ブス

 源七が仕入れに出てから四日経った。残っていた骨は昨日でなくなり、今日は臨時の休み。何人か客が来て店の前で悪態をついていたが、骨がないのだからしょうがない。

 そしてさらに二日が経ち、店の休みは続いた。悪態をつく客は数を増し、一晩中店の前をうろついて意味の分からない言葉を口走っていた。奇妙で、不気味だった。

 そうこうしているうちに、私の分の食料まで底を尽きかけてきた。米がもうない。干した芋が少しあったが、それも今日でなくなった。味噌は残っているからその辺の野草と一緒に食うことはできたが、とても腹の足しになるものではない。

 源七がこんなに長い間帰ってこないのは初めての事だった。もう一週間にもなる。暦がないので何日たったのか少し怪しいが、七日でも八日でもそれはどうでもいい。問題なのは、何故帰ってこないのかという事だ。

 源七に何かあったのだろうか。というか、そもそも源七はいつもどこであの骨を手に入れてくるのだろうか。犬の骨ではないだろう。もっと大きい生き物だ。背骨は太さが五センチくらいで、長さは一メートル弱ある。鹿や猪と言われればそんなものかも知れない。

 そんな背骨を五十も百も、一体どうやって手に入れているのだろうか。一匹ずつ殺して引っこ抜いているのか? それとも猟師から買い取っているのだろうか。

 それに時間がかかっているのか。それとも、自分で捕まえていて怪我でもしたのだろうか。

 源七が……死んだ? 今までに考えたこともない事だった。

 源七は奇妙な男だった。背が高くて青白い顔をしている。どちらかと言えば整った顔立ちのようにも思うが、顔色の悪さがそれを台無しにしていた。

 私を拾い、今日まで生かしてくれている。源七がいなければ私は……とうの昔にその辺で野垂れ死んでいたことだろう。

 床板が軋む。足音だった。

 源七か? 私は空腹で眠ることも出来ないままに横になっていたが、重い体を何とか引き起こした。

 足音が近づいてくる。しかし、それは源七の足音と調子が違っていた。

「骨を……くれよお……」

 客のようだった。不思議と店の裏手のこの家の方にまで来て文句を垂れる奴はいなかったが、とうとうこっちにまで来たらしい。

 澱んだ風に腐った臭いが混ざる。耐えがたい臭気。この客は、全身が腐ってでもいるのだろうか。

「骨、あるだろう……?」

 切ない、腹の底から絞り出したような声だった。この客は飢えているらしい。

「骨はない……仕入れが終わったらまた店は開く。それまで待て。ここから出ていけ……」

 私は動揺を隠し、口で息をしながら何とか答えた。しかし、客は部屋一つを挟んだ位置で立ち止まり、こちらを見たまま動く様子がなかった。

 月の光が陰る。微かに見えていた客の姿が隠れて見えなくなる。

「あるだろう……そこに。一つ……」

「無いと言っている。一つも骨はない。文句があるのなら、勝手に店の中を――」

「あるだろうが!」

 客の声が轟き、私の体ごと鼓膜が震える。家の梁さえ震えたかのようだった。

 雲が流れ月の光が差す。草だらけの庭に客の影が伸びる。長く、歪に。

 背からは三本余計に腕が生え、その顔は鼻の下で左右に分かれてまるで蝗のようだ。立ち並ぶ牙は暗がりで光を反射し鋭く光っていた。そして目が四つ。ほのかに赤い光を帯びた四つの目が、私を見ていた。

