天気は快晴。太陽に照らされた海はきらきらと輝き、この世の神秘を映し出している。母なる海とはよく言うが、確かにその通りだろう。人間にとって水は必要不可欠であり、その水を大量に含んでいる海を母と称しても過言ではない。

 そんな海は広大だ。地球の表面積の七割は海で出来ており、陸地よりも大きい。

 数日後、二人は宣言通り海に訪れた。

 夏休みだからか、ビーチはそれなりに混んでいて、億劫としつつも水着へと着替えた詩音は砂浜に座り込んで文美を待つ。


「水着、褒めてくれるかな……」


 張り切って買った水着。上下共に清楚な感じがする白色で、胸元に付けられた大きめのリボンが特徴だ。詩音的には似合っているつもりなのだが、果たして文美は褒めてくれるだろうか……


「おまたせ」


「あっご主人様……スクール水着?」


 視線の先には紺色のスクール水着を着た文美が髪を掻き上げている。毅然たる態度を保っているが、格好で台無しだろう。文瓜と書かれたゼッケンが縫い付けられている。


「なによ? 何か文句でもあるの」


「いや……それよりギターを持ってくる意味ってなんでしょうか?」


 気まずくなった詩音は話題を変え、足元に置かれたハードケースに注目する。

 どうして海にギターを持ってこなければならないのか? 遊ぶに至って邪魔だろう。近くに在るコインロッカーにも入らず、まさか練習をする訳でもないだろうし、ただ持ってきてと、言われていた詩音には見当もつかない。


「まだ分からない? 周りをよく見なさい」


「んー……」


 周りを見回してみるとちらほら楽器を背負った人が見える。疑問に思って、更に目を凝らすと見えたのは海の家に貼られた一枚のポスター。

 そこには『水着美女弾き語りコンテスト!』とでかでかと書かれており、そこで詩音は嵌められたと理解した。

 文美の嫉妬云々は兎も角、元より海へ訪れた理由はこれだったのだ。


「へーそんなコンテストがあるんですね。頑張ってください」


「貴女“も”出るのよ?」


「ですよねー」


 分かっていたけれど信じたくはなかった詩音は項垂れた。

 詩音は相当な人見知りである。ギタリストと言えば派手なバンドマンというイメージがあるが、本質は臆病で、クラスでも友人は一人しかいないくらいの根暗だ。あがり症気味で、注目を浴びればしどろもどろになるのがデフォルト。大勢の人の前でギターを披露しないといけないと思えば、速攻で気分が悪くなった。

 しかし、そんな詩音にも一つだけ、自負している取り柄がある。

 それは前向きなことだ。

 前向きだからこそ、コンテストを受け入れた。苦労はするだろう。嫌な思いもするだろう。だけど良い経験になるのは確実。シンガーソングライターを目指すのに必要な経験を得られ、そう考えれば出てみようと思えた。当たって砕けろ、である。


「それじゃあコンテスト前に遊びましょうか。まだ時間があるわ」


「え? でも受付が……」


「それなら代わりにしておいたわ」


「それ、大丈夫なんですか?」


 普通なら本人でないと駄目そうだが、文美曰くいけるらしい。

 緩い大会なのだろう。

 そう結論付けた詩音は文美に連れられて海へと駆け込んだ。

 浅瀬だったからか、そこまで冷たくはない。太陽によって温められているのだろう。遊ぶのに最適な水温で、二人は水を掛け合ったり、ドラマのように砂浜で追いかけっこした。が、二人だけなのは無理があっただろう。

 一時間もすれば飽きてしまい、二人は砂浜に座り込んで、ただ海で遊ぶ子供たちを眺めていた。


「コンテストはいつですか?」


「あと一時間ちょっとね。小腹が空いたし、何か買ってくるわ」


「あ、待っ……行っちゃった……」


 一方的にそう言い残し、海の家へと走っていた文美の背中を見送る。

 ついに一人になってしまった詩音は手持ち無沙汰になり、ぼんやりと思考を巡らせる。その殆どは「ご主人様は何を買って来るんだろう?」や「軽音部の皆も連れてきたら良かったかな?」など答えのでない事ばかりだった。

 改めて、周りを見回してみるとそれなりに人で賑わっている。やはりコンテストの影響だろう。緊張して少しだけお腹が痛くなった。


「君、何年生? 高校生だよね? 一人でどうしたの?」


「可愛いね。俺らと遊ばない?」


「えっと……」


 一人になった瞬間、下心が見え見えの不良に絡まれるというドラマでありそうなシーン。俗に言うナンパというものだろう。まさか自分が体験すると思っていなかった詩音は忌避感を抱きながら一歩後退った。

 しかし、相手は不埒者だ。舐め回すような視線で、じりじりと近づき、逃さないとばかりに詩音を囲んでしまった。


「いいじゃん。減るもんじゃないしさ。お兄さんたちと遊ぼうよ」


「や、やめてください」


「まあまあそう言わずに――うぐっ!」


 痺れを切らした不良が詩音の腕を掴もうとした。刹那、股間を押さえて倒れてしまった。

 その不良の背後。詩音の瞳にはプラスチック製の箱に入った焼きそばを持った文美がしっかりと映った。それも不機嫌そうにしていて嫣然かつ、冷徹な瞳で不良を睥睨している。


「なに? 貴方たちは?」


「いきなりなにすんだ!」


「って顔は良いくせにスクール水着だぜ? だっせぇ!」


「ふざけないで!」


 げらげらと下品に笑う不良たち。

 それに苛立った文美は詩音を抱き寄せて、啖呵を切った。


「彼女は私のモノよ! それを奪うなら容赦はしない!」


 可憐な少女の奪い合い。当然、周囲の注目は浴びている。

 文美が醸し出したのは、まるで喉元にナイフを突きつけられているかのような殺気だ。一般人、それも女子高生が出せるような力ではなく、一瞬にして青ざめてしまった不良たちはそそくさと散っていく。


「あ、ありがとう……」


「大丈夫? 触られなかったかしら?」


 周りの視線を痛く感じつつも、助けられた事実に詩音は感謝の念を抱いた。が、それを気に留める様子もない文美は詩音の腕を愛おしそうに撫でている。

 大事にされているようで嫌な気分ではなかったが公衆の場なので、少しだけ恥ずかしくも思う。


「だ、大丈夫です」


「痣はないわね。無事で良かったわ」


「まさか絡まられるとは思ってもいませんでした」


「そう? 割とあることじゃない?」


 才色兼備と言われている文美はナンパの格好の的で、だからこそ対応になれていた。

 詩音もそれなりの美少女だが、インドア派故か今回が初めてのナンパだった。


「これ、一緒に食べましょう」


 買ってきた焼きそばを差し出すが、それはたった一つだけ。割り箸も然りで、一緒に食べさせ合うつもりだろう。


「はい、あーん……」


「あーん……美味しいです」


 もう何度もあーんを経験していたが、未だに慣れない詩音の頬、いや耳までも少しだけ紅潮している。

 やはり海の家の焼きそばというものは良い。俯瞰的に見れば、市販されているものばかりを使った高い焼きそばに違いない。しかし、美味しいものは美味しく、更に海を眺めながら食べるのは格別だった。自宅である食べるのと現地で食べるのとでは天と地のほどの差があると断言してもいい。


「んぐっ……そういえばご主人様も出るんですか? コンテストに」


「ええ。私もって言ったでしょう?」


 文美はニコリと笑みを浮かべて言った。清楚な花のような屈託のない笑顔に、詩音は自分の負けと確信した。

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