第17話「メアリー・スー」
「いてっ!」
木によじ登り(もちろんおっかなびっくり)飛びおりる。
もちろん、着地は失敗。
衝撃がモロに足に響く。多分、これが藤坂なら華麗に着地していたんだろうなぁ。
なんて、考えながら俺は立ち上がる。
「センパイ~、今のは中々アクロバティックでしたねぇ」
「すり抜けられるロールが羨ましいよ」
「えへへ~」
壁や天井、あらゆるものをすり抜けるロールからすれば、鉄条網だって障害物にはならない。
俺はこんなに苦労している傍ら、ロールはひょひょいと立ち入り禁止区域に入ることができた。これってなんだか不公平だ。
まぁ、無事に入ることができたんだから、それはひとまずよしとして……。
「もう逃げないでくれよ……」
と、願いながら俺は少女を見る。
しかし、俺の健気な願いは少女には届かない。すぐに背を向けて少女はまた動きだした。
「だよなぁ……」
頬を叩いて気合いを入れなおす。
もうクタクタだが、これがラストスパートだと信じて頑張ろう。
再び、地獄のマラソンが始まった。
少女のあとを追いかけて走ること数分。
小学生の頃は定期的に足を運んできた懐かしい光景を見られたので、思っていたよりも辛くはなかった。
本当に、あの爆発を境にこの町は変わってしまった。
それがいいのか悪いのかは、俺には分からない。
けれど、ほんの五年前は凄く賑わっていて活気があった。もう一度、そんな景色を見てみたいものだ。
観光用に舗装された道には、長らく手入れされていないからか草花が生い茂り、廃退的な雰囲気を醸し出している。
それがまた、いい雰囲気で非日常的な空気をより一層強めていた。
少女は、ピタリと動きを止める。
彼女の背後には巨大な幹が見える。こんなにも近くで樹を見上げるのは小学生以来だ。
改めて見れば、本当にびっくりするほどに大きいし、太い。
「空にはニコニコ太陽さん。地を走るのは必死な貴方。たくさん足を動かして、本当に大変そう。けれど、そんな旅路もここでおしまい。頑張った貴方にはお祝いを。お疲れさま、これで終わり? ううんまだまだ!」
「うへぇ~、やっぱり誰か通訳してほしいッス~……」
「俺を見るな、俺を。俺だって分からないんだから」
少女はそのまま、ニコニコの笑顔で振り返った。
ようやく鬼ごっこが終わったという解放感と、ここからが本番だという緊張感。その二律背反に悩まされる。
「マイちゃんはどこッスかね?」
「ここにはいないみたいだな」
俺たちは一呼吸ついて、藤坂の姿を探した。
けれど、どこにも彼女の姿は見えない。あの藤坂に限って少女を見失うなんてことはなさそうだが……。
「あら、ここにいない誰かの心配事かしら? それは寂しいわ? いけずな貴方。悲しい私」
俺たちの反応が不満だったらしく、悲しそうに俯いて少女は言う。
悲しんでいる姿すらも愛らしく、その姿を見た俺をなんとも言えない罪悪感が襲う。
「え、えーっと」
「でも、やっぱり名前は名乗った方がいいわよね? それが普通のコミュニケーションだもの!」
たじろぐ俺を余所に、少女は消えた。
「私の名前はメアリー・スー」
「うお!?」
急に背後から聞こえてくる声。
振り返れば、そこにはもう誰もいない。一体、何なのか。
空を飛んでいた時から分かっていたけれど、やっぱりこの少女は普通じゃない。
「誰かの夢は私の夢。私の夢は、貴方の夢。だから言うのよ何度でも」
今度は隣から。
もちろん、俺が視線を向けた時にはもう遅い。
「私は貴方。貴方は私。私の手を取れば、きっと貴方も信じたくなる。夢は、誰にだって微笑んでくれるってことを――」
正面から。
今度は、俺にも少女――改めメアリー・スーの姿が見えていた。
ドレスの裾を両手で持ち、上品にお辞儀をする。
透き通るような美しい声。
山上の湖を思い出させるような青い瞳。
太陽の光みたく黄金の髪。
胸に抱かれた二体のクマ。
メアリー・スーは、途方もなく美しく底なしの沼みたいな底知れなさがあった。
「夢ッスか」
「ええ、哀れな幽霊さん? 貴方の夢は叶えられないのだけどね? だって、私は太陽で北風じゃないんですもの」
「いいッスもーん! 夢っていうのは自分で叶えるもんッス!」
