奴隷契約

 そして数日後のお昼休み。

 いつものように友人と昼食摂る事無く、詩音は中庭へと訪れていた。その手には二つのお弁当がぶら下げられ、緊張から肩が上がってしまっている。


(はぁ……緊張するなぁ……)


 今日、文美という先輩にギターの教えを乞うつもりだったのだが、肝心の彼女が見当たらない。

 いくら彼女が美しいとしても人間だ。やはり飽きというものはあり、気まぐれで場所を変えているのだろう。


(うーん……何処にいるんだろう……)


 だからといって今更引き返すのは憚られる。

 詩音としては覚悟を決めた身で、このまま帰ってしまったら友人に甲斐性なしと揶揄われるのは明白なのだ。


 行く宛もなく、ただ廊下を彷徨っていると空き教室で昼食を摂っている女性を見つけた。


 詩音はその女性が文美だと巧まずして分かった。ゼリー状の食べ物とパサパサとした栄養バランス食品を食べている彼女は不健康ったらありゃしないが、陽に照らされた姿は神秘的で見惚れてしまう。


「あ、あの……」


 押しつぶされそうな緊張感の中、詩音は思い切って声を出したが、あまりにもか細かった。

 しかし、しっかりと文美の耳に届き、彼女は振り返って目を丸くした。


「えっと、貴方は確か……」


「わ、私、一年一組の最果詩音と申します! その、文美先輩と話がしたくて!」


「そうなの……前、座ったら?」


「あ、ありがとうございます!」


 文美の前へと着席した詩音はホッと一息ついた。が、これからが本番である。

 いざ本題を切り出そうと前を見据えた時、文美の艶のある髪がさらさらと棚引いた。詩音の鼻腔を擽るのは甘くて優しい、金木犀のような香りだ。


「それで、どうしたの?」


「え、えっと……これ! 文美先輩のために作りました! 良ければ食べてください!」


 弟子にしてください! と言おうとしたのだが、緊張からつい弁当を差し出してしまった。栄養バランス、彩ともに抜かりない、食欲をそそる弁当だ。

 しかし、タイミング的には最悪だっただろう。元々渡すために作ったのは確かだが、これではただ料理を振る舞いに来たようなものだ。


「ありがとう……早速食べさせてもらうわ。……うん、美味しい。特にこの甘い卵焼きは私好みね」


「あ、ありがとうございます……その、自分で言うのもなんですが、知らない人の弁当を食べるのに抵抗はないんですか?」


「あら? 知らない人ではないでしょ? 何度か顔を合わしているじゃない」


「そ、そうですけど……」


 詩音がはっきりと憶えているのは二回だが、同じ学校の生徒なので知らないところで出会っていても可笑しくはないだろう。

 美味しいと感想を述べながら黙々と弁当を食べる文美を見て、嬉しく思った詩音はにへら顔になった。

 が、直ぐに自分の使命を思い出し、真剣な表情へと変わり果てる。


「あ、あの、実は――「無理よ」……へ?」


 本題を切り出す前に断られてしまい、詩音は間抜けな顔を晒した。


「ギター関連でしょう? 偶にいるのよ。ギター目的で近寄ってくる輩が……残念だけど私はギターを辞めたの」


「え? でも、この前弾いて……」


「気まぐれよ。ギターを辞めたとしても絶対に弾かない訳ではないでしょう? それと同じ」


 うんざりとした様子でそう言った文美は冷たくて、思わず詩音は俯いてしまう。まだ一回も頼んでいないのに、もう無理だろうと怖気づいてしまった。


「……私、一か月前くらいにギターを始めて……行き詰っている時に文美先輩のことを知ったんです。でも、ギターを辞めているなんて知りませんでした。ごめんなさい」


 辞めた理由は気になったが、詮索するのは野暮というもの。詩音は素直に謝って、やはり自分だけで頑張ろうと思い、気を取り直して再び前を見据える。前向きな性格は詩音が自負している長所でもあった。

 しかし、それとは裏腹に文美は不機嫌そうに鼻を鳴らしていて、食べ終わった弁当箱を壁に投げつけた。潰れてはいないが、箸といった小物が辺りへ散らばる。


「へ……? 文美先輩……?」


 突然の暴力に、辺りを支配したのは重苦しい空気。そんな中、文美は鋭い目つきで詩音を睨みつける。


「諦めるの?」


 そして、彼女が呟いた言葉に、詩音は更に困惑した。


「え、えっと……」


「だからそんな簡単に諦めていいの? 貴方のギターへの熱意はそこまでなの?」


「あ、諦めません!」


 熱意を問われ、詩音は声を張り上げてやる気を見せた。しかし、戸惑いは隠せていない。

 それも仕方ないだろう。詩音としては文美を慮って身を引いた筈なのに、彼女の発言は道理に反しているのだ。


「なら誠意を見せなさい」


「誠意……お、お金とかですか……?」


「…………」


 何も答えない文美はただ無言の圧力を掛け、それに耐えられない詩音は思考を張り巡らせるが答えはでない。かと言って答えを尋ねるのも、文美の癪に障ってしまうだろう。


「お、お願いします! 私にギターを教えてください! なんでもしますから!」


 その結果、脳内をハテナマークで埋め尽くされた詩音は後先考えずに、そう言ってしまった。なんでもする、が詩音の出した最善の誠意だった。

 言ってしまった以上、取り返しはつかない。


 文美は「なんでも? なんでもいいのね……」と、思慮深そうに俯いてしまい、それがまた詩音の不安を煽った。


「それなら……奴隷にでもなってもらいましょうか……」


「ど、どどど奴隷!?」


 まさかの言葉に、詩音の荒げた声が教室に響く。素っ頓狂な表情だが無理もない反応だ。誰が誠意として奴隷になるなんて思うのだ。妙案にしては斜め上過ぎる。

 詩音の様子を可笑しく思った文美はくすっと微笑を浮かべ、毅然たる態度で続ける。


「まあ正確には奴隷ではないわよ? 私がギターを教えてあげる代わりに、貴方は私の命令に従う。そういう関係って素敵じゃない?」


 どこが素敵なのか? 女神のようだと思っていたが、実際は仮面を被った悪魔だ。と、恐れおののいた詩音は息を呑んだ。

 この世には見惚れてしまうような綺麗な物ほど毒を持っていたりする。薔薇に棘があるように、彼女が毒を吐くのは必然なのか。


「それで、私の奴隷、いや私のモノになるのかしら?」


 しかし、毒だからこそ魅力的に感じてしまう。麻薬や煙草と同じだ。悪い物だからこそ、ついつい手を出してしまう。

 嫣然とした笑みを浮かべる彼女の提案を受け入れるか、否か……雰囲気的に拒否権はないのだろう。彼女の真剣で熱い眼差しは、詩音の心を鷲掴みしている。


「……分かりました。私、文美先輩のモノになります……」


「ふふ、良い子ね……」


 文美は枝のように細い腕を伸ばし、詩音の頬を愛おしそうに撫でた。胡乱気な雰囲気の中で輝く一筋の優しさ。

 それがまた詩音の鼓動を激しくして、身体を火照らす。不思議な魅力に取りつかれてしまい、靡いてしまうのも時間の問題だった。

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