チェキ
「えっと、つまりレを基音にして三度と五度を鳴らした音がDコードですか?」
「そうなるわ」
新人の詩音がオムライスを作れる訳なく、お客である文美の相手をしていたのだが……会話は師弟関係のソレだろう。ギターを上手くなるために音楽の勉強をしており、それをBGMにオムライスを作っていた綾瀬は思わず顔を綻ばしてしまう。
「お待たせしましただにゃん! ときめきにゃんこオムライスだにゃん!」
「相変わらずきもいわね」
「は? 素手で食べるかしら?」
またバチバチと毒をまき散らす二人。他のお客さんがいないのが、唯一の救いだろう。
「はい、仕上げはムギたんに任せるだにゃん!」
「え? わ、わかりましたむぎ!」
ケチャップ文字は軽く説明を受けていた詩音はオムライスに『だいすき♡』とぎこちなく描いた。これが営業だと分かっていても、相手が文美だと思えば数倍は緊張する。
「なんだか照れるわね」
「さあご主人様! 召し上がってくださいむぎ!」
「いただきます……まあ普通に美味しいわね。ムギちゃんのお陰かしら?」
「作ったのは私なのだけど……」
不服そうにしている綾瀬に、詩音は苦笑いを浮かべることしかできない。
そもそもどうして軋轢が生じているのか? ただ文美がギターを嫌いになったという理由から文化祭ライブを放棄し、綾瀬との約束を破ったとしか分かっていない。
二人からしたら詩音は部外者で、だからこそ仲裁に入ろうとは思えない。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
詩音が二人の関係にもっと踏み込もうかと迷っているうちに、オムライスを食べ終えた文美は口を拭っている。その姿は気品に溢れていた。
「さて、じゃあチェキを撮ろうかしら?」
「畏まりましたにゃん! チョコかムギのどちらがい「ムギちゃんでお願いするわ」――ちっ! 分かったにゃん!」
露骨な舌打ちだ。
「さて、じゃあそこに並んでくれるにゃん?」
もう何も言うまいと悟った詩音は文美を広いスペースへと誘導する。
綾瀬は既にチェキを取り出し、撮影する気満々だ。
「ぽ、ポーズはどうするむぎ?」
「そうね……こうかしら?」
「ひゃっ!」
腰に手を回され、抱き寄せられた詩音は頬を朱色に染めた。文美との距離が近く、少し上を向けば凛々しい彼女の顔があった。動悸が激しく、眩暈がする。
本当ならメイドさんへのお触り行為はNGなのだが、知人ともあって綾瀬は何も言わずに「はい、ちーず!」と、ニコニコとシャッターを切った。
カメラから一枚の写真が現像され、そこに凛々しい文美と拙い詩音が浮かび上がってくる。
「ムギちゃんったらお顔が真っ赤だにゃん!」
「は、初めてだったから緊張したむぎ……」
後は出来た写真に詩音自身が落書きという名のデコレーションをして、漸く一枚の写真が完成した。
それを受け取った文美は満足気に頷き、スリーブに入れて、財布へと保管する。そして、会計を終えると玄関付近で振り返った。その際、綺麗な髪が棚引いて、まるで蝶がダンスをしているように美しい。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
文美は詩音だけでなく、しっかりと綾瀬も見て微笑み、そのまま帰ってしまった。
嵐のような時間だった。残された二人は顔を見合わせて、こう思った。
「デレた……」
文美は綾瀬への当たりが強かったが、本当は友達と思っているのだろう。そう考えてしまうほどに、先ほどの笑みは優しくて、穢れは一切感じなかった。
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