なんだか子供の喧嘩みたいだな……。
「私が話したいのは、貴方。平凡で、何の取り柄もなくて、惨めで、普通な貴方。まるで、シカさんみたい」
クスクスと笑って、中々ストレートな物言いをするメアリー・スー。
言いたいことは分からないが、取り敢えず俺が凄くバカにされていることだけは分かった。
まぁ、女の子が言っていることだし、マジにはしない。
一応、全部本当のことだしな。ああ、自分で言っていて悲しくなる。
「確かにセンパイはそんな感じッスね。でも、シカさんみたいに可愛くはないッス!」
「おい」
俺のツッコミを受けて、ロールはえへへと頭を撫でた。
可愛い顔しても無駄だからな、という気持ちを込めて彼女を睨む。が、あんまり効果はないようだ。
それに、ロールの相手ばかりもしてられない。
むしろ、俺たちが気にするべきなのは目の前にいるメアリー・スーなのだから。
「で、ロールについて教えて欲しいんだけど……」
「そんなことよりも、貴方の夢を叶えてあげるわ。貴方の夢は――」
大事な目的をそんなことと一蹴されてしまった。
メアリーはそこまで話すと、口を閉じる。青い目が宝石のようにきらめいた。
「分かったわ! 平凡から脱却したいのよね?」
「っ!」
俺は言葉を失った。
メアリーの言っていることは間違いじゃない。だって、その望みは多分俺の夢だった。
多分ってついているのは、自分でもよく分かっていないから。
でも、面と向かってそう言われると、確かにそうだと思ってしまう。
「ええ、とっても素敵な夢。でも……貴方はそれが叶うはずないって思ってる」
「……」
その言葉もまた、正解だった。
端的に、的確にメアリーは俺の考えを見抜いている。それが、恐ろしかった。
「そうなんスか?」
今ばかりは、ロールの無邪気な瞳が辛い。
だって、自分の惨めな部分が筒抜けになってしまったのだから。
でもそう思っていることも本当だ。
藤坂と自分を比べてみれば……それだけじゃない。テレビなんかでみる芸能人やスポーツ選手。ニュースで活躍が報じられる自分よりも若い誰かに、歳をとっても輝かしい成績を収める誰か。
みんなみんな、凡人じゃない。
一方で俺は多分、どれだけ頑張っても凡人だ。
最初から凄い奴とそうじゃない奴ってのは決められている。俺はそうじゃない方。
凡人な自分は嫌いだが、かといってそれを受け入れて生きるしかない。
だから俺はロールと関わることも拒んだ。
だって、自分の身の丈にあっていないのだから。
「夢は叶うわ。信じて貴方。分かってるわ私。みんな、夢を見て見ぬ振りをする。私を恥ずかしいっていう。どうして? どうして? だって、夢はここにある。私は貴方に寄り添う! だからね、夢を手に取って?」
取り乱した様子で、少女は俺に向かって叫んだ。
少女の言葉はやっぱり分からない。
けれど、彼女が何かを必死で追い求めていることだけは分かった。
「凡人なんてやめましょう。凄い貴方になりましょう。そうすれば世界はきっとバラ色に。それが一番のハッピーエンドじゃない」
右手を胸に。左手は俺の方に。
少女は手を伸ばした。
多分、この手を取ればメアリーに同意したってことになるんだろう。
凡人をやめられるのか。ちょっと魅力的な提案だ。
「凡人なんて、やめなくてもいいと思うッスけどねぇ~。そもそも凡人ってなんスか?」
「ロールはほんとポジティブだよな」
確かに凡人な自分は嫌いだ。
だけど、こんな得体の知れない提案を受け入れるほど落ちぶれているわけじゃない。
ロールの言葉に慰められたこともあって、俺がその手を取ることはなさそうだ。
「せっかくの誘いだけど、ごめん。今はいいや」
一番、波風が立たないような断り方を試みる。
メアリーに悪気はなさそうだし、意味はよく分からなかったけどあんなに必死に誘われたものをただ断るのもいたたまれなかった。
けれど、これでもまだダメだったらしい。
「……そう。貴方も、私を見てくれないわけね。結局、私は惨めなサンショウウオ。なら、いいわ。それでもいいわ。でも、私の役割は果たさないといけないわ」
俯いて、トーンを落としてメアリーは言う。
そして、姿を消す。
今度は、土産屋の看板に座っている。
