第30話「俺はその鉄仮面を引き剥がす」

「もし、その場から一歩でも前に進み、私の邪魔をするというのなら……私は容赦はしない。今度こそ、君たちを手にかけてでも私は進むッ!」


 藤坂の声が、屋上で響く。

 どこか辛そうな声色で、彼女は叫んだ。思えば、藤坂にそう言われるのは初めてじゃない。

 ロールを守ろうとした時だって、藤坂は俺にそんなことを言っていた。でも、あの時と違って俺は前に踏み出す勇気を明確に持っている。

 その点に関しては胸を張れるだろう。


「そうよ、惨めな貴方たち! 友達が夢を叶えようとしているのに、それを引き留めようだなんて、そんなの友達じゃないわ! ただの邪魔者よ!」


 メアリー・スーの怒声が聞こえてくる。

 もし、彼女の吐く言葉が正しいのだとして、俺が一歩進むことで藤坂の友達じゃなくなるっていうんなら。

 俺は。


「友達が、目の前で消えるなんて言ってるのにそれを笑顔で見送る奴が友達なら、俺は友達じゃなくていい!」


 一歩、踏み出した。

 水が飛び跳ねる。びちゃ、という音が屋上に響く。

 俺は明確な意思を持って、一歩目を踏み出した。


「そうッス! センパイの言う通りッス!」


 俺に続いて、ロールも一歩前進。

 藤坂は俺たちを見据えて、ため息を吐いた。もしかすると、本当にここで彼女を引き留めることは迷惑なのかもしれない。


「そんなの、自分勝手だわ! ただの自己満足じゃない!」


 メアリー・スーの批難が俺に突き刺さる。

 正論かもしれない。

 結局、藤坂の邪魔をしているだけなのかもしれない。


 ……でも、それでいいじゃないか。

 自己満足でも、何だろうと。


「そうだな。正直、これは俺たちのワガママだよ。でも、まだ藤坂には消えて欲しくないんだ! そうだろ? ロール」

「そうッスね。やっぱり、自分はマイちゃんとたくさんやりたいことがあるッス。人間に戻ってから、楽しみいっぱいッス」

「まだ、そんなことを」


 自分勝手でも、自己満足でも、俺は彼女を止めてみせる。

 俺が藤坂を救うんじゃない。

 俺が救われるために藤坂を止めなきゃいけないんだ。褒められる動機じゃない。多分、見方を変えれば俺の方がクズだ。

 でも、それでもこれは見過ごせないし見過ごしたくない。


「そうか、なら本当に容赦はしない」


 藤坂が、わずかに腰を落とし、構えた。

 それが彼女にとっての臨戦態勢であることは容易に理解できる。

 でも、俺は構わず彼女に歩み寄った。


「どうしてこんなことをしているんだ、藤坂」


 俺は聞いた。

 理由を。

 藤坂の真意が知りたかった。理由を知れば、説得できるかもしれない。

 正直、藤坂を力づくでとめるなんて無理だ。

 彼女が本気になれば、俺なんて足元に及ばない。本気で屋上から飛び降りるつもりならば、もう俺は何をしたって間に合わない。

 けれど、そうではなかった。

 現に彼女は俺の前で生きている。俺と会話をしている。

 その事実が、俺にわずかな希望を見せていた。

 これは、希望的観測だけど――藤坂は迷っているんじゃないだろうか。


「君には関係ないと、言っているだろう」

「関係なくても、聞いていいだろう?」

「……」


 言葉を交えながら、俺はわずかに前進する。

 藤坂は観念したように、話し始めた。


「私はね。ずっと、普通の人間になりたかったんだ。私は、特別すぎる――その特別が理由となって孤独が私を蝕んでいく。そんなのは、もう疲れたんだ」


 そうか。

 そりゃそうだよな。

 平気なわけがない。四六時中感情を見せないなんてことができるはずがない。

 でも、それが藤坂ならできるなんてとんでもない思い込みを俺はしてしまっていた。

 俺だけじゃない。

 みんな、勘違いしていた。


「かもしれないな。藤坂は俺なんかよりずっと凄い奴で、だから俺には分からないけど、でも辛かったんだろう」

「――知った風な口を利かないで貰えるかな? 不愉快だ」

「藤坂がそういうんなら、俺だって考えがあるぞ」


 力強く、地面を踏み締める。

 俺は藤坂を視界に収める。雨と黒髪でその表情を見ることはできない。

 でも、それでも俺はこの言葉が藤坂に届くと信じて宣う。


「藤坂だって、俺みたいな凡人と同じだってことを証明してやる!」


 手を伸ばせば、手が届きそうな間合いまでやって来て、俺は宣言した。

 そんな俺に呼応するように、藤坂から威圧感というものを感じ取ってしまう。初めて向かい合った時よりも強い圧。

 素人の俺ですら、ハッキリと分かってしまう。


