第25話「何よりも鋭い刃」

 ケーキはカウンターに隠したし、プレゼントも同じ場所に置いた。

 クラッカーは俺がロールと自分の分の二つを持っている。飾り付けも、素人にしては頑張った。

 うん、準備はバッチリだ!


「いい感じッスねぇ。これならマイちゃんも絶対喜んでくれるッスよ!」


 俺の隣で、ロールが力強く頷いた。

 これだけやりきったあとだと、俺だって自信満々にそう言える。

 きっと、大丈夫だって。

 俺たちは昨日のうちに終わらなかった準備を、集合時間の一時間ほど早く来ておこなっていた。

 屋流は仕事がなんとかで朝からは顔を出せないらしい。

 遅れていくから君たちだけで先にやっておいてよ、って言われた。そう言われたら、仕方がない。本当は、屋流も一緒に祝って欲しかったんだけどな。


 人が多いのと少ないのとじゃ、やっぱり多い方が大抵の物事はうまくいく。

 それが、屋流みたいなダメ人間でもだ。

 俺は携帯電話を取りだして現在の時刻を見る。

 八時五十分。

 あと、十分で九時になる。あの藤坂のことだ五分前にはキッチリと集合すると思えばあと五分で決戦。

 ゴクリと、俺は唾を飲み込んだ。

 否が応でも緊張してしまう。


「鬼の時よりも心臓がバクバクしてるかも……」


 俺は半分冗談で、そんなことを言った。

 俺の心臓は鬼のときみたく激しく脈打っている。友達の誕生日パーティーがこんなにも緊張するものだなんて、今まで誰かの誕生日を祝ったことがなかったので分からなかった。

 しきりに携帯電話を見てしまう。

 喉は渇くし、視線が定まらない。


「大丈夫ッス! センパイと自分ならいけるッスよ~!」


 気楽なロールの言葉が、今はありがたかった。

 ああ、そうだな。

 俺とロールなら大丈夫だ。

 扉の隣に陣取って、俺はクラッカーの準備をする。


「確認だけど、藤坂が入ってきた瞬間に俺がクラッカーを鳴らして、そのあとに一緒に誕生日おめでとうだよな?」

「そうッス」

「台詞は誕生日おめでとうだけでいいよな?」

「そうッス」

「それが終わってから、ケーキとプレゼント――」

「このやり取り今朝からもう十回以上やってるんスよ! 緊張してるのは分かりますけど、もうドーンと構えましょうよ!」


 流石に突っ込まれてしまった。

 だって、もし失敗したら? なんて不安がいつまでも俺の隣にくっついているんだから……。

 でも、もう腹を括るしかないな。

 俺は大きく深呼吸をした。

 息を吸って、吐く。

 シンプルな動作だが、これほど心が落ち着くものもない。

 ついでに両頬を叩けば、気合いも十分。

 さぁ、いつでも来い!


 そう思った瞬間。

 ノックの音が店内に響いた。

 俺はビクリと身体を震わせる。これも噂をすればって奴か? まぁ、呼んだのは自分なんだけど。

 遠くにいるロールに合図を送り、返事をしてもらう。


「いつでもどうぞッス!」


 わざわざロールに扉から離れて返事をしてもらったのにも理由がある。

 扉の付近で待っている俺が気付かれるのは、サプライズとしてちょっと質が下がってしまうんじゃないかと危惧したからだ。

 ロールの声が届いたからか、扉が開く。

 隙間からは、雨が降っている様子が見て取れた。昨日から土砂降りの雨が降り続いている。


「失礼す――」


 藤坂が顔を見せた瞬間。俺は片手で握った二つのクラッカーを打ち鳴らす。

 火薬の破裂音が店内に響き、クラッカーからはキラキラとした紙吹雪が飛び出した。

 なお、片付けの関係上、紙吹雪なんかはクラッカーと紐付けされて飛び出すだけのものとなっている。

 よし、あとはロールと息を合わせて!


