第23話「ヒビワレ」

「いやだ、いやだ――いやだ!」


 自分の声で目が覚める。

 頬を一撫ですれば手のひらは濡れていた。

 ああ、泣いていたのか、と一人納得する。久しぶりに、嫌な夢を見た。

 同時に、少し安心する。


 まだ、泣けるんだ。

 そう思ったから。

 こんな私にもまだ涙が残っていたことがどこか嬉しかった。


 ざぁざぁと音が聞こえてくる。

 窓の外を見れば、雨が降っていた。昨日までの快晴が嘘みたいに強い雨足。

 夢のこともあって、少しセンチメンタルになった私には堪える空模様だった。


 自分一人しかいない生徒会室を見渡して、私はため息を吐く。

 再び窓に視線を移せば、そこに映る自分の顔は憂い気だ。人前ではピクリとも動かない表情は自分の前だけ、万華鏡みたくころころと移ろいで行く。

 それが、どうしても恨めしくて、同時に安心できた。


「私が、普通の女の子になれたなら――二人とも友達になれたんだろうか」


 そんな言葉が、口から飛び出した。

 どうやら、今の私は余程に弱っているらしい。


「そんなもしもに、意味なんてないのにな」


 自分自身の言葉を否定して、私は自嘲気味に私から目を逸らした。

 一度傷つけた相手に好かれる妄想をするなんて、浅ましいにも程がある。だから、私は私が嫌いなんだ。


「そんなことはないわ? 悲しい貴方。夢見る私」


 ふと、声が聞こえた。

 聞き覚えのある声色に、私は傍らに置いた斬想刀を握り立ち上がる。

 生徒会室をくまなく見渡す。

 しかし、そこに声の主の姿は見えない。


「私は貴方。貴方は私。貴方は私を求めてる、私も貴方を求めてる」


 目の前に、少女がいた。

 まるで、最初からそこに佇んでいたように、少女はニコリと私に笑いかけた。

 黒と白が基調となった、華やかなドレスの裾を掴んでお辞儀をしてみせる。

 私は刀を低く構えて鯉口をきった。


「普通なんて不確かなもの、信じなければいいのにね? 夢なんて見えないもの、見なければいいのにね? それなら貴方は幸せでしょう? だとしたら私は一人ぼっちじゃないでしょう?」


 少女は左手を天井に伸ばして、歌を歌うように話す。

 くるりくるりと優雅に回転するその姿は、さながら舞台に立つ役者の如く。私は、まだ動かない。

 その可憐な見た目が、私に先制攻撃を戸惑わせている部分もある。だが、なによりも少女はロール君が人間に戻るための手がかり。向こうが私に危害を加えないのであれば、私も刀を振る理由がない。


「愚かな人間。でも、だからこそ私はここにいる。夢見る人が愛おしいの! 貴方の夢を叶えるわ! 重い代償? そんなのないわ! 必要なのは夢を願うその気持ちだけ! だって、夢を叶えれば……夢は叶うって信じてくれるでしょう?」


 少女の瞳の青が、光る。

 まるで、太陽にきらめく海面のように。綺麗で、でもその奥には闇がある。


「夢を叶える権利は誰にもある。その手に! さぁ、恐れず一歩を踏み出して? そうすれば貴方の夢は叶うんだから! だって、私にはその力があるんだもの! そう、私はメアリー・スー! 切望のメアリー・スー! 五大獣が一人、人が自分だけを特別だと思う心の象徴。夢の具現化……貴方の理想なのだから!」


