源七
骨屋の営業は二十二時までだ。時間になると鍋の火を落とし、洗い、ごみを捨て、翌日の準備をして、それでようやく私の仕事は終わる。定休日はない。稀に材料の背骨が手に入らず休むことはあるが、それは年に数回の事だ。
私は店から繋がる奥の住居部分に住んでいる。そこは平屋の一軒家で、半分ほどは潰れて草いきれに飲み込まれているが、残っているまともな部分に家具などを置いて住んでいる。ここも電気は通っていないので、夜は月の明かりだけが頼りだ。蝋燭はあったが、源七が火事になるからと火を使う事を許してくれない。
今日は満月から二日目で明るかった。いくらか流れている雲で時折光が遮られるが、朽ちかけた縁側で晩酌をする程度なら困ることはなかった。
私は井戸水で冷やしておいた、それほど冷たくはないビールを飲んでいた。コップを洗うのも面倒なので、瓶から直接飲んでいる。注意しないと泡が口の中に溢れて鼻から吹き出すことになるが、今はもうそんな間抜けなことにはならない。私はビールの合間に簡単に作った茶漬けを食べながら、ぼんやりと空の星を眺めていた。
縁側は庭に面しているが、半月ほど前に草むしりをしたのにもう十センチほど新しい草が伸びている。やはり根を何とかしないとだめだ。しかし掘り返すのは大変だから、結局上に生えている草を適当に千切るだけになる。本当にやらなければならないことが分かっているのに、私の人生はいつもそんな感じだった。
背後で音がした。体重の動く音。足音。近づいてくる。
「骨は置いておく。また、店を頼む」
源七だった。二日前に仕入れに出て、ようやく帰ってきたようだ。数日戻らないことはよくあるが、それでも帰る時は大抵夕方だった。しかし、今日は遅かった。最近は遅くなることが多くなった。どうやって仕入れているのか知らないが、それが難しくなっているのかもしれない。そもそも何の背骨かも知らないが、その仕入れも世間並みに影響を受けているようだ。
世間は戦争で騒がしい。北の方で外国がやり合っているそうだが、そのせいで物価が上がっているそうだ。
もっとも、私はずっとこの家か店かのどちらかにいて外出することはない。骨と一緒に米や野菜や魚などを源七が買ってきてくれるので買い物もしないから、その世間の様子とやらは私には分からない。もう随分長い事、この家と店の外には出ていない。
だがそれでよかった。
ブス。
客は言う。町の者も、私を見ればみんなそう言うだろう。私の顔には傷があるからだ。
額の右上から頬を通り唇の口角の辺りまで、刃物の切り傷が残っている。まっすぐで、引きつれていて、もう治ることはない。不思議と目は見えるままだが、傷はいつまでたっても消えなかった。子供の頃、源七に拾われる少し前に負った傷だ。
そしてその傷の中心、一番深い部分には何らかの毒素が残っていて黒く膿んだようになっている。痛みはないし触っても平気だが、それを見るものはぎょっとするだろう。薄汚い傷の女。ブス。皆がそう言う。そうに違いない。
骨屋に来る得体の知れない客たちでさえそういうのだ。私はこの家と店から外に出る気はなかった。
「何か食う?」
「……いらん。食ってきた」
「そう」
「寝る。明日の昼になったらまた出かける」
「そう」
それだけ言って、源七は店の方へ戻っていった。厨房の隣に小さな休憩室があり、そこが源七の部屋だった。中を見た事はないが、きっと何もないだろう。ひょっとすると布団も枕さえもないかもしれない。あいつが暗い部屋で突っ立ったまま寝ていたって、少しもおかしいと思わない。
私はぬるくなった茶漬けをすする。潰した梅干を箸でお茶と混ぜて、ゆっくりと汁を飲む。塩辛い。まるで体の中を洗われていくかのようだ。でもそんな気がするだけで、体に染みついた臭いは消えない。耳を澄ますと今も音が聞こえるようだ。雨音はとうにやんだが、ぐつぐつと煮える音が今も鼓膜を鳴らしている。ぐつぐつ。いつまでも鳴り続ける。ざわざわ。まるで自分が煮られているかのように感じた。
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