第27話「決意」
勢い任せに屋流の店の扉を開けて、俺は店内に足を踏み入れた。
「藤坂ッ!」
彼女の名前を叫びながら。
でも、店内に彼女の姿はこれっぽっちも見えない。代わりに、カウンターに突っ伏する男が一人。
ヨレヨレの白衣と、ボサボサの寝癖がトレードマークの男、屋流黄成だ。
ふらりと、身体を起こして屋流はにへらと笑みを浮かべる。
「マイちゃんなら、もう出てったよ? これを置いてね」
屋流の視線の先には、刀が一本。
あれは斬想刀。
どうして、親の形見でもある刀を置いてどこかへ行ってしまったんだ。藤坂は言ってたじゃないか、斬想刀を手放す時は……。
「屋流先生は、知らないのか……藤坂がそれを手放すことの意味を」
震える声で、俺は屋流に問いただす。
屋流は首を横に振った。
「知ってるよ」
「じゃあ、なんで!」
俺は屋流に詰め寄った。
藤坂が、刀を手放す時は自分が死ぬ時だって! 知っていながら、屋流は藤坂を止めなかった。
「落ち着きなよ。君には関係ないことだろ? 聞いたぜ、舞ちゃんに振られたってさ」
両手をあげて、屋流はヘラヘラとした様子でそう言った。
俺は思わず、握り拳を作る。
「センパイ!」
「……」
ロールに制止された俺は、握った拳を解いて屋流を見る。
彼はポケットからヨレた煙草を取りだし、ライターで火をつけて口にくわえた。白い煙が、天井へのぼっていく。
「驚いた。店に帰って来たら舞ちゃんが目に涙浮かべてグズグズのケーキを夢中で頬張ってたんだからね」
「自分も出て行ったと見せかけて、その様子を見てたッス。……盗み見は悪いことだって思ったんスけど、気になって」
ロールが話したことは本当だったらしい。
天才の考えることは分からない。どうして、そんなことをする必要があるんだろう。
「ま、君が雨の中を走っていたところからトラブルがあったのは、分かってたけれどね」
「で、先生はそのまま藤坂を見送った」
「違いない」
「藤坂が何をしようとしてるかも、察しがついているのに?」
「ああ、返す言葉もないね」
俺は屋流を睨み付けた。
この男は、どこまで人として腐っているんだ!
「アンタは藤坂との付き合いが長いんだろ!」
「ああ、そうだね」
「じゃあ、どうして! 藤坂を止めてやらなかった! それは、アンタの役目だろ!」
俺は、カウンターを叩いた。
けれど、屋流は俺の行動に何の興味もないように口から煙を吐く。
そして、灰皿にタバコを押しつけて俺を見据える。
「役目だって? 君はボクを舞ちゃんの保護者か何かかと思っているのかな? 君だって目を逸らしているじゃないか」
「……」
「どうして、舞ちゃんが泣いていたか。どうして、舞ちゃんがグズグズになったケーキを食べていたか。もう答えは出てるんだろう?」
分かっている。
意味不明だとか、理解不能だとか、わけが分からない。なんて言っておきながら俺はもうとっくに藤坂の真意に気がついていた。
屋流のいう通り。
でも、俺は見て見ぬ振りをしていた。
「それに、舞ちゃんのことだって理解できてきたんだろ?」
全てを見透かすように、屋流は言う。
どうしてこうも屋流黄成という男はいやらしいんだろうか。
「ま、ボクが分かっていながら舞ちゃんに対して何もしていないように、君だって何かをしなけりゃいけないわけじゃない」
「……」
そうだ。
それも、屋流の言う通り。
結局、俺は屋流に憤って見せたが、俺だって見て見ぬ振りを続けていただけなんだ。
あれこれと、凡人だから、自分は特別じゃないからって……立ち止まるための理由を作っては、ひたすらに足踏みを続けている。
今だって。
決心がつかない。
「でもさ。それが正しいんだ。日々君みたいなただの人間が踏み込んでいい領分じゃない。何度命を落としかけた? 次は本当に命がないかもしれないだろう?」
「……」
「舞ちゃんにこんなに酷いことをされてさ、それで助けるの? 無理だぜ、そんなのはさ」
ああ、そうだ。
俺が藤坂を助けることなんて、できるわけがない。
なら、大人しく家に帰った方がずっとずっといいに決まってる。
藤坂は、俺にあんなに酷いことをした。
だから俺に助ける義理は……。
ま、まさか……!