「バカは痛い目を見ないと学習しないらしいからな」

「聞き分けが悪い方なんだ」

「だろうね」


 さらに距離を詰めれば、瞬間俺の視界は反転した。

 やっぱり、藤坂の動きになんて対応できない。そもそも俺の動体視力じゃ彼女の動きに追いつけない。

 びしょ濡れの地面に叩きつけられたのに、どうしてか衝撃は少なかった。

 跳ねる水。

 見上げれば、藤坂の綺麗な顔が見える。

 またも、俺の視界は反転する。

 こんなにも人って投げられるものなんだ。

 なんて、呑気な考えが頭を過る。


 数度俺を投げて、彼女は手を離した。そして様子を窺うように俺を見下す。

 俺はゆっくりと立ち上がる。

 刹那、今度は足を掬われ地面に転がされた。

 痛みは少ない。

 やっぱり、藤坂は俺に気を遣っている。

 思い返してみれば、屋流の店でもソファに向かって俺を投げ飛ばしていた。それだけで、藤坂が俺の身体を気遣っていることは察すことはできる。

 でも、俺は気がつかなかった。


「無抵抗……君は、何がしたいんだ?」


 地面を転がる俺に、藤坂はそう言った。

 抵抗なんて、する気にもなれない。それは、俺が抵抗したところで藤坂に叶わないという意味もあるが……それよりも。


「だって藤坂、手加減してるだろ? それに、無抵抗の凡人一人倒せないようじゃ、やっぱり藤坂だって凡人だ」


 俺はできるだけ、勝ち誇ったように告げた。

 それが余計だったのか、俺の腹に藤坂の足が刺さる。今までのやり取りが子供の喧嘩に思えてしまうくらい、その蹴りは重かった。

 俺の内臓を揺らし、俺の身体を吹き飛ばして、俺は地面を転がっていく。

 痛い。

 刃物で貫かれたみたいに、痛かった。


「分かっただろう? もうやめてくれ」


 焼けるような痛みに、俺はうまく言葉を発することができなかった。そんな俺の様子を察してか、ロールが変わりに反論する。


「マイちゃんの分からず屋ッス! こんなに、自分とセンパイが引き留めてるのにどうして分かってくれないんスか!」


 ロールの言葉は、やっぱり真っ直ぐだ。

 俺も、そういうところを見習わないといけない。変にかっこつけたり、恥ずかしがったりして素直な気持ちを伝えられないことが多いから。


「だからだ!」

「え?」


 その返答は予想外だった。

 俺たちが引き留めるから……?


「私といると、みんな私を嫌いになる。最終的に私から離れていく。だから、私は最初から誰も近づけなかった! それなのに、君たちは私に近づいてくれた。もし、君たちにまで嫌われたら……そう考えるだけで、恐ろしくて震えてしまう」

「マイちゃん……」


 それから、藤坂はせきを切ったように語り始める。


「亜月君が私を庇ってくれようとした時は、本当はとても嬉しかったんだ。誰にも、そんな素振りを見せられたこともなかったから。ロール君に、舞と呼ばれて微笑みそうになった。誰にも、名前で呼ばれたことなんてなかったから」


 涙を流して、彼女は言う。


「ケーキは美味しかった。飾り付けは綺麗だった。人生で初めて、面と向かって誕生日を祝って貰えて泣きそうだった。と、友達って、こんな感じなんだって思った」

「なら――」

「だから、ダメなんだ!」


 ロールの声を遮って、藤坂は叫ぶ。


「そんな嬉しさが募れば募るほど、終わりが怖い。嫌われてしまう最後が怖いんだ。辛いんだ、心が張り裂けそうになる。今まで、ずっと必死に押し込めていた私の心が、痛むんだ。頼むから――」


 藤坂は、俺たちに縋るように、声を張り上げる。


「私を放っておいてくれ。もう、楽にさせてくれ……。もう一度、言ってくれ。お前は最低な奴だって! もう友達でも、何でもないって! そうすれば、私は何の未練もなく、夢を叶えることができるから」


 藤坂の話を聞いて、俺は深呼吸をした。

 まだ、彼女に蹴られた腹が痛む。でも、話すことはできそうだ。

 俺はゆっくりと身体を起こす。

 藤坂が本心を語ってくれた。

 なら、俺だって話さないとダメだよな。


「俺もさ」


 藤坂を見据えて、ため息を吐くみたいに俺は言った。

 ふわりと、言葉が口から零れる。


「正直、羨ましかった。藤坂のことがさ、藤坂が俺を羨ましがってるみたいに」


 ぽつり、ぽつりと本心を語る。


「最初から、才能のある奴、ない奴で分けられて、それを覆すことはできないって決めつけてさ。バカみたいにただ、藤坂を見上げて凄いなぁ。羨ましいなぁ。ってずっと思ってたんだ。それこそ、映画とか、漫画とかのヒーローに憧れる子供みたく」

