第29話「嬉し泣き雲と醜い私」

「あんな別れ方で、よかったの?」


 少女が、不服そうに私に言った。

 私は頷く。


「無論だ。あれが一番だった」


 思い出すだけで気分が悪い。

 自分という人間の醜悪さが、酷く容認できなかった。許されるのなら、今すぐ二人の前に頭を垂れて、どんな罰をも乞いたい。

 けれどそうしないために私はあんな非道を働いた。


「本当にそうかしら? 貴方が夢を叶えるって知れば、祝福してくれるのが本当の友達というものよ? 傷心した貴方? 嬉しい私」


 少女の言葉を聞きながらも私は階段をのぼっていく。一歩ずつ、ゆっくりと着実に。

 私が少女に願ったのは、自分という存在を跡形もなく消し去って普通な誰かになること。

 夢を叶えるための方法として、少女が提案したのは学校の屋上から飛び降りること。

 正直言って、バカげた提案だった。

 言ってしまえば自殺じゃないか。

 でもそんなバカげた提案に乗ってしまうほど、私の心は弱り切っていたんだろう。そのうえ、私の誕生日を祝ってくれた二人にあんな態度を取ってしまったんだ。

 今さら後戻りなどできるはずもない。……する気もないが。


「どうだろうか」


 少女の言葉に疑問を呈した。

 あんなことをしたのは自分の逃げ道を断つためでもある。同時に、私という人間を二人には嫌って貰いたかった。

 

 私といてもあんな思いしかしないんだと、知って欲しかった。

 そうすれば、二人も私から離れていくだろう。

 なんだか、ちぐはぐな気がするな。

 二人から見限られるのが恐ろしくて、こんな決断をしたというのに……二人に嫌われるために動くなんて。


「愚かだな」


 もう一歩、進む。これで二段目。


「そうかしら? 貴方は夢を手に取れる勇気がある素敵な人よ」

「……少なくとも勇気はないだろうな」


 自嘲気味に、もう二段。


「でも、いいじゃない。あと少しで貴方は望んだ貴方になれるんだから」

「……」


 彼女の励ましを聞いて、もう四段。


「だから笑顔になりましょう! こんな時には笑顔よ、笑顔!」

「私は、笑えないんだ」


 鉄仮面、そんな蔑称を思い出して、四段。

 笑いたい。

 何も考えず、嬉しさに心を打ち振るわせて笑いたい。

 でも、笑えない。

 どれだけ鏡の前で口角を指で押し上げたって、そこに映るのは気持ちの悪い笑みをしたロボットみたいな自分。

 ああ、そんな自分が嫌いだった。


「そう。それは……悲しいわね」


 少女にさえ、距離を取られて最後の一段。

 私は、扉に鍵を差し込み扉を開ける。

 空は、曇天。


「空だって嬉し泣きをしているわ。貴方の門出を祝ってる」


 数歩進んで、空を見上げる。

 生まれた日に、私は生まれ変わるんだ。大粒の雨が私を貫いていく。

 思い出すのは、二人が用意してくれたケーキの味。

 ロール君が、頑張って選んでくれたらしい。

 ショートケーキ。

 大きなホールケーキで、美味しかったなぁ。


 まだ、足にはあの感触が残ってる。

 彼女が選んでくれたケーキを踏み潰す、あのぐにゃりとしたいやな感触がずっとまとわりついてくる。

 足が震えた。

 自分がやってしまった、取り返しのつかない悪行が私の首を絞める。


「ほら、地面には小さな湖もあるわ?」


 彼女の言う通り、地面を見て見れば水たまりがあった。

 そこに映る自分の姿は酷く醜い。

 手が震えた。

 また、思い出してしまった。亜月君が用意してくれた飾り付け。

 不揃いでも、心がこもっていることが分かる。

 華やかだったなぁ。


 でも、全部私が無茶苦茶にした。

 ビリビリに破いて、地面にばら撒いて。それで、酷い言葉を吐いて……。


「さぁ、あと十三歩、踏み出したのなら貴方の夢は叶う。だから夢をその手で掴み取りましょう? そうすれば、貴方も幸せ、私も幸せ。誰も、不幸になんてならないもの」


 少女は、そう言う。

 でも、私はこの期に及んで後ろ髪を引かれてしまう。

 もし、もしも私がもう少し素直だったのなら。

 あのとき、あんなことしなければ……!