足をバタバタと動かして、子供らしいしぐさで俺たちを見下す。
ただ一つ気になるのは、その瞳が恐ろしく冷め切っていたこと。
「なぁんか、嫌な予感がするんスけど」
「奇遇だな……俺も」
直感が、不吉な何かを予期していた。
それはロールも同じらしい。
俺たちは二人揃って言葉にできない不安を感じる。と、なればその次に起きることにもある程度予測がつく。
「平凡な貴方に危害を加えるつもりはないわ? けれど、幽霊さんには退場してもらわないといけないの」
メアリーがそう宣言すると、土産屋の扉を突き破って現れるのは不吉な何か。
地面にまで伸びた黒髪はボサボサで、それだけで普通じゃない印象を受ける。その上、髪で顔は覆われていて、表情は見えない。
真っ白な服は汚れていて、総じて小汚い印象を受ける。
だけど、もっと目を引くのはその手に握られたカッター。
限界まで伸ばされたそれは、太陽の光を反射して鋭く光る。
普通の人が、こんな格好でカッターを持っているか? そもそも、立ち入り禁止区域に入っている時点で普通じゃないんだけど。
「もう一回同じこと言っていいッスか? なぁんか、嫌な予感がするんスけど」
「奇遇だな、俺も同じこと言おうかと思った」
ってやりとりをした時には俺の身体はもう動いていた。
突如現れた普通じゃない何かに背を向けて、俺は駆け出す。
こういうのは、逃げるに限る。幸いにもロールは普通に動いて全力疾走の俺と同じくらいなんだ。
しかも、その気になればすり抜けを利用して複雑に逃げることができる。
一度ロールが本気で逃げ始めれば、藤坂だって手こずるだろう。
だから俺は自分のことだけを考えて全力で逃げる。というか、多分俺が一番この場で弱い!
商店街みたく店が建ち並ぶ観光街を、俺はひたすらに走った。
「クスクス……今度は私たちが鬼ね? 一体どこまで逃げられるかしら?」
瞬間移動を行いながら、メアリーは次々と店の屋根に移っていく。
背後を振り返れば、先程の怪物の姿はない。
どうやら、足の速さはそこまででもないようだ。
「センパイ、前! 前!」
なんて安心した刹那に現実を突きつけられる。
別の路地から、カッターを持った何かが突如現れては俺の前に立ちはだかる。
俺は思いっきり自分の身体にブレーキをかけて、そのまま真反対の方向に走った。
普通に俺の全力疾走を悠々と超える速度なのか? もしくはショートカットがあったのか?
はぁ、ホント、一筋縄じゃいかないよな!
「ホント、あれはなんなんだ!」
「多分、想造獣だとは思うんスけど……」
俺とロールにはただ恐ろしい何かとしか思えない。
想造獣は信じられたものが樹のエネルギーを身に受けて、具現化した存在だという。
だから、鬼なんかも誰がみても鬼と断言できる姿形をしていたんだろう。
じゃあ、俺たちを追いかけているアレは?
少なくとも、俺はアレを知らない。俺の知りうる全ての怪談や、フィクションにおいてあんなものは知らない。
それが、知識不足のせいなのかは分からないけれど、これ以上アレの正体についてあれこれと悩む必要はない。
今はただ、逃げることに集中するべきだ。
「彼女は学校でイジメられていたそうよ?」
逃げ惑う俺たちを見下して、メアリー・スーが話し始める。
全力で走りながらでは、意識の全てを少女の言葉に傾けることはできない。けれど、メアリー・スーが話していることは、聞いておかないといけない気がした。
「彼女の夢は、イジメられない強さ。願われたから、私はその夢を叶えたわ? とびきり怖くて強い子にしてあげたの!」
「強くなりたいって、そういうじゃない気がするんスけど!」
ロールの言う通りだ。
強さと一口に言っても肉体的な強さ以外にも、精神的強さだってある。ただ単純に腕っ節が強くなりたいわけじゃないだろう。
本人ではないので断言できないが……。でも、その強さは間違っているような気もする。
だって、強さの代わりにこんな姿にされてしまうのは誰だって嫌だ。
「そもそも、どうやって夢を叶えたんだ?」
「ふふ。そんなの決まってるじゃない。私は夢。夢は私、ならただ私に寄り添えば夢は叶うわ? だって私自身が貴方の理想なんだもの!」
つまり、彼女は誰かの夢を叶える力があるってことか?