「憧れられるような人間じゃない」


 藤坂は、吐き捨てるように返事をする。


「いつでも涼しい顔して、どんな時だって完璧。それが俺の中での藤坂舞だった」


 でも、実際は違った。


「でもさ、本当は全然完璧じゃなかった。気が遠くなるくらいの努力があって、今がある」

「……」


 俺は藤坂の腕を思い出した。

 今でこそ無傷で怪物さえ倒してしまうが、最初からそうだったわけじゃない。酷い傷を負って、それでも諦めずにひたすらに戦ったから今があるんだ。


「これを言うと、最低だって思われるかもしれないけど。本心を聞いて、安心したんだ。情けないことに、それでやっと確信が持てた」


 俺は大きく息を吸い込んで、改めて目の前の少女を見据えた。

 鉄仮面?

 完璧?

 やっぱり違った。今やっと、この愚かな間違いをハッキリと否定できる。

 俺の目の前にいる少女は、鉄仮面でも完璧超人でも、バケモノ狩りでもない。

 藤坂舞だ。

 それだけの事実に気がつくまで、俺は一体どれほどの回り道をしてしまったんだろうか。つくづく、自分の愚かさがいやになる。


「藤坂、ごめん! 俺、誤解してた。自分と藤坂の違いを比べすぎて、目が曇ってた!」


 俺はそう言って頭を下げた。

 でも、それだけで俺の言いたいことは終わらない。

 畳みかけるように、俺は頭を下げたまま藤坂に思いを伝える。


「俺にとって、今の藤坂こそが普通だ。不器用で、パッと見は冷たくて、凄くて、でも本当は誰よりも優しい! それが藤坂だ。そんな藤坂が、俺は……その、好き、なんだ!」


 なんだか。思いに任せて口を動かしたら、告白みたいになってしまった。

 友達として好きって意味で、まぁ、ちゃんと伝わってるだろう。


「す……好き?」


 俺が顔を上げれば、藤坂は目に見えて動揺していた。

 でも、頑固な彼女のことだ。まだ諦めていないんだろう。


「俺とロールが、嫌いになるわけない。それでも、まだ言うのか?」

「だって、私はあんな酷いことをしたんだ。今さら……」

「だよな」


 首を左右に振って、藤坂はまだそんなことを言う。

 分かってた。

 だから、俺は駆け出した。

 俺の動きを見て、身構える藤坂。でも、俺の狙いは藤坂じゃない。

 そのまま、彼女を置き去りにして、俺はただ真正面を見る。

 見えるのは、金網。


「言っただろ? 藤坂だって凡人ってことを証明するってさ」


 俺は飛び上がった。

 自分でも、信じられないくらい飛び上がれて、そして狙い通り金網の頂上に着地する。

 ここで、背後を見る。

 藤坂は、俺を引き留めようと手を伸ばす。

 そうだ。これで証明でき――。


「ちょ!? センパイ!?」


 瞬間、俺は落下していた。

 勢い余って? そう。

 俺はうっかり失念していた。濡れた金属は滑りやすいってことを!

 そのまま、俺は風を身に受ける。

 下を見れば、地面は絶望的なくらい遠い。

 でも、不思議と怖くなかった。

 俺は、空に手を伸ばす。


 それで、俺の身体は止まった。

 ギリギリのところで、藤坂の手が俺の手を握りしめていた。


「君は! バカか!」


 俺を引き上げた藤坂は、開口一番にそう怒鳴った。

 俺の胸ぐらを掴んで、強く非難するような眼差しを向ける。


「分かっているのか? 自分が何をしたのか! 自分から、死にに行くバカがいるものか! 見ていたこちらの身にもなってくれ! 君に死なれたら、私は――」


 そこで、藤坂は俺の意図に気がついたみたいだ。

 言葉をつまらせて、そのまま力なく視線を落とす。


「そうか」

「ああ、今、藤坂が思っている気持ちがさっきまで俺たちが藤坂に思っていたことだよ」


 ちょっと、予定は狂ってしまったけど結果オーライ。

 次からは気をつけよう。やっぱり慣れないことはするもんじゃない。


「それにさ、これで三回目だ。藤坂が俺の命を救ってくれたのは、そんな命の恩人を嫌いになると思うのか?」

「……」


 藤坂は、まだ納得していない様子だった。

 なら、と。

 俺は用意していたとっておきのトドメを使う。


「目の前で友達が死にかかってたら、誰だって助けるだろ? みんな一緒ってことは凡人ってことさ。だから、藤坂も凡人だと俺は思う」


 よくよく考えればあまり意味の分からない言葉かもしれない。

 でも、雰囲気で押し通したし、今の藤坂には思った以上に効果抜群の一言だった。

 藤坂は、長い沈黙のあと。

 声をあげて、泣き始めた。

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