第18話「無敵」
「マイちゃん!」
俺の背後で、ロールの声が聞こえる。
さっきまでの辛気くさいやりとりはどこへやら、ロールの声はいつも通りの元気いっぱいなものに戻っていた。
俺も安心して胸を一撫でする。
「でも、どうして俺たちがここにいるって?」
藤坂の助太刀は嬉しいけれど、こんな場所に俺たちがいるなんてどうして分かったんだろう。というか、彼女はどこにいたんだろう?
そんな疑問がたくさん湧いてきた。
「詳しい話は、一息ついてからでも構わないかな? まずは目の前の敵をどうにかしよう」
「そうだな」
藤坂は鞘に入った刀を、一気に引き抜く。
何度みてもその動作は完成されていた。
素人の俺ですら見惚れてしまうほどに。
けれど、怪物もノロマじゃない。それに、藤坂の抜刀を待ってくれるほどに律儀でもなかった。
カッターを振り上げたままの姿勢を維持して、怪物は藤坂に襲いかかる。
俺の全力疾走よりも速い速度で、俺よりも何倍も強いんだろうなと分かる威圧感を放ちながら、怪物は前進する。
もし、藤坂の位置に立っているのが俺だったなら抵抗も行えずにやられていただろう。
それだけ、恐ろしい相手だ。
だけど、不思議と藤坂が負ける気はしない。
勝負は一瞬だった。
一歩、藤坂が踏み出したら怪物は倒れていた。
何が起きたのかは、俺の目じゃ分からない。
一つだけ分かるとすれば、藤坂が恐ろしいほど強くて……それで怪物が斬られた。
ん? 斬られた?
「ああああ! その子、正体は人みたいなんだ! 藤坂、もしかして鬼みたいにバラバラに……」
彼女の正体について伝えることを忘れていた!
メアリー・スーにそそのかされて(多分)自我を失った女の子ってことを伝え忘れていた。
どうしよう。
死んでしまうかもしれない……。
「ああ、分かっているよ。安心して欲しい斬ったことであの子の命を脅かすことはないから」
勝手に罪悪感を感じる俺とは違って、藤坂はいたって冷静にそう答えてくれた。
はぁ、よかった。
俺は危機的状況から解放された安心感と、女の子が無事だと知った安心感からホッと胸を撫でおろす。
「さっすが、マイちゃんッスねぇ~! めっちゃかっちょよかったッス!」
ぐるんぐるんと空を飛び、ロールがこちらによってきた。
俺も頷いてロールの言葉を肯定する。
確かにかっこよかった。タイミングも完璧で、本当によかったと思う。
もし、あそこで藤坂が来てくれなかったら……そう思うと身体が震えた。
「ありがとう。これで二度目だな藤坂に助けられるの」
「……礼には及ばない。当然のことをしたまでだからね」
「うぅん、受け答えまでかっこいいッス! サイン欲しいッス!」
興奮気味に話すロール。まぁ、それもしかたない。
俺たちは二度も藤坂に命を救われているんだから。
和やかに会話をする俺たちの耳に、激しい足踏みの音が聞こえてきた。
「……何よ、何よ、どうして? 貴方は招待してないわ!」
「もちろん。私も招待された覚えはないさ」
憤るメアリー・スーに、藤坂は淡々と返事をした。
そうだ。
俺はメアリー・スーに聞かないといけないことがあったんだ。
「どうしてロールを狙うんだ?」
「私も理由は知らない。けれど、そうするように願われたのだもの。だったら私はそれを叶えるわ。邪魔するなら……誰だって容赦しないんだからっ!」
誰か、ロールの命を狙っている輩がいるってことか。それは穏やかじゃない。
「だから、貴方たちも踏み潰してあげる。平凡な貴方、嘘つきな貴方、特別な貴方。みんなみんな、消えちゃえ!」
メアリー・スーはそう言って、抱いていたクマのぬいぐるみを空へと投げた。
空に昇る太陽と、クマのぬいぐるみが重なる。
俺がそれを眺めていると、またも信じられないことが起きた。
どんどんと、クマのぬいぐるみが巨大化している。ぶくぶくと腕や足が大きくなって……その身体もどんどんと膨らんでいく。
「ミスター・トレック! 私の邪魔をする意地悪なキツネさんをどうすればいいか、貴方なら分かるでしょう」
やがて、クマのぬいぐるみは何十倍にも大きくなって地面に帰ってきた。
ドシンという地響きと、ちょっとした揺れ。
それだけであのぬいぐるみが、一体どれほどの質量を持っているのかが分かる。
愛らしい見た目はそのままに、クマのぬいぐるみは両腕を天に突き上げた。
「グオオオオオ!」
恐ろしい雄叫びと共に。
大人の男三人分くらいの巨躯を持ったクマが、今動き始めた。
「藤坂、これは流石に逃げた方が……」
こんな怪物を前にして、一歩も引かずただ立つ藤坂に俺は提案した。
いくら藤坂が強いっていっても、こんな巨大で強そうな相手に勝てるとは思えない。
仮に勝てたとして、無傷とはいかないだろう。
なら、素直に逃げるべきじゃないだろうか。……とはいえ、どこにどうやって逃げればいい?
