第15話「最低最悪の店……そうでもない?」
俺は今、屋流の店の前にいた。
そもそも教師がなんで店を出しているのか、当然持つべき疑問だ。しかし残念なことに俺の頭からはそんな疑問、消し飛んでいた。
現代アートともいうべき門構えに圧倒されていたから。
「おぉ~、凄いッスねぇ」
「確かに凄いな……」
凄い。
それがいい意味か悪い意味かはさておき、凄いのは凄かった。
彩度の高い原色たちが、ところせましと壁に塗られている。お陰で、すこぶる目に悪い。
正直、中に入ることすらためらってしまう。
変な怪物とかいそうだし。
「じゃ、自分は先に入っとくッスよ~」
「あ、ロール!」
本当に、思い切りがいいというかなんというか……。
ちょっと緊張しながら、俺は扉に手をかけた。立て付けが悪いのか、予想以上に重たい扉を押し開けて、俺は店の中に足を踏み入れる。
カランコロンという定番の音色が小気味いい。
外の灼熱地獄とは打って変わり、文明の利器によって生み出された清風が俺の身体を冷やしてくれる。
エアコンは最高だ。
「やぁ、いらっしゃい。よく来てくれたね」
鼻を抜けていくのは、珈琲のいい香り。
白々しい屋流の言葉は一旦置いておくとして、店内の様子は思ったよりも普通だった。
なんというか、昔ながらの喫茶店という表現が一番似合っているだろう。
年季が入ったカウンターに体重を預けて、屋流が俺に向かって手を振っている。
「まるで自主的に来たみたいな言い草ですね。ほとんど無理矢理連れてこられたみたいなものなんですけど」
成績を人質に取られては俺も逆らえなかった。
普通の先生ならやらないと思うんだけど、相手はあの屋流なのだ。奴の気分一つで成績を弄くっても不思議じゃない。
「ははは。そう? まぁ座って珈琲淹れてあげるからさ」
「……」
もっと追求してもよかったんだが、本当に美味しそうな珈琲の香りを嗅いでしまったら溜飲が下がった。
ロールの隣に座り、俺は屋流の様子を眺める。
慣れた手つきで作業をする屋流の姿は今だけ少し好感が持てた。
「随分と慣れてるんですね」
「まぁ、これでも毎朝自分とマスターに淹れてるからさ」
「あれ? ここって屋流さんの店じゃないんスか?」
「似たようなものなんだけど。ボクは居候って奴?」
「全然違うじゃないですか……」
どうしてこの人はこんなにも適当なのだろうか。
大の大人が居候というのも酷い。屋流のことなので、今更何を言われても驚きはしないけれど……。
うん、やっぱり酷いな。
「ははは。はい、どーぞ」
胡散臭い笑顔でさらりと話を流し、屋流は俺の前にカップを置いた。
真っ白なカップからはゆらゆらと白い煙が天井に飛んでいく。
「あ、ありがとうございます」
ちょっとだけ、疑いつつも俺はカップを持ち上げる。
中にある液体は、当然真っ黒。
この店に足を踏み入れた時から香ってきていた匂いが、さらに強いものとなって俺の鼻腔をくすぐった。
「お、ブラックで飲めるんだ。かっこいいー」
「バカにしてますよね?」
「バレた?」
不毛なやりとりは止めて、俺は珈琲を飲む。
「……美味しい」
「だろう? ボク、自信あるんだよね♪」
思わず、言葉がこぼれてしまうくらいには美味しかった。
ちょっぴり悔しい。だって、屋流の奴あんなに得意気な顔をしてるんだから。
「えー、自分も飲みたいッス~! 飲みたいッス~! 人間になったらやりたいことリストに追加したッス!」
俺が美味しいと言ったからだろう、ロールが駄々をこね始めた。
幽霊の身体はなんでもかんでもすり抜けてしまう。
だから、可哀想なことに食事が一切できない。
「ま、それはともかくッス。今日はどうしたんッスか?」
すぐに調子を取り戻したロールは話を振った。
そうだ、俺は屋流に呼ばれて来たんだ。珈琲を味わうことに夢中になっていたが、なぜ呼ばれたか聞かないと。
屋流はニタニタとした薄気味悪い笑みを浮かべて、カウンターに体重を預ける。
「ま、この店の紹介がしたかったのさ。君たちだって学校に集合するよりも、どこか便利なたまり場があった方がいいだろ? ここを使ってもいいって話さ」
白衣のポケットから鍵を取りだして、屋流は俺の方に放り投げた。
なんとかキャッチし鍵を眺める。
何の変哲もない鍵だ。
ちょっと大きめのストラップがついていることが気になるが……。どうしてよりにもよってウサギのぬいぐるみなんだろうか。
「店の合い鍵。何かあれば使ってくれていいよ」
「はぁ?」
「わぁ、ヤリュウさん……大胆ッス!」
まず、誰もこの店でたまるなんて一言も言っていないのに……。生徒とはいえ合い鍵を渡すか?