刹那、俺の身体を衝撃が伝う。実際に起ったことじゃない。俺の心の中で巻き起こった衝撃だ。
「もしかして……先生は藤坂に、俺たちが変な気を起こさないように足止めするように頼まれました?」
「ピンポーン。大正解。情報屋として仕事を依頼されたんだ、やるしかないよね?」
俺の予想は、見事に的中した。
そうか……。
俺は、拳を握り絞めた。
もう、何度握ったかもわからない。
あんな態度を取って見せたのも、俺たちが藤坂を助けようなんて考えないため?
なんて、回りくどいんだ。
こんな手段を用意してまで、自分を助けて欲しくないのか?
「でも、君は凡人だ。進んだって、苦しくて痛いだけってのは本当だよ」
「だとしても……」
そんな言葉が出てきてしまう。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、進もうと思える。でも、本当に少しだけ。
「だとしても?」
お前には無理だ。
そんな心の声が聞こえてくる。
凡人め! お前なんかに何ができるんだ!
そんな声が、十重二十重に重なって聞こえてくる。
でも、足を引っ込めたくなかった。
せっかく、踏み出しかけた一歩を踏み込めたくない。
「ロール、俺の背中を押してくれないか!」
だから、俺はロールに縋る。
情けないのは百も承知だ。
でも、情けなくたって前に進むべき時がある!
「ヤリュウさんが言う通り、本当に苦しくて痛いだけかもしれないッス。だから、自分の考えを言わずに、センパイに決めて貰おうと思いました。以前は、結局自分の存在がセンパイの重荷になったのは自覚ありッスから……でも、求められたなら!」
ロールはそう言って、深呼吸をした。
「自分を助けてくれたセンパイなら、マイちゃんだって放っておけないって分かってたッスよ! あの時のセンパイは、何度も言うッスけど、輝いてたッス」
本当に、背中が押される。
ロールは俺が思っていることを否定はしない。でも、それでいて認めてくれるんだ。
だから、人を乗せるのがうまいんだろう。
「俺でもできると思うか?」
「さぁ、分からないッス。でも、不可能はないッスよ!」
「そうだよな。それに、俺たち……まだ藤坂を笑わせるっていう目標すら達成できてないんだもんな」
俺は決意を固めた。
あんなおだて文句でノリに乗ってしまう自分の単純さには呆れてしまう。でも、ロールの言ってくれた言葉は、今だって俺の胸に刺さったままだ。
屋流は両手をポケットに突っ込んで、俺とロールを見据える。
「本当に進むつもりなのかい?」
「もちろん」
「命を落とすかもしれないのに?」
俺は頷く。
「……どうして?」
そう問われて、俺は答えに少し悩む。
でも、多分これしかない。
「俺は、いつも後悔してきました。踏み出そうか、踏み出さないか、そう迷って、結局踏み出せない。もし、今回も踏み出せなかったら……多分、一生後悔することになる」
なし崩し的にロールを助けたこと以外、俺は誰かを助けようと思っても踏み出せなかった。
そんな時、いつも俺は後悔してしまう。あのとき、踏み出していれば……。なんて後悔をするのは、もうごめんだ。
だから俺は踏み出す。
「自分も、同じ気持ちッスよ。センパイ!」
ロールも、俺に同意してくれた。
屋流は俺たちの答えを聞いて、困ったように笑って髪を掻き上げた。
その表情は、いつものうさんくさい雰囲気からは考えられないような表情で、爽やかな印象さえ与えてくる。
「そうか、なら止められないな。じゃあ、学校の屋上に行ってみるといい。急げよ少年、時間は――そうない」
「……分かりました」
普段なら、屋流の言うことなんて絶対に従わないけど。
今の俺はなぜだか素直に従えた。
店の扉を開けて、俺は駆け出す。
やっぱり土砂降りの雨が俺を打ち付けるけれど。空を見上げれば、本当に、ほんのわずかだけど青い空が見えている。
快晴は、案外もうすぐかもしれない。
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