「誕生日おめでとう!」

「誕生日おめでとうッス!」


 決まった、完璧だ!

 俺はこの流れを絶やさないために、急いでカウンターの裏手に回る。

 予めそこにセットしていたケーキを取りだして、カウンターの上にのせた。


「屋流から聞いたよ、今日が誕生日なんだってな」


 緊張で声がうわずってしまうが、もう言い切るしかない。俺は、ケーキの包装を丁寧に取り外していく。


「だから、お祝いッス~! ケーキは自分が選んだっス~!」


 そして大きなホールケーキが姿を見せた。

 真っ白なクリームと、真っ赤なイチゴのコントラストがとても綺麗だ。ここまでやれば、もう完璧。

 何の欠点もない、見事なサプライズ!

 これで、藤坂も……。

 彼女の笑顔を想像しながら、俺は藤坂の顔を見た。

 そこにあったのは――鉄仮面。


 酷く底冷えした視線が俺に向けられる。

 その表情はいつもより、一層冷たい。

 彼女は微動だにしない表情のまま、一歩、二歩とこちらへ進む。


「誰が、一体誰が……祝って欲しいなんて言ったんだ?」

「え……」


 俺たちが、今一番聞きたくない言葉を藤坂は言った。

 一番危惧していた、迷っていた部分。藤坂は喜ぶのだろうか? その疑問に彼女自身が答えてくれた。

 最悪の形で。


「話があるって言っただろう? それは、君たちとのつまらない友情ごっこを終わらせようと思ったんだ。やっぱり、私と君たちとじゃ釣り合わない。特別じゃない君たちと、特別な私が同じ時を過ごすなんて、おかしい話だって思わないか?」

「マイちゃん……と、突然どうしたんスか?」


 藤坂は今まで見せたこともないような声色と表情で、そう話した。

 まるで限界まで研ぎ澄まされた刃のように、その表情と声は尖っている。もちろん、そこに感情の色はない。だから、余計に恐ろしい。

 俺は何も言い返せなかった。

 言葉が喉につまって、声がでない。

 