背後は行き止まりだし、目の前はぬいぐるみが塞いでいる。
「二人は安心して見ていて欲しい」
刀を一度振り、その切っ先をぬいぐるみに向ける。
どうやら、藤坂に逃げるという選択肢は最初からないらしい。
一瞬。
この場を静寂が支配した。
互いに互いを無言で牽制しているみたいで、この時間が永遠に続くとさえ感じられた。
沈黙を破ったのは、ぬいぐるみだ。
目一杯まで振り上げたその腕を、勢いよく振り下ろす。
風を切る音と、凄まじい風圧がこちらまで伝わってきていた。もし、あんなのが直撃すれば人間はクッキーみたいに潰されてしまうだろう。
でも、そこにはもう藤坂はいなかった。
地面を蹴り、壁を蹴り、空高く舞い上がった彼女はそのまま刀を振るう。
刹那、ぬいぐるみの首が狩られた。
力なく転がり落ちる頭部に、藤坂はトドメと言わんばかりに着地と共に刃を突き刺す。
圧倒的だった。
「……」
誰もが、言葉を失った。
だって誰も予想できなかったんだから。
この結末が分かっていたのは藤坂ただ一人。
彼女はぬいぐるみから刀身を引き抜き、綿を振り払いメアリー・スーを見上げる。
「これで実力の差が理解してくれたならありがたいのだが……」
「嘘……ミスター・トレックがあんなに簡単に……嘘よ! 強いとは聞いていたわ。特別だとも、けれど、けれど、こんなのって……」
メアリー・スーは戸惑いの声をあげていた。
そりゃそうだ。
藤坂が味方にいる俺でさえ、この結果におののいてしまう。
特別。
天才。
あらゆる賞賛が向けられていた。でも、実際はそんな言葉すら生ぬるいくらいに藤坂は凄かった。
「……」
メアリー・スーはうつむいた。
もうこれで本当に抵抗する気はなくしたのだろう。
正直、俺があの子の立場でも両手をあげて白旗を振る。絶望的な実力差だ。
でも、少し引っかかってしまう。
確か、メアリー・スーはクマのぬいぐるみを二体……!
そこに考えが至った瞬間、藤坂の背後に生み出されようとしていた怪物に気がついた。
俺は思わず駆け出した。
「藤坂、後ろ!」
その言葉と共に。
巨大な身体ができあがり、そして再び両腕を振り上げるクマ。
二体目の怪物の出現に驚きながらも、俺はそのまま走る。
俺の声で背後の存在に気がついた藤坂は、振り向きざまに一閃。
そのまま、ぬいぐるみの身体は真っ二つになった。つかさず、今度は縦に一振り。
まるで、豆腐か何かのように四つ切りにされたぬいぐるみ。
当然、もう動くことはないだろう。
バラバラと刻まれた身体が地面に落ちていく。
「助ける必要は……なかったみたいだ」
多分、俺の身体が勝手に動いたのは藤坂を庇うためなんだろう。
ってところまで考えて、自分の行為の無駄さに気がついた。
藤坂を助けるなんて、とんだ傲慢だ。俺なんかの助けがなくたって、藤坂は大丈夫なんだろうから。
「いや。助かったよ。ありがとう、亜月君」
刀を握ったまま、藤坂はそう言ってくれた。
その言葉だけで、いくらか救われたような気がしたし、嬉しかった。
「さて」
チャキりと刀をならして、藤坂はメアリー・スーに視線を向ける。
俺も同じく、少女を見上げた。
「可憐な少女である君に、こんな言葉遣いをしてしまうのは非常に心苦しいのだけど……大人しくこちらに来てくれないか? でないと、私は君を斬らないといけなくなってしまう」
同じ高校生とは思えない威圧感で、藤坂は静かに言葉を紡ぐ。
隣で聞いている俺ですら、怖くて足が震えそうだった。本当に、斬るという強い意志が感じられる。
「ひっ……」
年端もいかない女の子に、藤坂の言葉は荷が重すぎたのだろう。ビクリと身体を震わせて、メアリー・スーは目の前から消えた。
しかし、次の瞬間には藤坂の隣に姿を見せる。
数秒、何か藤坂に耳打ちをするように口を動かすと、また姿が消える。
ほぼ同時に、藤坂が刀を振り上げるが彼女の刃は虚空を斬った。
「……」
鞘に刀を戻して、藤坂は空を見上げる。
