第5話
「ねぇ、なに考えてるの?」
なつみの声に我に返った僕は、まだ僕の胸の上に置かれたなつみの掌のぬくもりを感じながら、少し間をおいて、正直に答えた。
「ああ、少し昔のことを思い出していたよ」
「そっか・・・」
そう言って、なつみはまた僕の胸の傷をなぞるように指を動かす。
「なんか、ごめんね・・・。私のせいでこんな傷、つくらせちゃって・・・」
「いや、そんな・・・君のせいだなんて・・・」
実のところ、僕の記憶は
気が付いたら病院のベッドの上で、身体中の至るところがヒリヒリと痛くて、入院中は毎日『イタイ、痛い』と泣いてばかりいた記憶がある。
そして、誰かを突き飛ばした掌の感覚、迫りくる真っ黒い大型犬の映像と、目の前に真っ赤な炎、顔の右半分に感じた『一瞬にして焼ける』ような痛み、そんな断片的な記憶があるだけで、どうして自分が大火傷を負うことになったかの経緯は、ハッキリとは覚えていない。
実際にどれくらいの期間入院していたかも分からないし(後に親から聞いた話では、二ヶ月以上の入院だったらしいが)、『痛かった』こと以外の感想も実感も持ち合わせていないのが正直なところだ。
ただ、皮膚の移植手術が終わって暫く経ってからだと思うのだが、七瀬なつみが、彼女の母親と共に毎日のように僕の病室を訪れてくれていたような気がする。(病室のベッドの上で包帯でグルグル巻きになった僕と、その傍らに立つなつみの写真が、僕の古いアルバムには保存されていた)
これも後になってから親から聞いた話だが、どうやら僕は、なつみを庇って火の中に飛び込んだらしい。だが僕は覚えていない。
親から聞いた話はこうだ。
僕たちがタンポポ組だった六月初めの土曜日、僕となつみは近所の河原の草むらで、いつものように虫捕りをしていたらしい(まだ彼女と出会って二ヶ月くらいのものだったのだけれど、僕はもう既に、七瀬なつみに恋をしていた、と思う)。
結構な広さのあるその河原は、夏になると若者、家族連れなんかがバーベキューをするような場所で、その日も土曜日ということもあり、行楽客、散歩をする人たちと、そこそこに人々が集まっていたそうだ。
僕となつみは、ほんの近所のいつもの遊び場だったことで、親たちの付き添いもなく、二人で虫捕りに興じていたらしい。
そこで事件は起きた。
とある散歩中の大型犬のリードが外れ、その犬に襲われそうになった、なつみ。
それを庇って、なつみを突き飛ばし、そして場所が悪かった。そのままバランスを崩した僕は、バーベキュー客が河原の石を組んで作ったグリルの中に、顔から突っ込んで、胸を焼けた石に押し付けてしまったらしい。
そして、大火傷を負った僕は、救急車で病院に搬送された・・・、と。
しかし、僕の中には、犬に襲われそうになったなつみの姿や、僕が突き飛ばしたのがなつみだったという記憶は全くないのだ。
なつみと虫捕りをして、僕が捕まえた蝶々を自慢げになつみに見せ、なつみが『すごいね』『きれいだね』、そう言っていた記憶があるにはに在るのだが、恐らくその日以前にも二人で虫捕り遊びをしていた筈で、そのことがその日の記憶とは限らない、そう思っていた。
だから、僕にとっては、『なつみを
寧ろ父親からは『貴教、このことは絶対に
子どもながらに分かっていた。
大好きな女の子に、『きみのせいで、ぼくはこうなった』なんて、そんな恥ずかしいこと、言えるはずがない、言って良い訳がない。当たり前だ。
僕の母親が、見舞に来たなつみの母親に『どうか、お気になさらずに。それから、なつみちゃんに、このことはこれ以上お話にならないで下さいね』、そういう会話をしていたのも何となく覚えている。
だから、僕は正直、誓って、この傷が『七瀬なつみのせい』だなんて思ったことは、これまでに一度も無いのだ。
だから、こんな異形な僕と居ることで、一緒に揶揄われてしまう七瀬なつみに申し訳なく、自分が近くに居ちゃいけないと思った。
もっと言えば・・・、
いつかそのうち、僕と居ることで揶揄われることに疲れた彼女が、僕のことを嫌いになってしまうことが怖かった。
ただそれだけのことだ。
それ以上でも、それ以下でもない、自分自身で決めたこと。
彼女と距離を取ること、それが僕が出した結論だった。
それでも、高校を卒業する頃、もう僕は限界だった。
だから、七瀬なつみが県外の有名私立女子大学に進学したことで、物理的に彼女と離れることが出来た僕は、寂しく辛い気持ちを抱えながらも、心の何処かでは『時間が忘れさせてくれるさ』、そんな風に思っていた。
・・・・・・・・・・・・・。
ところが、そういったことにはならず・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
切なる想いは消えぬまま、五年の月日が過ぎ・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
どういう訳だか、何がどうしてどうなったのだか、今現在、僕の腕枕の中に、七瀬なつみをお迎えしているのだった・・・。
◇
つづく
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