第16話「マラソンの始まりを告げる後ろ姿」

 鬱陶しいセミの鳴き声に、空からは太陽が顔を見せる。

 あぁ、暑い!

 オマケに人が多い。もう泣きわめきたくなるくらいに蒸し暑かった。

 唯一の手がかりである少女を追って、俺たちは今日も繁華街を歩く。

 目を皿にして俺は人混みを眺めた。

 幸いにも、あの子の服装は凄く特徴的で見つけること自体はそう難しくはないだろう。


 そもそも、繁華街にいるのか?

 というところが疑問だけど。


「そういえば、マイちゃんって好きな食べ物はなんスか?」

「好きな食べ物か……嫌いな食べ物はないと言えるんだけど、そう言われると難しい」

「自分はケーキとかッス! 甘くて美味しいッスよねぇ~」


 隣から聞こえてくる女子会トーク。

 藤坂はともかくロールは絶対お喋りに夢中だろ! でも、注意する気にはなれない。

 沈黙の方がよっぽど居心地が悪いんだ。

 なら、ロールには藤坂と話して貰った方が俺も心置きなく人探しに夢中になれる。


「ケーキか。ああ、私も好きだよ」

「そうッスか! じゃあ、じゃあ! 自分が人間に戻れた時は一緒にケーキを食べにいくッス! 約束ッスよ~!」


 しかし凄いな、ロールの奴。

 あんなにグイグイ藤坂に絡んでいけるなんて。大抵の人間は鉄仮面を前にして膝を折るんだけど。


「ああ。約束だ」


 遂にはあの藤坂相手に約束まで……。

 ロールのコミュニケーション能力は凄い。俺も見習わないといけないな。


「楽しみッスねぇ~。あ、センパイも来ていいッスよ。特別ッス」

「俺はついでかよ!」

「とぉ~ぜんッス。女子会ッスよ、女子会! ま、それだと流石に可哀想なんで、こうして誘ってあげてるッス」

「はいはい。ありがとうございます~」


 ロールを適当にあしらいつつ、俺は人混みを見つめ続ける。

 ゴスロリ、金髪、青い目、中学生くらいの身長……。

 記憶の中に残っている少女の特徴を何度も思い返しつつ、俺は人混みと睨めっこ。

 けれど、やっぱりその姿は見えない。


 そりゃそうだ。

 簡単に見つかるわけない。

 この町に、どれだけの人がいると思っているのか。その上、この町はどれだけ広いと思っているのか。

 たった二日で見つかるんなら、誰も苦労していない。


「あっ、いたッス!」

「はぁ!? どこどこ!」

「あっち!」


 ロールが力強く指さした方を俺は見る。

 ほ、本当にいる。

 空中三メートルくらいの場所に、空を飛ぶ一人の少女。

 どうやら、そう簡単に見つかるらしい。

 空はズルいだろ! ずっと人がいる場所ばかり見ていた。

 なんだか少し損をした気分。

 とか、言っている暇はなさそうだ。


「あれは……」


 藤坂は少女を見上げて目を細めた。

 一方、少女の方も俺たちに気がついたらしくお上品なしぐさで手を振っている。

 かなり距離があるので、その表情までは分からない。

 けれど、こっちへ来いと言われているみたいだ。

 少女は、ひとしきり手を振ると俺たちに背を向ける。そして、ふわりと移動し始めた。


「あっ!」

「念のために確認するけれど、あの子で間違いは?」

「ないッス!」

「分かった。小さな女の子を追いかけるのは少し後ろめたいが……」


 藤坂は低く姿勢を落とす。


「背に腹はかえられない――」


 瞬間、風が生まれた。

 あまりにも初速が速い。

 ゼロの状態からトップスピードまで一瞬で引き上げているんだろう。もはや人間業とは思えない。

 俺が驚き呆けている間に、藤坂は路地裏へと入っていった。

 と、思ったら次の瞬間には建物の屋根まで登っており、一向に速度を落とさぬまま突き進む。


「……」


 もう、豆粒みたいな大きさになっていた。

 言葉を失ってしまう。

 なんだあの身体能力は。


「さっすがマイちゃんッスねぇ」

「って、俺たちも追いかけないと!」


 正気を取り戻して、俺は叫んだ。

 藤坂としては自分一人が走って少女を捕まえる。そのあと、俺たちと合流するのが一番合理的と判断したんだろう。

 けれど、俺たちもただ指をくわえて眺めるだけというのは嫌だ。

 何ができるかは分からないが、俺たちも頑張って藤坂の背を追う。

 灼熱の炎天下で、少女との追いかけっこが始まった。