どうやら、メアリー・スーはもう姿を見せないらしい。結局、藤坂に恐れをなして逃げていったか。
まぁ、しかたないよな。
俺だって絶対逃げる。
「いやぁ、凄かったッスねぇ」
ロールが腕を組んでしきりに頷いた。
「ああ。凄いな」
俺もロールに続く。
本当に凄い。
「ありがとう藤坂。最後に何か言われたみたいだけど、何を言われたんだ?」
「……取るに足らないことだよ。次は絶対に勝つってね」
「性懲りもないッスねぇ」
あれだけの実力差を見せられて、まだ戦うつもりなのか。
その根性だけは認めないといけないな。
俺が同じ立場なら絶対にもう藤坂の前に姿を現さないだろう。まぁ俺たちとしてはメアリー・スーがもう一度姿を見せてくれた方が、助かるのか。
だって、結局ロールについては何も聞けなかった。
分かったのはロールの命を狙う誰かがいるってことくらい。
「しかし、二体目のクマが現れた時、君はどうして駆け出したんだ?」
「どうしてって……多分藤坂を守ろうと――」
「それは無謀だ」
ぴしゃりと藤坂に言われてしまった。
もう、それは否定のしようがない。
無謀か無謀じゃないかって言われたら誰もが無謀だっていうし、俺もそう思う。
だから俺はただ頷いた。
「君は私みたいに強くない。もし、私を庇って、君が私の代わりに攻撃を受けていたら? 多分、君は無事じゃすまない。もしかすると、その命さえ危うくなる」
藤坂は俺を見据えてそう話す。
言葉そのものは、藤坂特有の冷たさもあって厳しいものだけど、俺を心配してそう言ってくれているというのは痛いほどに伝わった。
「それに……」
藤坂はそう続けた。
言いよどみ、制服の袖をまくり上げる。
「……!」
俺はその腕を見て絶句した。
同時になぜ夏場に長袖なのか、その疑問さえも解消する。彼女の左腕は、傷だらけだった。
「それ……」
打ち傷、切り傷、人が受けうる傷跡が藤坂の腕に集められていた。
俺がなんと話せばいいか、言葉を探している間に藤坂は袖を元に戻す。そこにあるはずだった白くて綺麗な肌はこれっぽっちもなかった。
「気分の悪いものを見せてしまったかもしれないが、これは私なりの警告だと思って欲しい。私でさえ、つい二年くらい前までは生傷が絶えなかった。私は、君にそんな思いをして欲しくないんだ」
「気分の悪いものなんかじゃない」
俺はハッキリと、それだけは否定した。
彼女が人知れず誰かを守るために受けた傷を、気分の悪いものなんて言えるわけもない。もし、そんなことを言う奴がいれば人として終わっていると思う。
「そうッスよ!」
「君たちは……やっぱり優しいな」
藤坂は瞼を閉じてそう言う。
彼女の言葉はいつも通りに冷たい。だけど少しだけ、ほんの少しだけ温かみがあったようにも思えた。
「それと、藤坂の言う通りだった。出しゃばりすぎたよ。ごめん」
俺は藤坂に向けて頭を下げた。
ずっと隠していた傷跡を見せてまで言ってくれた忠告を、俺は無視することはできない。それに藤坂の言うことは正しかった。
「いいや、私も言葉がきつかったかもしれない。その……ある程度のことは私一人でなんとかなるから、信頼して欲しかったんだ」
「信頼……」
俺はそのまま繰り返した。
藤坂は、首を縦に振る。
「ああ。私なんて信頼できないかもしれないけれど――」
「いや、信頼はしてる。なぁ? ロール」
「もっちろーんッス! マイちゃんはもう親友みたいなもんッスよ!」
オーバーリアクションで両手を大きく広げるロール。
親友は言い過ぎかもしれないが……でも俺だってもう友達になっていると思っていた。
「……それと、さっきは声をかけてくれてありがとう。助かった」
藤坂はいつもの無表情のまま、俺に向かって礼を言った。
さっきもありがとうとは言われたけど、こう改めて言われるとちょっとむずかゆい。でも、こんな俺だって藤坂の役に立てたんだと思うと、不思議と嬉しかった。
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