「あるだろう、そこに、ひとつ」

 幼子のようにゆっくりと言葉を区切りながら、その客は言った。客? いや、ただの化け物だ。私はずっと化け物を相手に背骨を売っていたのだ。

 何の背骨を? ここに一つあるという。ここには私一人だけ。つまりは、そういう事なのだろう。

 客が叫んだ。そして床を蹴り、まるで飛ぶように私に向かってくる。

 逃げなければ。しかし、逃げられっこない。もうすぐそこに、赤い目が――。

 不意に、右目が熱くなった。頬も。焼けるように熱く、そして何かが迸る。

「ああぁあああぁぁー!」

 飛び掛かってきた客は私に触れる直前で方向を変え反対側にすっ飛んでいった。

「い、痛い! 痛ぁい! ブス、ブスだ!」

 客は顔を押さえ床でのたうち回る。何本もある腕がめちゃくちゃに周囲を叩き壊していた。

 ブス? 大きなお世話だ、化け物。だがどうも様子がおかしい。私は自分の顔の傷を押さえるが、傷口が異様に熱くなっていた。火傷しそうなほどに。

「ブスなんか、食えるか!」

 バタバタと客は床から転がるように起きて、家の外に走ろうとする。訳が分からないが、逃げ帰ってくれるようだ。

「黒縄血殺」

 闇の中から声が聞こえた。前とも、横ともつかぬ位置から。そして黒い何かが走り、逃げ帰ろうとする客の体を貫いた。

「ああぁあああぁぁー!」

 客は縁側から飛び出ようとしたところで動かなくなった。まるで空中で縫い留められたように、振り上げた腕も地を蹴った足もそのままに動きを止めていた。

 よく見ればその客の体を無数の黒い細いものが貫いていた。細い黒い線。縄のようなものが庭の土や床から生え、客の体の至る所を貫き、上方の梁や天井の板にまで突き刺さっている。

「危なかったな」

 見知らぬ男の声がした。また、周囲のどことも分からない位置から。闇そのものが囁いているかのようだった。

 客の首がねじれ、ブチンと音がした。ころりと首が落ち、しかしそれは新しい黒い縄で貫かれ、床に落ちることはなかった。首の断面からは不思議と血はこぼれず、ただむせかえるような血の臭いが澱んだ空気を更なる悪臭に染めていた。

「骨売りがいると聞いてやってきた。まさか人間の女だとは」

 声はする。しかし、姿は見えなかった。

「……どこに、いるんだ」

 声は男の物のようだった。しかし、どこにもいない。周りを見ても誰の姿もない。すぐ近くから声が聞こえるのに、いまこのおんぼろの部屋にいるのは私だけだった。まさか床の下や天井裏にいるわけでもないだろう。

「……妙だと思ったが、ブスか」

「何……ブスだと……ほっとけ!」

 客と言いこいつと言い、一体何なんだ、こんな時に。化け物に襲われている時にまで、そんなに私の顔の事が気に食わないのか。

「……ああ、いや、そうじゃない。ブスというのは……その顔の毒のことだ。奇妙な技だな。あやかしに襲われると身を守るように噴き出る」

「毒……ブスって……そいういうことだったのか?」

 何人もの客からブスだブスだと言われてきたが、それはこういうことだったのか。だが何故そんなことに? この傷は……源七に拾われる少し前につけられた傷だ。

 私は夜中にぼろい神社の中で寝ていたが、誰かに襲われた。私は無我夢中で逃げたが、そいつはどこまでも追いかけてきた。竹林に逃げ込んだが方向が分からなくなって……そして悲鳴を聞いた。男の物だったような気がする。そしてその直後に私は顔を斬られたのだ。

 近くには誰もいなかった。私を追いかけてきた男がやったわけではない。奇妙な、かまいたちのような切り傷が私の顔にできた。そしてそれは黒く膿み、今日にいたるまで消えてはいない。

「毒血の斬り跡だな。お前は戦いに巻き込まれたのだろう。その程度の傷で済んだのは幸いだったのか……それとも死んでいた方が楽だったかもな」

「毒血……戦いに巻き込まれたって……お前は一体何なんだ! この……この化け物は何なんだ! 答えろ!」

「毒血の使い手は少ない。宝善に九恩……あとは源七」

「源七? 源七を知っているのか?」

「それは……こちらの台詞だな。源七はもう五年も前に死んだはずだ」

 五年前……私が源七に拾われた頃だ。

「……源七は死んでない。ずっとここにいる……骨を仕入れてきて、私がそれを売ってた……」

 声は闇の中で沈黙し、それは長く続いた。数分が過ぎる間、私はただ息を飲んで答えを待っていた。源七は……一体何者なんだ? その事を知りたかった。

「合点が言った。奴もあがりを迎えたのだな。そしてさもしくもあやかしくりやばんとは……そうまでして生きたかったのか。あさましい……」

「源七は……一体何者なんだ!」

 私は答えを待った。しかし何分経っても、一時間経っても、答えはなかった。あの闇の中の声はどこかに消えてしまったようだった。それに目を離した覚えはないのに、死んだ客の姿もいつしか消えていた。

 まるで何もかもが悪い夢のようだった。ただ家は壊れていて、悪臭の残り香がまだ漂っていた。

 顔の傷に触れるとまだ熱を帯びていた。傷がとじかけた時のように、微かに血が滲んでいた。

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