「センパイ、ファイト~! なんか分からないッスけど、もうすぐで追いつけそうッスよ!」

「ハァ……ハァ!」


 俺はロールの声援を身に受けながら、一心不乱に走っていた。

 夏の町を走ること十数分。

 もう身体の穴という穴から汗が噴き出していた。一刻も早く立ち止まって水を飲みたい。

 けれど、ロールが言うようにもうすぐ少女に追いつけそうだった。


 しかし、俺たちの近くに藤坂の姿はない。

 あれだけ速い藤坂が追いかけていたというのに、俺の方が早く少女に追いついてしまったのか?

 いやいや、そんなわけはないだろう。

 とはいえ、俺たちの目の前には少女がしっかりといる。ここで立ち止まったり、変に悩んで少女を見失うことだけは避けたかった。

 だから、今は細かいことを考えずに俺は走る。


「どんどん人気のない方向に誘い込まれてる気がするんッスけど。突然、物陰から怪物がバァ! とかないッスよね?」

「ハァ……不吉なことを、ハァハァ……言わないでくれよ!」


 無我夢中で追いかけていたから気づかなかったけれど、確かにロールが言う通り人通りが少ない場所に導かれているようだった。

 もし、今不意打ちで鬼みたいな怪物が姿を見せたら、多分俺はそのままお陀仏だろう。

 だから、そんな最悪の可能性は考えたくなかった。


「なーんで、逃げるんッスかねぇ?」


 空中で寝転ぶような姿勢で、ロールは頭を抱える。

 というか、俺の本気走りとロールの適当な飛行がどうして同じスピードなんだ。ズルいだろ!

 なんて、心の中で届くはずのない抗議を行う。


「なんで……だろうな?」

「やっぱり誘われてるッスね」

「うっ、もう追いかける気がなくなってきたんだけど……」


 最悪の可能性を想像して、俺の足が少し元気をなくした。

 本当に物陰から怪物がバァ! してきたらどうしようか。恐怖で気絶するかもしれない。


「唯一の手がかりッスよ! 頑張ってくださいッス!」


 俺は頷いた。

 無論、手がかりをみすみす見逃すわけもない。ただ、自分の命は大切にしたい。

 でもまぁ、あんな可憐な少女が怪物とつるんでいるわけもないし。最悪な可能性は最悪なだけで現実味は薄い。


「ほんと、どこまで行くつもりなんだ!?」


 息も絶え絶えで、俺は悪態をついた。

 いい加減、止まって欲しい。

 二人して空を飛んで、そう苦労もしていない癖に! 俺はこんなに暑い中をずっと走ってるんだぞ!?


「センパイ~、余計な力使いますよ~?」

「むぅ……」


 別に運動が得意なわけじゃない。

 というか、むしろ嫌いだ。

 藤坂みたいな身体能力があれば、もっと楽しくなるのかもしれないけど。

 はぁ、あともう一踏ん張りだと信じて走るとしようか!


「あっ、センパイあれみてください!」


 言われるまでもなく、俺はずっと正面を向いている。

 なのでロールに言われるまでもなく、何が起きたかは把握していた。

 どうやら、ずっと走っている内に俺たちは辿りついてしまったらしい。

 鉄条網には、真っ赤な文字で立ち入り禁止区域と刻まれている。

 つまり、追いかけっこはここで終わりというわけだ。奇しくも少女と初めて出会った場所が終点だった。

 やっと立ち止まれる。

 そう思った矢先だった。


 少女はそのまま鉄条網を超えてその先へ進んでいった……。


「嘘だろ……!」


 その光景を眺めて、足を止める。

 新鮮な空気を一気に吸い込みながら、それでも俺は少女の背中を目で追う。

 少女は、立ち止まりこちらへ振り返る。

 どうやら、ついてこいと言っているようだった。

 だけど……。


「立ち入り禁止なんだぞ!」


 なんて、情けない言葉が漏れてしまう。

 そもそも、鉄条網を超えることができない。


「センパイ、どうするッスか」

「どうするもこうするも……」


 と、視線を動かせば……。

 そこには、木があった。町の名物の方じゃなくて、普通の木だ。

 普通の木といっても、俺の倍くらいは高さがある。

 あの枝からおりれば、鉄条網を超えることができるかもしれない。……唯一の手がかりで、相手は俺たちを誘い込んでいる。

 じゃあ、進むしかないか。

 俺は息を整えて、木に向かって駆けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る