お見舞い

 住所を書かれた紙を頼りに、スマホのマップを使って文美の家へと目指す。

 手からぶら下げられたビニール袋にはコンビニで購入したお土産が入っている。お見舞い故に、内容もそれに沿った物だ。


「えっと……この辺りの筈ですが……」


 場所は意外にも学校から近かった。

 詩音自身の家も学校から北に歩いて二十分くらいの場所にあるが、文美の家は南に歩いて三十分くらいの位置にあった。

 少しだけ見覚えのあるような、ないような、そんな土地を歩き回り、漸く文瓜と書かれた表札を発見した詩音は密かにガッツポーズした。


「こ、此処がご主人様の家……」


 二階建てのアパートだ。豪華でも、みすぼらしくもない、至って平凡な見た目をしている。

 ご主人様呼びが定着している自分にどこか恥ずかしさを覚えながら、文美の家である204号室を目指す。

 淡い赤色の扉。この先に文美が寝込んでいると思うとハラハラとしてしまい、詩音は迷うことなくチャイムを押し――


「あら? 本当に来てくれたの?」


 刹那、扉が開かれて、出てきたのは見るからに病に犯された文美だった。

 もう六月で、それなりに温かい気温だというのに厚着をしていて、他人に風邪を移さないためマスクをしている。が、その上からでも火照っていると分かるほど、のぼせたように顔が赤い。


「ご、ご主人様! 何処に行く気ですか?」


「どこってお腹が空いたから買い物に……」


「だ、駄目ですよ! 私が買ってきましたから。ご主人様は早く寝てください!」


 詩音は文美の手を引いて「おじゃまします」と一言、家の中へ入っていく。

 間取りはシンプルな1DKだ。内装も女性らしさが微塵も感じられない、無機質な寂しさがあったが、今は問題ではない。


「さて、それじゃあお粥を作ります。ご主人様は大人しくしていてください。あ、眠たいなら寝ていてくださいね?」


「待って」


 文美をベッドへ寝かしつけ、詩音は早速キッチンを借りようと立った。が、文美に袖を掴まれて阻害されてしまった。

 今の文美は病人だ。身体が風邪と戦っている故に体温が高く、目がとろんとしていて上目遣い。いつもよりも弱っていて、そんな初めて見る文美に詩音は胸が高鳴るようなときめきを感じていた。親が子供の看病をするような、それに近い感情だ。


「直ぐに出来ますから。ね?」


「……分かったわ」


 やはり人間、いや生物は病に犯されている時、孤独を感じるものだろう。弱っているからこそ、普段よりも臆病になる。

 文美の頭を優しく撫でた詩音はさっさとキッチンへと向かう。お土産として買ってきたお粥セットの出番だ。

 愛情込めて、文美の病が治ることを願って、じっくりと料理する。ただのお粥だと味気ないので卵を入れて、少しだけ鮭を添えておく。

 そうして出来た鮭卵お粥と、水分補給に適したスポーツドリンクをトレイに載せて、文美の元へと運んだ。


「おまたせしました。大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃないわ。お腹が空いて餓死寸前よ」


 この家の冷蔵庫には飲料水くらいしか入っておらず、戸棚にはインスタント食品が積み重なっていた。

 それを思い出した詩音は文美の食生活に危機感を覚える。


「お粥、食べられますか?」


「折角だから食べさせてもらおうかしら」


「へ?」


 俗に言うあーんという奴だろう。

 それを巧まずして分かった詩音の顔は一気に赤くなった。まるで茹蛸のようだろう。


「うぅ……あ、あーん……」


 詩音は分かっている。奴隷である自分に拒否権がないことを……

 しかし、文美の看病をするのは吝かではない。寧ろ、率先してやりたいと考えるほどだ。

 スプーンで掬ったお粥をふーふーと冷まし、文美の口へ運ぶ。


「んっ……美味しいわ」


「良かったです。はい、あーん……」


 二口目以降は慣れていき、ごく自然な感じであーんをした。

 病で寝込んでいる文美。普段の彼女が大人らしい妖艶な女性だとすれば、今の彼女は可憐で華奢な少女だろう。

 ギャップから、どんどん大きくなっていく鼓動に、詩音は落ち着けと脳内で唱え、自制を保つ。

 そうしているうちにお粥は無くなり、最後にストローを付けたドリンクを飲ませて食事が終了した。


「ふぅ……」


 長かった。

 現実では五分くらいの出来事だったが、詩音にとっては一日の疲れに匹敵する戦いだった。身体を火照らした文美が上目遣い、小さな口を開けて、お粥を求める。その姿に何度、胸が高鳴ったことか……

 深呼吸をした詩音は文美の額に手を当てる。まだ熱はあるようで体温を測ってみれば三十七度五分。微熱だろう。

 しかし、来た当初よりも顔色は良くなっており、良い傾向に違いない。


「はい、少しヒヤッとしますよ」


「ん……」


 最後の施しとして買ってきた冷えピタを額に貼っておく。

 これで詩音が出来る看病は終わった。後は文美自身が身体を休めて、ウイルスに勝つだけだ。


「ありがとう詩音……看病に来てくれて助かったわ」


「あはは、住所は教えてくださいね? ご主人様」


「それでも来てくれて嬉しかったわ。おやすみなさい」


 そこで会話は途切れ、文美は寝てしまった。既に心地良さそうな寝息を立てている。

 出掛けようとしていたが限界だったのだろう。詩音は文美が早く良くなるようにと、優しく頭を撫でる。

 暫くして、手持ち無沙汰になり、部屋を見回し始める。なんとも殺風景な部屋だろう。あまり使われていないのか綺麗な机。教科書類が立てられた本棚。女子高生の部屋はもっと女の子らしいものだが、これでは女性か男性かも分からない。


「あ、ギター……」


 そんな部屋に置かれている、唯一の趣味らしい物はアコーティックギターのみ。大きめのボディは空洞になっており、縁をなぞったバインディングは美しく、ネックに使われた黒檀は滑らかだ。張られたコーティング弦は銅色で、そもそも本体の作り込みが凄い。さぞかし高かっただろう。

 詩音はそのギターに見覚えがあり、追想して文美が河原で弾いていた物だと思い出す。

 メーカーなど、そういった知識のない詩音にこのギターの価値は分からない。しかし、埃は積もっておらず、フレットも均等かつ汚れがない。大事にされていると見て分かった。


「なんだかんだご主人様もギターが好きなんだ……」


 そう独りごち、詩音は帰宅しようと立ち上がった。


「あ、あれ?」


 そこで気がついてしまった。

 今、詩音が帰ってしまうと家の鍵を閉める人物がいないという、悲しい事実に……

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