第31話「晴れ間」
わんわんと泣く藤坂を見て、俺はちょっと戸惑っていた。目の前で女の子が泣いたことなんて、俺の人生で一度もない。
だからどういう反応をすればいいのか見当もつかなかった。
それに、あの藤坂がこんなに大泣きするとも思わなかった。
今まで我慢していた分の涙を、今ここで流しているんだろう。そう思うと、彼女がどれだけ無理をしていたのか察しがつく。
あたふたする俺の手を、藤坂がギュッと握り締めた。
ちょっとドギマギしてしまうが、でも藤坂がそうしたいならと俺も握られた手に力を少しこめた。
彼女の手は、改めて思うと温かい。
それって、当然のことなんだけど、ちょっと驚きだった。
「センパイ、自分もヒヤヒヤしたんスからね!」
ロールが俺に怒りをぶつけつつ、俺たちの方へと寄ってきた。
やっぱりというか、頬をぷっくりと膨らませている。
「ごめん。ちょっと手違いがあってさ、でも結果オーライ……だよな?」
「いや、自分に聞かないで欲しいッスけど! でも、そうッスねぇ。結果オーライッス!」
ニコッと笑ってロールは言った。
「というか、マイちゃん泣かせたんスか?」
「いや、誤解だからな」
予め、ロールが次に言うセリフを予期した俺は誰よりも早く否定した。泣かした~、泣かした~! みたいにからかわれる可能性もゼロじゃなかったから。(流石のロールでも空気は読むと思うけど)
「今さら、こんなことを言っても遅いかもしれないが……」
空いた手で涙を拭って、藤坂はゆっくりと話し始めた。
そんな彼女を見ながら、俺は相づちを打つ。
彼女の次の言葉を、今の俺なら永遠に待てる気さえした。
「本当にごめんなさい。独りよがりな行動ばかりだった。本当に、本当にごめんなさい……」
そのまま、藤坂は続ける。
「それで、君たちが許してくれるなら……今度こそ、その。と、とも、友達に……なって欲しいんだけど……どうだろうか?」
その言葉を聞いて、俺とロールは顔を見合わせる。そして、とびきりの笑顔を作って、声を揃えて返事をする。
「もう、友達だろ?」
「もう、友達ッスよ!」
「……! 本当に、二人は優しいな。そうか、素直に自分の気持ちを伝えるっていうのはこんなにも気持ちがいいものだったんだ」
それは本当にそうだと思い知った。
今まで、自分の中で押し込めていた思いを伝えることって、本当に気持ちがいい。
「二人が私を信じてくれたように、私も君を信じてみたいと思う。だって、こんな私をまだ助けようとしてくれたんだから」
「こんな、は余計だ」
「……そうだな」
どうやら、藤坂も分かってくれたらしい。よかった。
「違う! そんなのはハッピーエンドじゃないわ! だって、王子様と結婚して初めて幸せになるのよ! 夢が叶っていないのに、幸せになんてなれるはずがないじゃない!」
空高くでメアリー・スーが叫んだ。
どうして、彼女はああまで夢を叶えることに固執するんだろうか。それは、きっと彼女にだって何かがあったんだろう。でも、今の俺には関係のない話だ。
「いいの? 貴方! どうせ絶望することになるのよ? 夢を叶えていけばよかったって! 絶対そうやって後悔する!」
「……そうかもしれないな。自分から頼んでおいて、本当に申し訳ないが今の私は夢よりも現実の方が好きになってしまった。立ち向かいたいって、思ったんだ」
「そんな……バカみたい」
「それに、未来の私は後悔してもきっと支えてくれる誰かが側にいてくれるはずだ。だから、絶望を恐れるのは絶望してからでも遅くはないと、今は思うんだ」
「……嘘よ、そんな……また夢が破れるっていうの? いいわ、いいわよ! 今日のところはさようなら。でも、いつか絶対! 後悔させてやるんだから!」
そんな負け惜しみを残してメアリー・スーは姿を消した。
多分、彼女とはまた対峙することになるんだろう。でも、今はそんなことはどうでもよかった。
「そうッスそうッス。自分たちが、マイちゃんを支えるッスよ」
「そうだな。俺にできることなら、いくらでも支えられるぞ」
胸を張るロール。俺も、彼女に習って胸を張った。
今くらいは、ちょっぴり自信過剰になってもいいだろう? だから、普段の自分じゃ言えないような言葉だって言う。
紆余曲折あったけれど、なんとかなった。
本当によかった、藤坂が踏みとどまってくれて。もし、ここから飛び降りていたら……。そんな風に考え、俺は地面を覗き込んだ。
予想よりもずっとずっと高い。
そんな場所に、安全柵もなしに立っている現状に身震いしてしまう。
さっきは勢いでなんとかなったが、冷静になって考えれば……自分はなんてバカなマネをしたんだ。そりゃ藤坂だって怒る。
俺は震える足で金網をのぼりつつ、さっさと安全な場所に戻った。
藤坂は、俺とは違って軽やかに金網を越えて着地する。
俺たち二人とも、びっくりするくらいずぶ濡れで、それが少しおかしかった。
「ありがとう。それに、改めて、本当に――」
「もう! さっきので自分は許してるッス! だから、これ以上謝らないで欲しいッスね」
「ああ、そうだな」
「……でも、ケーキも飾り付けも」
「そんなのは、いくらでも作り直せるッス! 破られても、踏んづけられても大丈夫ッス。でも、マイちゃんは失ったら二度と戻らないんですから、今はマイちゃんの無事を祝いたいッスね」
俺も頷いた。
珍しくどこまでもロールと意見があう。本当に、彼女の言う通り。
ケーキも飾り付けも滅茶苦茶にされて残念だったけれど、それよりも大切なものなんてこの世にはたくさんある。
だったら、その大切なものの無事を今は喜びたい。
「……本当に、優しいな」
「友達として、とーぜんッス!」
「友達……友達か……」
その言葉を何度も繰り返す。
まるで、お気に入りの宝物を何度も見る子供みたいに、大切そうに大事そうに藤坂はその単語を反芻した。
「さてと、じゃあ一旦屋流の店に戻らないか? 斬想刀も取りに戻らなきゃだろ?」
俺は手を叩いて、そう提案した。
いつまでも屋上に溜まっていれば、いつ先生にバレて怒られるかも分からないし。さっさと屋流のところに戻った方が賢明だろう。
俺たちは、ずぶ濡れのまま店を目指した。
もう、雨は降っていない。
さんさんと輝く太陽が、黒い雲の間から顔を出していた。
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