 少女は、太陽のような笑顔で私に手を差し伸べた。

 白くて、小さな手。

 でもその手を取ってしまえば、きっとよくないことが起きる。直感で理解した。


「戯れ言はそこまでだ」


 私はふぅ、と息を吐いて少女を見据える。

 するりと刀身を引き抜いて、切っ先を向けた。あんな幼気な少女に刃を向けること自体、良心が痛む。

 が、心を鬼にしなければならない。

 私の目の前にいるのは、五大獣。最も強力な想造獣の一角なのだから。


「あら、おかしなことを言うのね?」


 クスクスと少女は笑う。

 手で口元を押さえて、少女は続けた。


「賢い貴方なら、私の言葉が戯れ言じゃないくらい分かっているはずよ?」

「知らない」


 知りたくもない。


「これ以上一緒にいると、いつか絶対嫌われる」

「……!」


 私は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 なぜ、目の前の少女が私の心を見透かしているのか。


「殺しかけた私に、二人と仲よくする資格なんてあるわけがない」


 いつの間にか私の隣に移動していた少女は、なおも私の心を代弁した。


「違う!」


 私は、取り乱して少女に向かって刃を振るう。

 柄を握る私の手は、僅かだが震えていた。


「だって、私は普通じゃないから」


 今度は背後から。

 私は、また刃を振る。しかし、刀が少女の身体を傷つけることはなかった。


「だって私は人に好かれるような人でもないのだから」

「黙れっ!」


 今度は上。


「普通に笑えない自分が嫌い」


 今度は右。


「普通にできない自分が嫌い」


 今度は左。


「普通じゃない自分が嫌い」


 分からない。

 もう、少女がどこから言葉を発しているのかすら……するりと、私の手から刀が落ちていった。


「鉄仮面。完璧。超人。そう言われる自分が嫌いだった。そんな自分に価値を見いだせなかった。だから貴方は刀を振るう。誰かを守れたという事実だけが、貴方の価値を証明してくれる」

「もう、やめてくれ……」


 力なく机に寄りかかり、そう懇願しても少女は口をつぐむ様子はなかった。


「でも、それさえ貴方の心を突き刺す剣になった。だって、貴方が怪物を倒すたび、それは同時に貴方の異常を際立たせる」

「……」

「だって、普通の女の子は、ふふっ……怪物なんて倒さないもの。貴方は、どこまでも普通じゃない。知ってるでしょ? このままだと、貴方は一生このまま。それでいいの?」


 少女は机の上に座り込み、私の顔を覗き込んだ。

 その言葉は全て、全て全て全て! 私の考えていることだった。私が危惧し、怯え、恐れ、戸惑い、躊躇い、嫌ったこと、その全てだった。

 彼女は、私の全てを知っているんだろう。

 私は貴方。貴方は私。

 その言葉の真意は分からない。けれど、その言葉通りなのだろう。

 彼女は、私なのだ。

 より正確に言うならば……彼女は私の夢なんだ。それ以上でもそれ以下でもなく。私の前に立つ彼女は、私の夢の具現化……。


「貴方は強く私を望んでる。だから私が貴方の前にきたの、後は貴方が願うだけ……だからね、貴方? この手を取って、楽になりましょう」


 私は――もう限界だった。

 これ以上、何かに思い悩むくらいなら……これ以上心が痛むなら……いっそ。いっそ!

 楽になりたい。

 とことん私という人間は情けない。本当に私は自分が嫌いだ。


「本当に、叶うのか?」


 そんな愚かしい言葉が口から飛び出す私が嫌いだ。

 でも、でも聞いてしまう。

 もう、抑えることはできない。この願いを、ずっとずっと秘めていたこの想いを。

 

「ええ! もちろん!」


 少女の答えを聞いて、私は手を伸ばした。

 もう、無意識に伸びていた。

 微笑む少女に、私は縋るように声を出す。

 私は、私の願いは……。


「私は、私じゃなくなりたい。全てを忘れて、私という存在を徹底的に消し去って、普通の、どこにでもいるような誰かになりたいッ!」

「……叶えましょう。その願い」


 私は少女の手を取った。

 ふと、窓を見れば、やっぱり雨は降っていて。そこに映る私の顔は、何年振りかに笑っていた。

 空虚な希望に縋る愚かしい人間が笑っている。

 呆けて、浅ましくて、笑うってこんなんだったっけ?

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