普通に考えてあり得ない。
なんてとこまで考えて、あ、そういえば屋流は普通じゃないな。
という結論に思い至る。
「本当にいいんですか?」
「いいと思わないと渡さないけどね。ボクって君を信頼してるし」
「……っていっても俺について、そんなに知っているわけでもないでしょう」
「さぁ? どうだろ」
両手をポケットに突っ込んで、屋流は気のない返事をした。
なんだろ、この含みのある言い方は。
「ありがとうございます……使うかは分かりませんが」
一応御お礼を言って、俺は鍵をポケットに突っ込んだ。
多分、使う日はこないだろうけど。
「ま、そんなところかな。ね、来てよかったでしょ?」
「それは……」
珈琲を一口。
うーん、照れ隠しでああは言ったけれど、この珈琲が飲めただけでも足を運んだ価値はあったかもしれない。
でも、屋流の顔を見ないといけないからプラスマイナスゼロってところだな。
「あっ、話は終わりッスか?」
手をあげて、ロールが会話に割り込んできた。
「うん。終わりだよ。どうかした?」
「自分、ヤリュウさんに聞きたいことがあったッス!」
「聞きたいこと……ボクに答えられることなら答えるけど、理科の質問とか?」
くつくつと笑って、冗談っぽく話す屋流。
まぁ、ロールが理科の質問なんてするわけないし、何について聞きたいんだろう。
「ズバリ! マイちゃんのことッス!」
なるほど……。
人差し指をピシリと天井に向けて、ロールは目を輝かせてそう言った。
確かに昨日も藤坂を笑わせたいとかなんとか言っていたな。そのために付き合いが長そうな屋流から情報を集めようって魂胆らしい。
「それはまた、珍しい。一体、どうして?」
「自分、マイちゃんを笑わせたいッス!」
全くためらわずに自分の目標を宣言するロール。
瞬間、店内が静寂に包まれた。
屋流は面を喰らったように固まっている。あんな屋流、初めて見るぞ。
天井に回る換気扇の音だけが聞こえる。
これはこれで風流かもしれない。そんな沈黙が数秒、続いた。
「あはは……はーっはっはっはっはっは! ロールちゃん、それって本気!?」
今までの嘘っぽい笑い声じゃなくて、今の屋流は本気で笑っている様子だった。
腹を抱えて、カウンターに突っ伏する。
それだけを見ても、ロールの言葉がどれだけ屋流のツボに入ったのかは想像に難しくない。
「むぅ~、本気ッス! なんでそんなに笑うッスか?」
自分の真面目な目標を笑われたせいか、ちょっとムスっとしてロールは頬を膨らませた。ひとしきり笑ったあと、屋流は身体を起こして薄ら笑いを見せる。
あっ、いつもの感じに戻った。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっとね、久しぶりに予想外なことだったからさ。バカにしてるわけじゃないんだよ? お詫びに、話してあげるよ」
「ホントッスか!」
「ああ、ホントッスホントッス」
カウンターの中にイスを用意して、屋流はそこに腰をおろす。
自分用の珈琲カップを片手に、何から話そうか、なんて前置きを置いて言葉を紡ぎ始めた。
「君たちも知っていると思うけどさ。彼女は完璧な人間だ。正直、頭の良さはボク以上だろうし、身体能力はそこらのアスリートを凌駕している」
「……ええ、痛感しました」
思い出されるのは、窓ガラスを突き破って突入してきた彼女の姿。
あれを見れば、藤坂が普通じゃないことは一目瞭然だ。
どうやってあんな力を手に入れたんだろう。
なんて疑問すら意味がない。
あれはもう、理屈じゃ説明できない。ただ一つ言えることがあるとすれば、彼女は選ばれた側なんだ。
