自覚

 夏休みはあっという間に終わった。花が散るように、ほんの一瞬の青春だっただろう。といっても詩音はギターの練習、バイトに励んでいたのであまり青春らしいことはしていない。強いて言えば文美と行った海、水着美女弾き語りコンテストくらいだろう。

 そして、現在は始業式から数日経った平日の休み時間。

 久しぶりの学校。漸く感覚を取り戻していた詩音は友人といつものように駄弁っていた。


「はぁ……まさか休み時間に勉強しないといけないなんて……」


「宿題をきちんとしていないのが悪いと思います」


 今更夏休みの宿題に手を取り掛かり、ぼやいている友人に冷たい瞳を向けてしまう。詩音は合間を縫って宿題を済ましている優等生なのだ。


「一生のお願い! 宿題を写させて!」


「嫌です。ためにならないですし、殆どは提出して手元にないです」


「ちぇっ……」


 友人は不貞腐れた様子で舌打ちをした。


「いいですか。宿題は自分でやるものです。勉強というのは大事ですが、その中でもやり遂げるという行為が大事で――「そういえば文美先輩とはどうなったの? なんでもご主人様って呼んでいるらしいじゃん」――そ、それは!?」


 学校ではなるべくご主人様と呼ばないようにしているが、どうやらどこからか漏れたらしい。詩音は事態を深刻に思い、動揺してしまった。しかし、それでは肯定しているようなものだろう。

 一転攻勢。ここからは友人の反撃だ。宿題という話題を逸らし、文美先輩との関係を追及する。


「へぇー本当なんだ」


「た、偶々ですよ! メイド喫茶での癖です!」


「あ、メイド喫茶でバイトでも始めたの?」


「あっ……」


 軽率な発言だった。揶揄われると分かっていたので詩音は絶対に友人だけには知られたくなかったのだが……芋づる式で知られてしまった。

 友人も興味津々そうに目を輝かせている。もはや宿題のことなど頭になさそうだ。


「ねぇ! バイト先に行ってもいい!?」


「やめてください」


 知人が来客するのは文美だけで十分だ。あんな大量のフリルが付けられたドレスのような服に、猫耳を付けた姿なんて友人に見せたくはない。唯一、見せるとしたらご主人様だけなのだ。


「ちぇっ……つまんないの……」


 更に不貞腐れてしまった友人は舌打ちをした上で、机に頬杖を突いた。鉛筆をがじがじと噛んでいる姿は情けない。


「ん? あれって文美先輩じゃない?」


「え? どこですか……」


 友人がペンで指した先には確かに文美がいた。紺色のプリーツスカートを揺らしながら、何処かへ向かっているようだ。


「ごめんなさい。ちょっと行ってきます」


「あ、追うなら私も「宿題」――わ、分かったよ」


 無性に気になった詩音は文美の跡をつける。罪悪感はあるが、それよりもご主人様のことを知りたいという気持ちの方が強かった。

 姿は見失っていたが、方向は分かる。そちらへ走っていると講堂が見えてきた。今日は天気がいいので体育の授業は運動場で行われおり、講堂の扉は固く閉ざされている。


(ご主人様……何処に行ったんだろう……)


 まさか裏門から校外へ出た訳ではないだろう。

 きょろきょろと回りを見回していると、不意に詩音の耳朶が打たれた。何かしらの物音で、それは講堂の裏から聞こえた。

 不思議に思い、詩音は恐る恐る壁から顔を覗かした。


(なっ!?)


 日の当たらない日陰。閑古鳥が鳴くような場所に、人影が重なっていた。

 一つは文美だ。漆黒の黒髪、身長から間違いないだろう。それに覆いかぶさるようになっているのは詩音が知らない男子生徒。恐らくは三年生だ。遠目からだとキスしているように見えなくもない。逢引かもしれない。

 詩音は信じたくなかった。目の前の光景を脳が拒絶し、段々と意識がぼんやりとしてきた。涙で視界はぼやけて、頬を伝って地面へと落ちる。


(ご主人様の馬鹿! “私の気持ち”も知らないで!)


 詩音は心の中で吐き捨てて、その場から逃げ出した。

 たった今、自分の気持ちを理解したのだ。いや、漸く向き合ったというべきだろう。

 好きなのだ。誰でもなく、文美というご主人様を、詩音は一人の女性として愛している。そう自覚した瞬間、胸が張り裂けそうなほど辛くなった。

 だってそうだろう? 文美と詩音は女性同士だ。いくら文美に同性愛の理解があったとしても、そうであるかどうか別問題。ただ今までの行動から察するに文美は普通の感性を持っているように思えた。つまり、詩音のこの想いは、一生叶うことがないかもしれないのだ。初恋は叶わないというジンクスがあるが、神様はなんて残酷なのだろう。

 二つボタンのブレザーは涙で濡れる。もうどうすることもできない。目の前が真っ暗になって、気がついた頃にはお昼休みが訪れていた。

 友人に一言掛けてから、いつものように空き教室へと向かう。

 重たい扉を開けて、そこには机に座り、片脚を抱えて黄昏ている文美がいた。行儀が悪いだろう。


「どうしたの? 泣きそうになっているわよ? 誰かにいじめられたの?」


「なんでもないです……」


 悟られないように平然を装っていた詩音は見破られてドキッとした。心配をしてくれる気持ちは嬉しいが、今だけは有難迷惑だ。何故なら、その泣きそうになっている原因は文美にあり、余計に気持ちがこんがらがってしまう。


「これ、今日のお弁当です」


「ありがとう……あら? 今日のふりかけはゆかりなのね。それなりに好きよ」


 手を合わせ、いただきますと一言いい、文美は弁当を食べ始める。詩音のことは気になっているようだが、自分から話してくるまで待つつもりなのだ。

 そんな彼女の対面に座った詩音は自分のお弁当を広げながら、こっそりと文美に見惚れてしまう。

 濡れ鴉の様な艶のある髪。陶磁器のように白く滑らかな素肌。人形と見間違えてしまいそうなほど整っている。身長は年齢の割に高く、それ故にすらりと伸びた手足はよく引き締められている。

 ああ、可愛い。見つめれば見つめるほど、心が文美で占められていく。もう、彼女しか眼中に映っていない。


「さっきからなによ? 今日の貴方、ちょっとおかしいわよ?」


「……ご主人様は私のこと、好きですか?」


「この前の仕返し? 好きに決まっているじゃない」


 そう返してくるとは分かっていた。その好きの意味も、分かっている。だからこそ落ち込んでしまう。

 肩を竦めている詩音に、訳が分からない文美はただ首を傾げるしかできなかった。


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