 ロールはそれでも藤坂を心配しているようだ。当然だ、急にここまで態度を豹変されれば、誰だって心配する。

 でも、俺はそうじゃなかった。

 やっぱり。

 そう思ってしまった。


 心の中にあった、疑念が確信へと変わる。

 でも、俺はそれでもまだ僅かな可能性に縋りたかった。

 カウンターに置いたケーキを手に取って、藤坂に見せる。


「ロールの言う通りだ。ほら、ケーキでも食べて一度落ち着かないか?」


 瞬間、ケーキが払いのけられる。

 べちゃり。

 ケーキが地面に落ちた。嫌な音が耳にこべりつく。

 俺は床を見た。そこには、見るも無惨な姿になったケーキの姿が……。


「私は落ち着いている」


 そう言って、藤坂は壁の飾り付けを引っ剥がしてビリビリに破き始める。


「あっ、ダメッス! それはセンパイが頑張って作った……!」


 ロールの制止も空しく、藤坂の手は止まらない。

 目の前行われる蹂躙を、俺はただ眺めることしかできなかった。自分が作った飾り付けよりも、ケーキのことが俺には気になってしまう。

 あれは、ロールが心を込めて選んだものなんだ。

 だっていうのに、藤坂はそれを地面に叩きつけた。


「よくまぁ、こんな子供じみた誕生日会で私が満足すると思ったものだ」


 藤坂はケーキを踏みつけて、トドメと言わんばかりに口を動かす。


「不愉快極まりないな」


 流石に、我慢の限界だった。

 俺は藤坂を睨み付ける。

 そして、彼女に掴みかかる勢いで藤坂に迫った。

 瞬間、天地が逆転した。


 自分が投げ飛ばされたと気付いたのは、俺がソファに激突した時だった。

 柔らかな衝撃が、身体に伝わる。


「センパイっ!」

「俺は大丈夫だ」


 むくりと身体を起こして、俺は藤坂を見る。


「藤坂、そのケーキはロールが頑張って選んだんだぞ? 藤坂のために、たくさん悩んで、悩んで、それで選んだんだ」


 俺は語る。

 ロールが今日という日を楽しみにして、それでケーキを選んでいた事実を。でも、この言葉も藤坂の心には響かないのだろう。

 彼女は俺たちから背を向けて、吐き捨てるように言う。


「だからなんだ?」

「……」


 俺はその冷たい言葉で嫌でも理解してしまった。

 藤坂は、本当に俺たちのことを友達とも、なんとも思っていなかったということを。

 爪が突き刺さるくらい、俺は強く、強く拳を握る。


「殴りかかるか? 残念だけど、君じゃ私に触れることすら叶わないだろう。それが、特別な私と凡人な君との差だ」

「マイちゃん……センパイ」


 ロールが心配そうに、俺と藤坂を交互に見た。

 本当に優しいな、ロールは。まだ藤坂の心配をしているなんて。

 けど、俺はもう無理だ。

 結局、自分は凡人で、藤坂みたいな超人にはなれっこなくて。誕生日パーティーも迷惑で、こんなに罵倒される。


「マイちゃん、なんか……あったんスよね? ほ、ほらセンパイ、ケーキはまた買えばいいですし、飾り付けだって、今度は自分も手伝うッス……だから、ね?」


 健気に、ロールは俺たちの仲を取り持とうとしてくれた。

 でも、そうすればそうするほど。ロールが健気に振る舞えば振る舞うほど、俺の怒りはふつふつと燃え上がる。

 藤坂は、こんなにも優しいロールの気持ちを踏みにじったんだ。

 許されることじゃない。

 有耶無耶になんてしたくないに決まってる。


「君もだ、ロール君。心底迷惑だったよ、マイちゃんなんていう馴れ馴れしい呼び方を含めて……ね」

「お前なぁ!」


 もう一度、藤坂に掴みかかろうとした。

 藤坂がこちらに振り向いて、その冷たい瞳が俺を見据えた瞬間、俺の身体は硬直してしまう。まるで、へびに睨まれたカエルみたく。

 悟ってしまう。

 本能が告げた。

 お前に勝てるわけもないし、どうにかできるわけもない。

 そうやってストッパーがかかってしまう自分にも嫌気がさす。

 やっぱり俺はどこまで言っても凡人で、友達がバカにされて踏みにじられているのに行動だって半端で終わってしまうような人間なんだ。

 そんな人間に、何ができるっていうんだ。


 俺は藤坂に背を向けて、店の出入り口を目指した。

 ロールの視線が俺に向く。

 彼女は、まだこの場に残っていたそうだった。でも、この場にいたって何にもならないことを俺は知っている。


「ロール、行くぞ」

「でも……」

「行くぞ!」


 もし、これ以上ここにいたら。もっとロールが傷ついてしまうかもしれなかった。

 自分のことは、どれだけ悪く言われてもいいけど、それだけは我慢ならない。

 だって、彼女は俺なんかよりもよっぽどいい子なんだから。


「藤坂、多分もう会うことはないと思うけど。最低だよ、お前」


 そんな捨て台詞が口をついて出た。

 最後まで情けない。でも、些細な反撃でもしなければ、どうにもこの怒りは収まりそうもなかった。

 それだけ言って、俺は乱暴に扉を開ける。

 そして駆け出した。

 一刻も早く、この場から立ち去りたかったから。空から降り注ぐ大粒の雨が身体を貫いていく。

 でも、そんなのは気にならなかった。

 幾重にも皮膚を打ち付ける雨よりも、頬を垂れる一筋の水滴の方がよほどに俺の心を穿つ。

 今は、何もかも忘れてただ走りたかった。

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