 みんなで、あの大きなケーキを囲んで食べていた未来もあり得たんだ。

 それは、多分、もっと美味しかったんだろう。

 仇も、そんな未来を消し去ったのは自分だったのだが。


 諦めて、私は正面を見据えた。

 転落防止のための金網がそこにはある。私にとっては、そんなもの障害物たり得ないが。

 ここから落ちれば、私は普通の誰かになれる。

 どこにでもいる。

 誰でもない。

 そんな、誰か。

 私が望んでやまなかった、平凡な人。


 息を整えて私は一歩を踏み出そうとした。


「藤坂ッ!」


 刹那、聞こえてきたのは私が切り捨てたはずの声。

 もう、二度と会うことはないと思っていた。聞くことはないと思っていた、彼の声が聞こえてきた。


「マイちゃん!」


 それに続いて、ロール君の声まで。

 どうしてここに。

 理由は分からない。あんな別れ方をしても、まだ私と関わろうとするなんて、予想外だった。

 振り向きたい衝動に駆られるが、私は必死に抑える。


「ついさっき言っただろう? 迷惑なんだってことを。これ以上付きまとわないでくれ」


 私は、二人から背を向けたまま話した。

 面と向かって話すなんて、できる気がしなかったから。


「先生に刀を渡して、藤坂は何をする気なんだ?」

「……君たちには関係ない話だ」


 努めて、私は冷ややかな声色を保った。

 もうすぐ。

 もうすぐなんだ!

 あとちょっとで、私の夢は叶う。

 頼むから、私を呼び止めないでくれ。

 迷ってしまう。

 引き返したくなってしまうから。


「いいじゃないの、言ってあげればいいじゃない、貴方たち……彼女は夢を叶えて幸せになるのよ!」

「夢?」

「そう! 夢! 私が夢を叶えてあげるの! 彼女の夢は」

「やめろ」


 私は少女を制止した。

 けれど、彼女は止まらない。止められない。


「自分という存在を消し去って、普通の人になるの! だから、彼女は今から旅立つのよ」

「……」


 私の夢が明かされてしまった。

 できれば、秘したまま、いきたかった。


「それって、やっぱり藤坂……死ぬ気なのか?」

「そんなのダメッスよ! 自分、まだまだマイちゃんと一緒に楽しみたいことがあるッス!」


 だからいやだったんだ。

 多分、こう言われると思ってたから。

 余計に私の心が揺さぶれてしまう。

 でも、一度非道な行いを選んだんだ。最後まで悪役らしくあるべきだろう。

 私は覚悟を決めて二人の方へ振り返る。


「部外者が、分かったような口を利いて……私を止める気か? ふざけるなッ! 何回言えば分かるんだ、迷惑なんだ! 今すぐ失せろ」


 二人を睨んで、私は叫ぶ。

 本当は二人にこんな言葉を向けたくはない。

 でも、そうでもしないとこの二人は退いてはくれないだろう。だから、私は心を鬼にする。


「もし、その場から一歩でも前に進み、私の邪魔をするというのなら……私は容赦はしない。今度こそ、君たちを手にかけてでも私は進むッ!」


 嘘だ。

 二人にかすり傷だってつけたくはない。だって、私にとっては大切な人たちなんだから。

 でも……こうでもしないと、二人は私を見捨ててくれない。

 私がどうしようもなく臆病で、みんなが思っている風に優れた人間ではないと気がついてくれない!

 頼む。

 頼むから、もう見捨ててくれ。

 そうすれば、私は諦めがつく。この藤坂舞という人間を消し去ることができるんだ!


 あらゆる感情が複雑に混ざり合って、ぐちゃぐちゃに溶け合ったまま。私は、ただ祈る。


「絶対に、断る!」


 私の耳をつんざいて、いつか聞いたそんな言葉が聞こえたような気がした。

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