第2話 自己犠牲
三度、同じことが起こるとさすがに普通ではいられなくなる。
『二度あることは三度ある』。
じゃあ、四度目は?
無いと誰かが保証してくれるんだろうか?
どこかでまた人が死ぬかもしれない。
今まで、一人、二人、三人死んだ。
そしてそのいずれの時も僕は現場に居合わせ、命を失くすことはなかった。
単に運が良かったのかもしれない。
でもそれは憶測に過ぎない。
「最近、笑わないねぇ」
八十歳を超える施設の利用者さんの車椅子を押す。ハッとする。
「すみません、陰気だと気分悪くなりますよね」
「そうじゃないのよ、いつも良くしてくれてるから、あなたには笑っててほしいじゃない。アタシらにはもう、なにもしてあげられないんだしさ」
そんなことないです、と恐縮する。
でもそういう励ましが僕を支えてくれる。
まだ、生きていることに意味があると。
老婦人は車椅子を押す僕の手を軽く叩いて「長生きするんだよ。アタシもアタシなんかが長生きしてもなんの意味もないって思う時があるんだよ。でもさ、自分が死んだら泣いてくれる人がいるうちは、死んじゃいけないよ。アンタに生きててほしい人がいるってことなんだからさ」と語った。
利用者さんはみんな高齢なので、翌日行くと前日笑っていた方が突然亡くなっていることもある。
でもそんな利用者さんたちが抱えている想いを直接聞けたことで少し、心が軽くなった気がした。
生きていていいから、たぶん、生きている。
◆◆◆
仕事帰り、いつものバスに乗る。
いつも通りの混み具合。いつもと同じところで揺れる。
そんな当たり前の日常が、うれしい。
そんな、当たり前の⋯⋯。
バスは突然スピードを上げていつもと違う道を走る。
「お降りの方は⋯⋯」という例のアナウンスはない。
猛然と走り出したバスは高速道路に乗り込んだ。いよいよおかしい。
子供連れの母親が、ギュッと3歳くらいの子を抱き寄せる。泣き始めた子供を母親はなだめる。
バスのスピードが一定になり、高速道路のスピードに乗る。運転席の後ろにいた男が立ち上がった。
「このバスは俺がハイジャックした」
開いた口が塞がらなかった。
こんな未来を想像しただろうか?
いや、僕はみんなが生きていける未来を望んでいるのに、どうして運命は逆方向、逆方向へと進むんだろう?
もう誰にも死んでほしくない、それが本音だ。
「次のパーキングで大体のヤツは降ろす。うるさいのは適わない。5人残れ。人質が必要だ」
バスはもう警察に包囲されていた。
でも犯人は投降する気はないらしい。
人質をとって、自分のイデオロギーとかいう大層なものを振りかざしたいらしい。
犯人は残す人物を指定していった。
「そこのOL。そうだお前だ。お前は残れ」
立ち上がりかけていた彼女は気丈に、なんでもないことのように腰を下ろした。
「そっちの学生、それから後ろの席の恰幅のいいオッサンと、買い物袋を持ったオバサン、あとは⋯⋯」
「僕が残ります」
ずっと握っていた吊り輪を離して、近くの席に座る。
犯人の顔が曇る。
「おい、希望調査してるわけじゃねぇんだ」
「⋯⋯僕が残ります」
「勝算でもあるのか? 警察の犬か?」
「いいえ、ただの介護職員です」
ケッと犯人は面白くなさそうな声を出した。
窓の外はカーテンで見えない。人質は5人。
バスの運転手も解放された。グルだった可能性もある。
両腕は背中に回して、ガムテープで巻かれた。
スマホも回収される。
学生が動画をSNSに流していたことが判明して、気の毒に腹を何度も蹴られて咳き込んだ。なんとかしてあげようもない。
勝算なんてない。
ただもし僕と一緒にいる人が死ぬのだとしたら。
――今回は僕も死のう。
警察は投降を呼びかける。
犯人はそれに応じない。
警察が盾の輪を狭める度に、女性を無理に立たせて首筋にナイフを当てる。女性は犯人から顔を背けた。
「殺すなら僕からにしてくれよ!」
溜まりかねて僕は叫んだ。うるせぇ、と僕の鳩尾に蹴りが入る。強い衝撃に意識が怪しくなる。
女性をまだ抱えている犯人に全部の力を使って、その足元にタックルをかける。
「隙をついて逃げるんだ!」
ズパン、という聞き慣れない音が聴こえる。
窓から逃げ出そうとしたオジサンは打たれて窓の外に倒れ込むように落ちていった。
バスの中に緊張が走る。犯人は銃を持っている。
警察が「突入!」と叫ぶ。
犯人は躊躇いなく次々に人質を撃っていく。
機動隊員がその犯人を確保するのが目の端に見えた⋯⋯。
ああ、打たれた肩が痛い。
今度は僕も死ぬのかもしれない。
今までお世話になった人たちに、ある意味犠牲にしてしまった人たちに申し訳なかったと、それだけ伝えたい。
意識が遠のく⋯⋯。
死ぬってこういうことなのか⋯⋯。
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