第6話
『君のせいではない』と言う僕に、なつみは「でも・・・」と言ったまま言葉に詰まり、泣きそうなのか、嬉しそうなのか、その瞳には涙さえ浮かべた複雑な表情で僕を見詰め返す。
僕にはそれがどんな意味なのか、全く分かってはいないのだけれど、僕に対して否定的だったり悪い感情だったりを持っていないことだけは、何となく理解した。
理解はしたが、今この状況を、七瀬なつみを、どう取り扱えばいいのか、やっぱり全く分からない。
強く抱きしめて、
――愛してるよ
って、囁いてみる?
・・・無理だっ
むり ムリ 無理 無ぅー理ぃー
『愛』が何なのかさえ理解していない僕なのだっ。
それをどうして、つい昨日まで片思いだった相手に言えようものか。
それに、『そういうこと』を『致した』とはいえ、まだ心の何処かに引っ掛かることがあるのは、自分自身がよーく分かっている。
「あ、あのさ、ひ、ひとつ、訊きたかったことがあるんだけど、良いかな?」
僕は勇気を振り絞って、なつみに問い掛けてみた。
なのに、小さく頷くなつみが、更に瞳をウルウルさせながら上目遣いに僕を見るものだから、僕はつい「あ、いや、やっぱいいや・・・」、そう口走ってしまう。
今訊くべきことでは無い、訊いたが最後、色々とぶち壊してしまいそうな気がする、と、瞬間的に思ったから。
そして、答えを聞くのが怖いのだ。単純に。
でも、既に遅かった。
「だめ。ちゃんと言って。何なのか、ちゃんと訊いて。お願い・・・」
いやいや、僕が今『訊きたい』って言ったことは多分、ここまでの甘―い雰囲気を台無しにするよっっ、良いのかい? 本当に?
でもね、僕は恐らく、いや間違いなく、そこまで分かっていながら、君の思うような気の利いた質問に咄嗟に切り替えるなんてことは出来ないのだよ。
というより、機転を利かせた方向転換が出来るほど、僕はそんな恋愛経験(駆け引きの腕)は皆無であって、『ちゃんと訊いて』って言われると、思ったことをそのまんま訊いちゃうしかないんだけど、ホントにそれで・・・?
「あ、うん。じゃあ・・・。あのさ、もう随分前のことなんだけど、高三のクリスマス・・・いや、クリスマスイブ・・・、いや、クリスマスイブの前の日・・・、君が一緒に居たのって・・・」
ほんっと、自分が嫌になる。
どんだけ小っちゃい男なんだよっっっ、てさ。
如何にもたどたどしく、バカみたいな質問をした後、僕が恐る恐るなつみの表情を窺うと、一瞬なつみは眉間に皺を寄せたように見えた。
ほら、やっぱり怒ってる・・・。『それって、今質問するようなこと?』って表情だ。
「あ、いや、答えたくなかったら、答えなくていいよ。ごめん、変なこと訊いて・・・」
大慌てで前言撤回する僕は、困って眉を八の字にするしかない。
するとどうだろう、なつみは途端に破顔して、クスクスと笑い出すではないかっ。
え?どういうこと?
そして、再び既視感が僕を襲う。
僕の口は、なつみの唇で塞がれた。
カーンッ。
第三ラウンドのゴングが鳴り響いた・・・。
◇
結果から申し上げると・・・
第三ラウンドのゴングと同時に、勢い勇んで青コーナーから飛び出した迄は良かったのだが・・・
駄目・・・でした・・・。
カンカンカンカンッ カーンッッッ
試合終了を告げる、けたたましいゴングの音・・・。
T K O(テ ク ニ カ ル ノ ッ ク ア ウ ト)・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ごめん・・・」
貴教くんが俯き加減に小さく謝る。
「そんなに、落ち込まないで・・・。私は・・・大丈夫だから・・・」
私はそうは言ってみたものの、そんな言葉で良かったのかしら? と不安になった。
何かのコラムで読んだことがある。
男の人って、心と身体が一致しないんだとかなんだとか・・・。
そして、不用意な言葉が、彼を更に傷付けるんだって、書いてあったと思うんだけど、それがどんな言葉だったのか、嗚呼、ちゃんと読んでおけば良かった・・・。
今私が言った言葉は、正解? 不正解?
ホッとした? それとも・・・?
私だって、こんな風に結ばれるなんて思ってもいなかった。
それは多分、貴教くんだって同じなんだと思う。
なんか、私から誘ったみたいで、『軽い女』って思われちゃったりしてないかしら?
・・・ううん、そんなことない。だって、私も・・・、初めてだったんだし、ちゃんとさっき、そう言ったし・・・
そんなことより、貴教くん、落ち込んじゃったりしてないかな?
やっぱり、もうひと言、何か言わなきゃダメかしら・・・。
「ほら、でも、さっき、一回は上手くいったじゃない、ね?」
嗚呼、私は何を言っているのっ
そういうことじゃないでしょっ?
だめ、だめ、私ってば、もう・・・。言ってる自分が恥ずかしいっ。
いえ、私のことはどうでもイイ。それより、貴教くんっ・・・
貴方のその表情はどう読めばいいの?
魂が抜けてしまったみたいな、それでいて少し寂しそうな、そのどこか遠くを見詰めるような視線って・・・。
つづく
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