気持ちのすれ違いから詩音は切なく思ったが、それを顔に出さなかった。それどころかどこか吹っ切れた様子だった。


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