「そんな彼女だから何でもできた。勉強も、喧嘩も、家事だって、それに怪物を退治することもね。彼女は一人で生きてきた。それで十分だったんだよ」
「なんだか、寂しいッス……」
ロールの反応には同意だ。
普通の人間じゃ、到底できないし耐えきれない。
全部自分でできて、だから一人で生きて、それで十分だと形容される人生なんて想像絶する。
不思議と、ロールを見る屋流の目が真剣な雰囲気を帯びているような気がしていた。
でも、寂しいっていう感想なんて俺たちの身勝手な想像に過ぎない。
藤坂は、屋流も言っていた通り完璧な人間なんだ。
だとすれば俺たちの感性なんて通用しない。多分、藤坂はそれでいいんだろう。
他の有象無象なんかとは付き合いたくもないんだ。
その割には、屋流みたいな俗物と付き合っているわけだけど。
そもそもどうして屋流と藤坂が協力するようになったのだろうか。
「でも、屋流さんとは一緒にいるみたいッスね?」
同じような疑問をロールが聞いてくれた。
正直なところ――自分から屋流に質問を投げかけるのは憚れる。なんだか負けた気がするし。
屋流はんー、と首を傾げる。
「そうだねぇ。僕が協力して貰ってるって感じかな?」
「マイちゃんにッスか?」
「そーそー」
胡散臭い笑みを見せて、屋流はそう言った。
その言い方は、藤坂が屋流を必要としているわけではない。……と、言っているようにも思えた。
まぁ、それは分かる。
だってダメ人間だし。
「ま、僕のことはともかくさ? とにかく彼女は完璧で最強で、向かうところ敵なしのスーパー完璧超人美少女だ」
朗らかな笑みを浮かべて屋流はそう結論付けた。
なんだか、うまいこと煙に巻かれた気がする。
でも、彼の言葉はそれで終わっていなかったらしい。俺が返事を返そうとした瞬間、ふっと笑い――
「って、みんなが思ってる」
「それってどういう――」
そこまで言ったところで、カランコロンという音が聞こえてきた。
背後を振り返ってみれば、藤坂が丁度玄関に立っていた。
もしかして、俺たちの会話……聞かれていたのだろうか。そんな不安が募る。
別に、聞かれても問題ないといえば、ないのかもしれないけれど。
勝手に人のことを嗅ぎ回るのなんてお世辞にも褒められた行為ではない。
だから、俺は彼女と目を合わせずに天井を見上げた。
「失礼します。……昨日は急用で帰ってしまい申し訳ない」
「大丈夫ッスよ~!」
そう言って頭を下げる藤坂。
昨日のことなんて何も気にしてないのに……やっぱり律儀だな。
俺は一度咳払いして、頷いた。
「ああ、俺もだ」
「それはよかった」
「じゃあ、集合もできたことだし、今日もロールちゃんのために頑張ってね」
「ありがとうございますッス~!」
ガバガバと手を振り、ロールは飛び上がり外に出て行く。
本当に元気な奴だな。
幽霊なのに……ときどきその事実を忘れてしまいそうになる。
入ってきたばかりの藤坂には悪いが、すぐに外に出て貰わないと。
ロールの背中を追って、藤坂は屋流に向かって一礼をして扉を開けて出て行った。別に、屋流になんて礼はいらないと思うけれど……やっぱり律儀だな。
俺も二人に続いて……。
「ああ、そうだ。日々君」
「……?」
屋流に呼び止められて俺は足を止めた。
僅かに床が軋んで、年季の入った音が聞こえてくる。
「……あー、いや、何を言うつもりか忘れてしまったよ。とにかく、頑張ってね」
「は、はぁ」
気怠げなその様子に適当な言葉。
これ以上なく屋流節が効いている。俺は屋流に曖昧な返事を返して二人の背中を追った。
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