なんだそれ! 反則すぎる!
見た感じ、願う側の事情は関係なくてメアリー・スーが思う最適の方法で夢が叶えられるみたいだけど。
俺は背後にいる怪物をまくために路地へ入り込む。
メアリー・スーの規格外の力は理解した。
俺にはどうすることもできない。
今は、ただ逃げる!
「センパイ、大丈夫ッスか?」
「大丈夫じゃない! けど、やるしかないだろ?」
「そッスねぇ~、足止めたら死ぬかもしれないッスもんね」
走る、ただ走る。
追いつかれたら、考えるだけでも恐ろしい。
だから逃げる。
でも、凡人の俺には限界があった。
「残念だけど、道を間違えたわ。人生って、選択肢の連続なのよ? 重要な局面で選択を誤るなんて、ああ……不運の人」
俺は立ち止まった。
メアリー・スーの嘆く声を聞きながら、俺は振り返る。
進行方向には巨大な壁。つまり、行き止まり。
そして、逃げる暇もなく怪物がそこには立っていた。
「ロール、すり抜けて逃げろ。ロールなら逃げられるだろ?」
俺はロールの前に一歩出て、そう言った。
驚くくらいに怖いけど、一度守ると決めたものは最後まで守らないと格好がつかない。だから俺はロールを逃がす。
「でも、センパイが……」
だよな。
ロールはこういう時に逃げない奴だって俺は知っている。
けれど、逃げて貰わないと俺が困ってしまう。
「大丈夫だ、ロールに用があるみたいだし、俺は大丈夫だろ?」
なんて、希望的な観測を俺は言う。
可能性はあるけど、目標に逃げられたので帰っていいよ。とは絶対にならないよなぁ。
とはいえ、ロールに逃げて貰うために希望的観測でもなんでも言おう。
「じゃあ、先にこう言っておこうかしら? 幽霊さんが逃げたら、平凡な貴方は徹底的に痛めつけられるわ。可哀想……。でも、幽霊さんが大人しくこちらに来るのなら、平凡な貴方の安全は保証する。そう、悪い条件じゃないと思うのだけれど?」
背後の壁の頂点に座り込んで、メアリー・スーは言った。
またこの二択か。いつも俺が人質に取られてしまう。
自分の無力さには腹が立つ。
だから、身の丈にあった生活を送りたいんだ。
「……これは選択の余地がないッスね」
「ああ、そうだな」
「自分がいくッス!」
「俺が代わりに!」
「……」
俺たちは顔を揃えた。
二人とも真反対の答えを心に決めていたらしい。少しおかしいと思ってしまったが、そんなこと言っている場合ではない。
「もう時間がないんだぞ? 早く逃げろ!」
「絶対に嫌ッス! なら自分が」
ああ、もう!
なんて頑固な幽霊なんだ。
こうなったら、無理矢理でも逃げて貰わないと!
俺は息を整えて覚悟を決める。
そして、一歩、二歩と怪物に向かっていく。
ギラリと光るカッターが恐ろしい。
でも、ロールを逃がすためには立ち向かわないと。
「ちょ、センパイ!」
「さっさと行け! 俺の覚悟が無駄になるだろ?」
自分でも分かるくらいにへなちょこな拳を構えて、俺は行く。
相手は握り締めたカッターを振り上げて。
勝ち目なんてあるわけがない。
でも、ロールが逃げられるなら……。
そう思った瞬間だった。
目の前に黒が落ちてきた。
それが長い黒髪だって分かったのは、その一秒後。
伸ばされた刀が、俺を制止した。
「間に合ったみたいでよかった。あとは私に任せてくれ」
こちらへと振り返り、藤坂が話す。
今日ばかりは、その鉄仮面が何よりも頼もしく思えた。
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